十湖外伝 雨後蝉(1) 歌人河合象子の生涯
古美術商の大崎陽介は本腰を入れて蒐集品の整理を始めた。
昨年までは浜松の郊外に平屋を借りて商っていたが、退院後は市街地の自宅近くへ引っ越してきた。
三階建てビル一階フロアは買取り品が山のように積み上げてある。
本人にとっては段取り良く並べたつもりだ。
久しぶりに寒さが和らぎ、古びた灯油のストーブを切って、思いついた古書を片っ端から取り出しては書名を確認している。
その動作はてきぱきとしており、リズミカルでもある。
既に傘寿を越えたが眼と耳だけが若いころから自信があり、未だ老眼鏡もかけず字を追うことができる。
そのうえ髪も黒々として人の良さそうなおじさんと見間違うほどだ。
すると、積んだはずの古書が何らかの弾みで崩れ、手元に一冊の小型本が残った。
書名は「河合象子遺稿」とあり、今日の探し物の一部である。
昭和六年発行の非売品で著者は故河合象子、発行者は鈴木庫太郎とある。
銀色の布張りで著者の故郷にちなみ、曳馬野の萩を描いた上品な装丁は著者、発行者共々の人柄を表わしているようだ。
この本をはじめとした河合象子関連資料は地元顕彰団体が保存していた個人の遺品で、団体が活動し始めたきっかけになったものだった。
経年で団体の活動にも陰りが生じ、関係資料はいよいよお蔵入りとなるところを大崎が引き取ったものだった。
顕彰団体が集めた資料には庫太郎が象子に対して敬意を払い生前に受けた恩恵に感謝している文面があった。
大崎は象子の生涯を語るには庫太郎を知ることであり、その人生にも興味が広がった。
夕日照る根元の岩の白躑躅にほふあたりは暮れむともせず
河合象子 詠
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