鷹野つぎの養女時代余話(7)
五月、バルチック艦隊の全滅で各地では戦勝提灯行列が行われた。
連日の新聞はこの記事で埋まっていた。
浜松駅周辺では笹竹に紅提灯を付け、頭上に振りかざして戦勝を祝う市民らが集まっていた。
その光景を十湖は句に詠んだ。
提灯にてらす世界や夏祭
このころ日本軍が九連城を占領すると、浜松地方の学校では祝賀行事が組まれ、学生も参加した。
戦地の藤吉は八月十八日からは遼陽に向かって前進し、首山堡塁に対して攻撃を開始した。
日本軍の死傷者二万三千余人をだしたが、ロシア軍が退却を開始。九月四日日本軍が遼陽を占領した。
十湖の元でも戦勝に沸いていた。
「遼陽が陥落したか。遼陽占領祝賀祭だ。早速連歌会の開催支度だ」
十湖は機嫌良く囃し立てていた。
感情の高ぶりで句は考えずとも自然に口から吟じていた。
蜻蛉や百万の蚊をとり尽くす
この最中の八月三十一日、登之助がロシア軍との大激戦を交え、敵弾に当たり若い命を落としたことを知らない。
九月四日になっても十湖のもとには 訃報は届いていなかった。
明治三十七年八月三十一日十湖は五十六歳になっていた。その次男藤吉は二十七歳という若さの戦死であった。
地元の浜松新聞は登之助葬儀前の状況を記事として掲載するとともに、同日鈴木藤三郎氏と十湖氏と題して次のように報じていた。
――東京深川小名木川の日本精製糖会社社長にして衆議院議員なる鈴木藤三郎氏と松島十湖氏途は眤近の交わりある事なるが今度近藤曹長の戦死を聞きて先ず取敢えず香典として金五円を送付し尚葬儀の事については金一円以上と十湖との関係上巨額なる寄付を為す
いうまでもなく十湖と鈴木藤三郎との関係は盟友の何物でもない。
十湖の悲しみに対し藤三郎ができる最大の弔意を示したものだったろう。
十湖にとってどんなに慰められたことか。
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