3雷大江

笠井商人の悪弊打破をめざし再び県へ赴くが、県官大江がたちはだかる

2022年6月24日 (金)

俳人十湖讃歌 第24回 雷大江(9)

 吉平も肩透かしを食らったようなものだった。
「投書の詳細は既に新聞報道のとおりです。しかし、この報道により私は明日の命が約束されていません。いわゆる笠井村の古屋敷の者らは私を暗殺せんとして、狙っている者もあるやと伺っています。本日はぜひ県令の御助力によりこの命奪われようとも笠井の悪弊を絶つようお願い申し上げます」
 吉平の声は普段とは違い、少し上ずっていたようだった。
 さすがに県の上役、しかも理論派雷大江を相手では歯が立たない。
 ここは泣き落としこそ勝利を呼び寄せる。
 吉平の仕組んだ演技が効を奏すはずだった。
 だが大江は吉平の態度は芝居だと見抜いていた。
「お前の云う事はよくわかった。吉平の誠心を見た思いだ。よって県は側面から助成しよう。ただし、古屋敷の輩とは、吉平、お前が対応し悪弊の習慣を打破しようではないか。困ったときは県がいつでも助け舟になろう」
 大江は雷を落とすどころか、まるで赤子をなだめるごとく、笑みを漂わせて吉平に云った。
 帰り際、吉平は空を見上げてひとり呟いた。
 ――結局わし自らで解決せよということか。ついつい大江に乗せられてしまった。一枚上手だったな
 数日後、村中を東奔西走し誠心をもって努めた。県が背後で助成していることを知った頑固な古屋敷の輩も、ついに吉平の誠心に動かされ悪習慣をやめることに承諾し、和解の好結果を得るに至った。
 終わってみれば県の助力と云うより投書の効果が大で、吉平こと十湖の名を世間に広げ得るのに一役買った顛末となった。
 笠井村にとっては停滞していた商業の繁栄も、これを機に将来に向けて好機となったことは事実であった。
 
                (完)

 Saeduri_3


 

にほんブログ村 小説ブログ 歴史・時代小説へ
にほんブログ村

 

にほんブログ村 ポエムブログ 俳句へ
にほんブログ村

 

にほんブログ村 地域生活(街) 中部ブログ 浜松市情報へ
にほんブログ村

 

 


歴史ランキング

 

 

 

| | | コメント (0) | トラックバック (0)

2022年6月22日 (水)

俳人十湖讃歌 第23回 雷大江(8)

 これまでは事務室内で事足りていたが、今回は様子が違うと少し緊張の面持ちになった。
 県官が再び部屋の扉を叩くと、中から大きな声が響いてきた。
「よし、入れ」
「戸長の松島吉平を連れてまいりました」
 県官が一言いうと扉を開け中へ押し入れた。
「わしが県令事務取扱の大江である。お前が戸長の松島吉平だな」
「はい、中善地の松島吉平です」
 と名刺を差し出した。
 大江は吉平が請願で何度か来たのは覚えているが、顔を見るのはこの時が初めてであった。
「それでは十湖なる者を同道したか」
 大江は扉の方を見ながら吉平に問う。
「いえ私が十湖です。具申書を書いたのは十湖こと私です」
「なんと、つまり、吉平は二つ名を持つというのか」
「そのとおりです。具申書はあくまでも地域の要望であったので、それを代表して書いたものです。よって戸長である自分ではなくて俳号の十湖としたのです」
「吉平、署名のことは理解した。戸長としての職務をではなく住民代表として書いたということだな。このこと公職を担う者として当然のことだ。さて、投書の件だが」
 大江は懐中時計を取出し、左手を頬にあてがいながら針を見てじっと黙ってしまった。
 吉平にとって、大江の雷がいつ落ちるのか、このときが長く感じられた。
 まもなく大江は云った。
「お前の云うことはよくわかった。」
 静かな口調で、雷大江とあだ名があるくらいなのに、あっさりと話は先へ進んでしまった。

Kaicyutokei_2

 

 

にほんブログ村 小説ブログ 歴史・時代小説へ
にほんブログ村

 

にほんブログ村 ポエムブログ 俳句へ
にほんブログ村

 

にほんブログ村 地域生活(街) 中部ブログ 浜松市情報へ
にほんブログ村

 

 


歴史ランキング

 

 

| | | コメント (0)

2022年6月19日 (日)

俳人十湖讃歌 第22回 雷大江(7)

「戸長松島吉平は責任をもって松島十湖を同道せよ」とある。
 彦三は県通知の中身に不信感を持っていた。
 吉平も十湖も同一人物なのに、県はそれがわかっていない。
「彦三、お前が十湖になり代わって、わしに同道するというのはどうかのう」
「それでもいい。だが本論に入ったときは俺では答えられんから、しっぽが出てしまいまずいことになるぞ」
「しかたがない。わし一人で行くか。きっと県令は驚くはずだ。本論の話が反れてしまいそうだ」
 吉平がそこまで云うと、二人で高笑いをしていた。
 満開の花びらが春風に心なしか散り始めたような気がした。
 吉平は浜松県庁を目指していた。
 高町の坂はもう何回となく往復している。
 先だっての渡船の許可の件だけでも四十数回も足を運んだ。
 おかげで実現にこぎつけたが、思えば百姓代になって最初の公職との戦いだった。
 ――今度は戸長になっての初仕事、地元の悪弊を立つ正義の戦いだ。たかが県だ。こっちは何も悪くない。県だって悪いことをしているわけじゃないが、ようするにどちらも正義だ。ただそれぞれ立場の誇りがある。そのためには議論が必要だ
 吉平は歩きながら自らに問い、自分を励ましていた。
 県令室の扉を叩いた吉平の前に県官が顔を出し、事務室の中を通過し県令の部屋まで吉平を誘導した。

Doa

にほんブログ村 小説ブログ 歴史・時代小説へ
にほんブログ村

 

にほんブログ村 ポエムブログ 俳句へ
にほんブログ村

 

にほんブログ村 地域生活(街) 中部ブログ 浜松市情報へ
にほんブログ村

 

 


歴史ランキング

 

 

| | | コメント (0)

2022年6月17日 (金)

俳人十湖讃歌 第21回 雷大江(6)

 中善地の吉平の邸には今月の初めに咲き出した桜が満開になっていた。隣村の彦三が縁側に座り上機嫌で桜を褒めている。
「穏やかな日が続き桜ものんびり咲いてらあ。それにしても吉平はそんなに忙しいけえ」
 廊下から奥の様子を覗き込むようにして、吉平の妻佐乃が出してくれたお茶をすすりながら、佐乃に訊ねた。
「そうなんです。戸長になった途端、書き物が多いようで、こうして書院に籠ったまま一日が過ぎてしまうことがしばしばです」
「せっかく桜が満開だというのに俳句でもひねらんと体がもたねえのになあ。吉平よ」
書院に届かんばかりに大きな声で彦三は呼びかけた。
「待て待て、すぐに行くよ」
 廊下を隔てて吉平の返事が返ってきた。
「なんだよ。来いと云うのでわざわざ用を放り出して来てやったのに・・・」
 彦三は少々気が短いようだ。ぼやきに変わっていた。
「待たせたな。さっきに郵便が届いて、ほらこれだ」
 吉平が封を切った手紙を差し出した。差出人は浜松県令とある。
「ほう、早速県令からの呼び出しか。反応が早かったな」
「いやそうでもないだろう。まだ事態がつかめないので聴き取りをしようと云うのではないか。県の早い対応は投書のせいだ。読者が知ってしまったからほおってはおけんだろう」
「すると俺らの先手勝ちというところか」
「確かに二段構えで訴えるというのは効果的だった。だが、まだ勝負は決まっていない」

Manabu2

 

にほんブログ村 小説ブログ 歴史・時代小説へ
にほんブログ村

 

にほんブログ村 ポエムブログ 俳句へ
にほんブログ村

 

にほんブログ村 地域生活(街) 中部ブログ 浜松市情報へ
にほんブログ村

 

 


歴史ランキング

 

 

| | | コメント (0) | トラックバック (0)

2022年6月14日 (火)

俳人十湖讃歌 第20回 雷大江(5)

 浜松県の県令室では大江孝文事務官がこの日の新聞を開いていた。
 ――これは投書の形をした告発書だな
 大江はひとり呟きながら文を読んでいた。
 このとき県令室の扉をノックする音がして若い県官が一人入ってきた。
「ただ今、具申書が届きました。見たところ新聞登載の記事と内容は変わりありません」
 と云いながら県官が大江に具申書を手渡していた。 
「署名は松島十湖とあるが、知っている人物か」
 大江は県官に訊ねた。
「浜松の俳諧師の一人です。なかでも十湖はこの地域では若いのに宗匠格だと聞いています。住所は戸長の松島吉平宅と同じですが、弟子たちの居住する建屋ではないかと思われます」
「そうか、直ぐにも松島十湖を呼び出せ。同地区の戸長に責任をもって出頭するように通知せよ。十湖を同道せよとな」
 県官に対し大江は冷ややかな声で指示した。
 ――どうするかは会ってからの話だ。
 大江は今の段階では結論を出していなかった。
 事情を整理する必要はあるが、あまりにも裏付けの資料がないことに苛立っていた。

Kenreisitu

 

 

にほんブログ村 小説ブログ 歴史・時代小説へ
にほんブログ村

 

にほんブログ村 ポエムブログ 俳句へ
にほんブログ村

 

にほんブログ村 地域生活(街) 中部ブログ 浜松市情報へ
にほんブログ村

 

 


歴史ランキング

 

| | | コメント (0) | トラックバック (0)

2022年6月12日 (日)

俳人十湖讃歌 第19回 雷大江(4)

 吉平は笠井の悪弊を打破せんと、その実態を浜松県に具申する内容で地元紙に投書した。
 投書の詳細は次のとおりである。
 ――由来、地方には偏狭極まる悪習慣あり、これを矯正せんと欲する心ある人、往々あるも却々に成す能わず、彼らはその悪習を確然たる一法則たるがごとくに信じ、容易に脱却せんとせず、いわんや一家営業の利害盛衰の如何に関係あるものに於いてをや。これらの悪弊は今日にありてもなお止まざるもの多し、されば明治初年にして、国政すべてに幕府の手を離脱したるのみにて、未だまったく幕府時代の習慣にとらわれているが、この笠井村の悪弊も隠然一法則のごとき観を現したり。そもそもこの笠井村は戸々連庇として一小市街を為し、加えるに月六回の定期市場を開き、遠近の商売衆が集いし,百貨輻輳するところなるをもって、毎戸皆商業を営み、市街は北より南に向かい、南方を古屋敷と称し、北方を新屋敷と称して、新屋敷に新たに商店を開かんと欲する者は必ず古屋敷に一戸を所有する者にあらざれば為す能わざると云う如き、今より考えみれば実に愚にもつかざる悪弊あり、もってありやとして進歩せんとする同村もかかる束縛のため、その道を閉ざるること甚だしき、慨嘆に堪えず。
 以上をもって投書には松島十湖と署名し浜松県への具申書も添付する。
 このとき庭の竹やぶに一陣の風が吹き抜け、したり顔の吉平は大きくひとつため息をついた。
 数日後、地元紙報知新聞に掲載される。

Takeyabu

 

にほんブログ村 小説ブログ 歴史・時代小説へ
にほんブログ村

 

にほんブログ村 ポエムブログ 俳句へ
にほんブログ村

 

にほんブログ村 地域生活(街) 中部ブログ 浜松市情報へ
にほんブログ村

 

 


歴史ランキング

 

| | | コメント (0) | トラックバック (0)

2022年6月10日 (金)

俳人十湖讃歌 第18回 雷大江(3)

 彦三は自分らが関わる事件ではないからあきらめよと云わんばかりである。
「うーむこりゃ困った。そうはいっても悪習を見逃すわけにはいかないな。手を変えればどうか」 
「手を変えるだと。どんなふうに」
「たとえば新聞に投書するとか」
「その方法はいいかもしれない。だが誰が解決してくれるのか」
「それはわしにもわからん。すくなくとも笠井の悪習を新聞読者が知ることにはなる。投書の意見が、どう一人歩きするのか見守っていればいい」
「おいおい、吉平にしては気の遠くなる話だな」
 彦三は笑いながら、吉平の顔を見て脈を確かめていた。
「そうと決まったら戸長として投書するか。いや待て、それでは地位を利用した意見になってしまう」
「それじゃ吉平の俳号十湖名で投書してみたらどうか。多くの読者は十湖がまた吠えていると面白がるだろう」
「それもそうだな。よし早速書いてみるか。わしに任せよ」

Tositatuan

 

にほんブログ村 小説ブログ 歴史・時代小説へ
にほんブログ村

 

にほんブログ村 ポエムブログ 俳句へ
にほんブログ村

 

にほんブログ村 地域生活(街) 中部ブログ 浜松市情報へ
にほんブログ村

 

 


歴史ランキング

 

| | | コメント (0) | トラックバック (0)

2022年6月 5日 (日)

俳人十湖讃歌 第17回 雷大江(2) 

 目じりの下がった気立ての好さそうな初老の男が、おだやかな口ぶりで吉平に訊ねた。
「その件はわしも知っています。これは笠井の伝統だとかと云って、他村の者が商売をすることを排除しているようです」
 吉平は地元では周知の事実だと説明し、自らも何度か注意を促したが相手は聞く耳を持たんと云う。
 今のところ何も解決策をえていないと素直に応えた。
「戸長様までそんな臆病風を吹かしていたら、笠井の町は浜松から取り残されますよ。この際戸長様のお力で、この笠井の悪習を断ち切ってくれませんか」
「ご意見は拝聴しました。早速、地元の連中と手立てを考えてみましょう」
 俳人仲間からの意見は聞かねばならない。
 しかも内容は地元の悪習打破であり、民の懸案事項なのだ。
 戸長が解決しないで誰がするのか、自らを奮起した。
 次の日、彦三を自宅へ呼んで
「実はこういうわけだ。笠井の有力者で話の分かるやつはいるか」
 吉平は幼馴染の彦三に事態の説明をして協力を求めた。
「金がかかわる話は一筋縄ではいかないぞ。それが商人の新規参入となると俺らの出る幕ではないわい」

Renku

 

にほんブログ村 小説ブログ 歴史・時代小説へ
にほんブログ村

 

にほんブログ村 ポエムブログ 俳句へ
にほんブログ村

 

にほんブログ村 地域生活(街) 中部ブログ 浜松市情報へ
にほんブログ村

 

 


歴史ランキング

 

| | | コメント (0) | トラックバック (0)

2022年6月 3日 (金)

俳人十湖讃歌 第16回 雷大江(1) 

   吉平の活躍は村内外にも知られ、明治六年、戸長役場の制度が公布されると初代中善地村戸長を命じられた。
 吉平は、報徳社の活動とともに戸長としての職務も忠実に果たした。
 と云っても、別に事務所を設けて事業をするわけでなく、庄屋のような役割を担い村民の意見に耳を傾けていた。
 そればかりか、いまでは宗匠であり、十湖の俳号をもって句会に招かれることが多々あった。
 自宅内の大撫庵にも、全国から旅をしながら一宿一飯の宿を乞いに、名だたる俳人たちが句会に訪れていた。
 大撫庵とは吉平の邸に隣接した建物を、俳人や門人、弟子たちを住まわせて自由に句会を開く場を提供しているところである。
 吉平にとって全国の情報を得るまたとない機会の場でもあった。
 若い吉平には、唯一心が安らぐのは俳句の会であった。
 ある日、地元の商人たちが集まる句会に招かれた。
 終了後に宴を催したとき、俳人十湖こと戸長としての吉平に意見が求められた。
「わしは浜松の繊維問屋だが、笠井に店を出したいと借家を探していたところ、何処も貸してくれん。どうしたもんかと俳句仲間に相談したら、他所もんには貸さんと云う。こんなことがあってもいいのだろうか」

(大撫庵 銅版画)
Daibuan

 

にほんブログ村 小説ブログ 歴史・時代小説へ
にほんブログ村

 

にほんブログ村 ポエムブログ 俳句へ
にほんブログ村

 

にほんブログ村 地域生活(街) 中部ブログ 浜松市情報へ
にほんブログ村

 

 


歴史ランキング

 

 

 

| | | コメント (0)