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2025年6月15日 (日)

鷹野つぎの養女時代余話(8)

  明治三十八年六月十六日次男藤吉の戦死から一年近くが経とうとしていた。
 昨年の初めは町中が日露戦争の戦勝に湧き、次男藤吉(俳号友月)の出征も祝った。
 だがそれは長続きせず、夏の終わりには藤吉戦死の悲報が届いた。
 十湖は衝撃を受け、戦争の無慈悲に腹が立って、その年は藤吉の供養をするのが精一杯で俳句どころではなかった。
 年明けて欽采から手紙が届いたのは、落ち込んでいるであろう十湖を慰めるがためだったかもしれない。
 この時、欽采二十七歳、年の頃なら次男藤吉と同じである。
 今、その招待に応えるべきか迷っていたのだった。
 同年九月十日 朝顔を詠んだ句を残して大木隨處、柳園成佳、冬至庵閑里ら三人を伴い信州・信濃地方へ向けて旅立った。
 今回は言うまでもなく吟行行脚である。
 長野方面をめざし招待してくれた俳人仲間のところに連泊し、そこを拠点に周辺地域の吟行を重ねるつもりだった。
 夜は人の集まりそうな旅館や俳人宅で連歌の会や句会を開き、地方の俳人たちとの交流を重ね、弟子を増やしていこうとの野心もあった。
 とかく、これまでの旅は浮名に流され、酒をしたたか飲んでは奇行ぶりを発揮し、周囲の者を驚かせることが多々あった十湖だが、これでは戦死した藤吉こと友月に面目が立たぬ、大いに発句に専念しようと思っていた。

     庵の月心信濃に通ふなり 
  
 信州へ向かう十湖一行は、名古屋で中央本線に乗り換えた。
 目指すは長野の篠ノ井駅である。
 駅で買ったちくわをつまみに、冷酒を飲みながら車窓風景を楽しんでいた。
 やがて汽車が姥捨に差しかかろうとした頃には、十湖の頭がうなだれ居眠りを始めていた。
「いつの間にか師匠が寝てしまいましたね。朝が早かったから」
 十湖の向かいの席に座っていた一番若い弟子の閑里が、先輩格の隨處に向かって云った。
「そうだなあ。酒はそんなに飲んでいないが、これまでの家業の苦労も一息ついてほっとしたのだろう」
 隨處は、十湖の日ごろの多忙を慰めるかのように言った。
「次男の友月君は、戦争の犠牲者だよ。生きていればきっとここに居たかも知れない。師匠は友月の供養で忙しかっただろうと」
 友月と仲のよかった成佳が、口を挟んだ。
 十湖にとってこの道は三年前に一度来ているはずだった。
 そのそのことは誰にも言っていなかった。
 自分の心の中に隠しておきたい苦い体験だったからである。

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