十湖外伝 雨後蝉(2) 歌人河合象子の生涯
庫太郎は明治三十一年(一八九八)帝大法科を卒業後、日本銀行に就職し、まもなく海外実務研究の名目で夢のような時間を描いて英国に渡航した。
だが日銀ロンドン支店では通常業務を任され多忙な日々を送り実生活は華やかどころか惨めで常に悲哀を感じていた。
「何しろ当時の留学生はポテトとパンばかりの生活で、その貧弱さ加減で話にならないほど、彼は最初と当てが違い大いにしょげていた」
後日談として同僚が語っていたという。
ところが、ある日突然歴史の大舞台に飛び出すような仕事が舞い込んできた。
明治三十七年(一九〇四)二月、日露戦争勃発と時を同じくして日本は戦費調達のための外債募集に動き出し、日銀副総裁高橋是清、秘書の深井英五ら一行がニューヨーク経由ロンドンにやってきた。
ロンドンでは横浜正金銀行支店の行員が外辺の事務手伝いをしていたが、十一月には日銀の行員が代理店たる横浜正金銀行監督のために駐在することになり、更にいくらかの加勢を頼んできた。その中に庫太郎が含まれた。
一転して業務は札束勘定や金庫番から外債募集に関する事務取扱をすることになった。
とはいえ、外国との交渉は専ら高橋是清、秘書の深井英五らが行い、機密事項以外の事務手続きは加勢の行員が行った。
高橋は云うまでもなく交渉の計画、市場観察、条件の商量等に力を注ぎ事務は深井が行っていたが、深井の手に余ることがあると高橋は暗号電信や文書の浄書の細事にまで自分でやっていた。
庫太郎らは、そのうえでの加勢であって彼らの行動に遺漏がないよう常に気を配って事務を補佐遂行していた。
入行七、八年目程度の庫太郎の眼には彼らの活躍は高嶺の花と映っていた。
外債募集も成果を上げ一旦関係者が帰朝するとロンドン支店にも静けさが戻って来た。
庫太郎はふと故郷の伯母象子を想っていた。 
(鈴木庫太郎 明治40年1月 ロンドンにて)
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