門松は 冥土の旅の一里塚
門松はめいどのたびの一里塚
馬かごもなく とまりやもなし
一休
頓知で知られた“一休さん”、すなわち臨済宗の高僧・一休宗純 (1394-1481) の残された言葉である。意訳すれば、「正月の門松を立てるたびに人間は死へと近づいて行く。乗り物なければ泊まる宿もない死出の旅路の始まりなのだ」ということになろう。正月が来るたびに思い出す名句であり、私が“覿面(てきめん)の今”を大事にするもとになったものである。
当山の山門は、松竹梅で飾られている。向かって右手の松は五葉松、左手の梅は枝垂れ梅、そして右手六地蔵の奥には亀甲竹が植えられている。まさに「万福多幸」のめでたさである。
余談はさておき、正月らしく「松に古今の色なく、竹に上下の節あり」という禅語について述べてみたい。
松は言うまでもなく、四季の変化に関係なく常に緑を保って、堅固なることを言ったもので、松の緑のような変わらぬ真理に目覚め、生きていくことを示している。
竹には上下の節があるが、これは時節と共に移り変わっていくものを表している。
すなはち、時の流れは松の緑と同じように変わることはない。しかし、なにも変わらない時の流れの中にも竹のように上下の節はある。新しい年を迎えるということも、まさにその節目の一つであろう。
正月だといって浮かれていても、いつもと全く変わらない今日一日ではある。新年という節目を迎えたが、何ら平生と変わることのない一日でもある。
我々はともすれば目先の変化に目を奪われて、その根底に常に変わらずにある大切なものを見逃しがちである。
一休禅師はシャレコウベを掲げて、
門松や 冥土の旅の 一里塚
めでたくもあり めでたくもなし
と歌い、正月だからといって只只浮かれている人々に警鐘を与えた。
常に移り変わりゆくものと、決して変わることのない真理とを、しっかり見極めて生きてゆきたいものである。
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