十湖外伝 雨後蝉(8)歌人河合象子の生涯
この日以来、田鶴は高熱が下がっても臥せてばかり、周囲を気にして虚ろな目で会話もなく、食事の量も減り痩せ細っていった。
既に二年の歳月を費やしていた。
熊之進はその姿を見るに忍びなく、何か尽くす手立てはないものかと思案の末、田鶴に和歌を教え込むことを試みた。
熊之進は城内では和歌を嗜むことで知られ、号を五百杵という。
歌を作ることは心に集中力をつけることになり、歌の定型を会得すれば自信にもつながる。
田鶴が病から抜け出すきっかけになろうと淡い期待を歌作りに求めた。
和歌のつくり方を教えると、最初は無表情だった田鶴に変化が現れ、熊之進の教えは伝わっていたかにみえた。
そのうち書くことを勧めると、やがて枕元に詠んだ歌が書いて置いてあった。
身の回りの出来事を一語一語嚙みしめ組み立てて和歌になっている。
ある日熊之進は田鶴に
「号をあげよう。お前はこれから和歌の小牧だ」
と微笑しながら言い放し、和歌を作った時には褒めた。
弘化三年(一八四六)祖母九十歳の賀に田鶴は和歌二首を作る。
それを見た熊之進は書かれた半紙を手にとって
「一に曰く、ここのへの坂路やすやす行き行きて百重の山も近き君かな」
と朗々と詠みあげてみる。
「実によい歌だ。小牧は素質があるぞ」
田鶴を前にして褒めたたえた。
だが彼女の表情は変わらず、顔色も冴えなかった。
熊之進は不憫な奴だと悲しみに堪えた。
(父、熊之進の和歌集)
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