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2025年7月22日 (火)

鷹野つぎの養女時代余話(15)最終回

 大正十四年喜寿の賀莚を開かれ本年五月二十五日浜松市鴨江寺境内に銅像の除幕式を挙げ、悠々自適の余生を大撫庵に送り七月十日七十八歳の生涯をとじた。
 隨處から手渡された葬儀の時に送る言葉の原稿を一読した石倉は、以上をもって十湖の全貌を伝えたとは思えなかった。
 ただ翁の報徳仕方の足跡を辿ってみたに過ぎないと感じていた。
 境内の片隅で参列者の行列を眺めていると、十湖の晩年は俳人として門に集う者の数も増し、決して失意のものではなかったと確信していた。
「石倉さんお久しぶりです。よくぞ遠くからお越しくだされ義父も喜んでいることでしょう」
 そう云って近づいてきた初老の男性がいた。
「・・・・」
 石倉はこの男に見覚えがない。
「私ですよ。鷹野です。鷹野弥三郎です。今では記者ではなくて小説家に足を突っ込んでいますがね」
「思い出しました。つぎさんのご主人ですね。奥様のお加減はいかがですか」
 石倉は懐かしそうに言放った。
 小説家なら妻の鷹野つぎのほうが有名である。
 だが義理の父の葬式だというのに姿が見えないのが気になった。
「それが今日は私だけが参りまして、つぎは子供の具合が悪く、家を離れることができないのです」
「さぞお困りでしょうね。葬儀が済めばただちにトンボ返りですか」
「そうなります。夜行列車の時刻を今確認しようと思っていたのです」
 鷹野は家のことが心配らしく、懐中時計を取出しては落ち着かない様子であった。
「鷹野さん、私は今十湖翁の人生を振り返って、記事にして紹介しようと考えていたところですが、あなたの持っている十湖像の一端をご教示いただけませんか」
 石倉は鷹野に対し自らの足りない部分を示して欲しかった。
「私が翁の伝記を作り始めたきっかけは翁に対する世評に興味を持ったことでした。当時、翁のことを人為して俗物、英傑にして愚鈍、野心家にして世捨人、聖人にして小人、大欲にして無欲、剛胆にして小心などと世間ではたった一人の人間に当てはめ評しています。これは悉く矛盾だらけです。私が翁に照らしてみると奇とは思えません」
 鷹野は真剣な表情で、まるで何か得体の知れないものと対峙しているような顔つきで云った。一息すると さらに話を続けた。
「翁の行動は人の意表に出て混乱しているように見えても、その裡を透かして見ると秩序整然たるものでした。翁の英傑にして剛胆なる所以です。時に軽薄で世間の笑いものにされるときは翁の愚鈍にして俗物なる所以です。常に道徳を口にしてひそかに善行し、自庵にて俳諧を楽しむ姿は真の聖人にして雅人であることを認めるでしょう。だが酒色に嵌り財産を失いかけたり、無益なことに狂奔して喧嘩を買ってしまうことを見れば翁は確かに小人であり、むしろ狂人ともいうべきでしょう」
 鷹野は十湖を世間がどう見ているかを淡々と話す。
「なるほど世間の評価はさまざまだ。鷹野さんご自身ではどう結論付けたのですか」
 石倉は冷静に語る鷹野の十湖像を知りたかった。鷹野の次の言葉を待った。
「かつて、私が翁の伝記を作っているとき、翁にいかなる先人を崇拝するやと問うてみたことがあります」
「それは興味深い。ぜひお聞かせください」
 石倉は両手を叩き喜びを隠せなかった。どうしても聞きたいことがそこにある。
「その答えに二宮尊徳、松尾芭蕉、渡辺崋山、林子平の四名を挙げてくれました」
「四人もいたのですか。その理由はお聞きになりましたか」
「ええ、今でも覚えています。尊徳は知行合一、言行一致、道徳家にして理財家なるがゆえに、芭蕉翁はわが風流の祖にして、津々つきざる超然顔なるがゆえに、渡辺崋山は節操高く清々球のごとく汚濁に汚れず忠孝兼備の奇士なるがゆえに、林子平は憂国の士として拳々として節を守り稜々たる侠骨千古の士なるがゆえに、と、一人一人に接するように説きました」
 鷹野はまるで十湖翁がそこに居るかのようによどみなく話した。
「この四人とは翁が目指していた人物像の一端であり、十湖像そのものではありませんか」
 石倉は少し興奮気味に鷹野に迫った。
 どう考えても十湖が向かおうと努めていた性格の、四方面を語ったという風に思われた。
 この四人の特徴を一丸として併せ持つとしたら、実に他の多数の名を挙げるにも等しく感動を覚えたに違いない。
 この答えにより十湖の内面に熱望した一端は知られるものであり、その熱望をもって十湖の生涯に実践し得た報徳仕方の業績の裏打ちとしては、褒めすぎではないと思われたのである。
「石倉さん、君子不器という言葉をご存じですか。荻生徂徠によれば容器には容量という限界がありますが、君子はそのような容器ではありません。言い換えれば君子は自由にして目的に応じ様々な人を使いこなすことができる人物の意だそうです。十湖翁が奇人とかいろいろな冠で云われてきた根源は、人の使い方にも政治手腕にも定まった容器はなかったからではないですか」
 鷹野が云う君子論は十湖に繋がっている。石倉は鷹野の意見に共感し感動さえも感じた。

 

昭和十一年初夏、東京郊外にある市立サナトリウムで療養中のつぎは、開け放たれたガラス戸から入ってくる風に冷たさを覚えた。
「硝子戸を閉めて下さらない」
 つぎはベッドの傍にいた弥三郎に、肩をすぼめながらか細い声で頼んだ。
弥三郎は木製の介添え者用の丸椅子から立ち上がりながら
「義父は俳句を友にして人生を謳歌していたね。僕の人生は後悔の連続だったけど君はまだまだ生きなくっちゃ、子供のためにもね」
 弥三郎はつぎの視線の先にある凛とした花菖蒲を見つめながら、そっと硝子戸を閉めた。

 

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                (完)

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