鷹野つぎの養女時代余話(9)
三年前の明治三十五年六月、十湖が上京した折、神田区表神保町の啓発社社長高橋金作のところに厄介になっていた。
この出版社の社長とは俳句の掲載で知り合った仲で、一時、女学生雑誌「姫ゆり」その他の文学書を発行して有名であった。
ここに十湖の門弟で十五歳になったばかりの柏葉が務めていた。
本名は鷹野弥三郎、既に俳号がついており十湖に勧められ俳句の会に入っていた。
長野方面は俳句が盛んで、弥三郎の父も熱心でその影響があったらしい。
弥三郎がここで働いているのには訳があった。
弥三郎の父親から息子が教員になりたいというので働きながら学ばせたい。
ついては働き口を紹介してくれとの頼みからだった。
後に浜松で十湖の伝記を書くことになるが、十湖とは長い付き合いになっていくことをこのときはまだ知らない。
高橋社長のところで数日泊っていたが、ある朝十湖は帰り支度を整えた。
「高橋君、せっかくの機会だから、帰りは長野方面に向かい弥三郎の実家に立ち寄っていこうと思うが」
「ここからなら、そう遠くではないから気をつけてお帰りください。家は旧家で大きいから近くまで行けばわかるはずです」
高橋社長は快く挨拶したが、十湖との用はとっくに済んでいた。やっと帰ってくれるので安どした。
十湖は世話をしてくれた御礼を言いながら、さっさと信越本線に乗り込んだ。
軽井沢から碓氷峠を越え、信州佐久を通り松原湖を目指そうというつもりだった。
松原湖畔には弥三郎の実家、豪農の鷹野今朝三郎宅に立寄り、自ら挨拶をして来ようと思っていた。
近く信州行脚を計画していたためであった。
(鷹野弥三郎が編集に関わった冊子)
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