十湖外伝 雨後蝉(5) 歌人河合象子の生涯
古美術商の大崎は象子に関する遺品の中から、庫太郎が刊行した「河合象子遺稿」を繰り返し読み続けていた。
戦時下という世相の業務多忙な時代を背景にして、庫太郎が象子の生涯を遺稿として上梓するに至った理由をもっと深く知りたいと思った。
遺稿の始まりは江戸時代へと遡っていた。
三河の国吉田の里は今の豊橋市にあたり、幕藩体制下で吉田藩の藩庁が置かれ、東海の重要な防衛拠点であった。
吉田城は豊川の流域を背後にもち最後に入った城主は、大河内松平家である。
この城が築かれたのは戦国時代初期の千五百年代と古く、敷地内の桜も同様の歳月を経ているので古木も多い。
中でも天守の西方に広がる馬場付近は、桜の馬場とも称され城下でも知られる桜の名所でもあった。
弘化元年(一八四四年)、十歳になった少女田鶴は、その桜の馬場に近所の同じ年の雪乃と連れ立って、豊川の流れを眼下に治めつつ花籠を持って遊びにきていた。
「早いわね。もうこんなにも散っちゃって」
雪乃は嬉しそうに散った花びらを籠に納めている。
風で散る花びらのほか、鳥が蜜を吸い花の付け根から切り取って落としたものも多い。
田鶴は手に取って笑みを浮かべながら雪乃に見せると、そのまま花籠へ入れた。
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