俳人十湖讃歌 第28回 戸長の重責(4)
その後を追うように酒の四斗樽数本と肴が届く。
「腹が減って寒くては動けないだろう。皆の衆、さあ飲め、食え。戦はそのあとだあ」
吉平は腹の底から声を出した。これだけでも彼らを鼓舞するには充分であった。
その間警官が堤防の警戒を怠らなかった。、
やがて酒肴が空になったのを見届けて、吉平は自ら指揮を始めた。
「よーしこれから作業を開始する」
「おー」
吉平の指揮に、車座になっていた人夫たちから一斉に掛け声がかかった。休むことで元気が甦ったようだ。
「それから、わしの指図通りやって呉れる者はひとりに二人分の金を出す」
金の事まで云われて人夫は大いに意気を挙げた。これこそ吉平の思うつぼであった。
指図は各自に的確にした。
蛇篭を投げ入れ、枠を入れ堤を添えた。
もはや堤の修復は時間の問題となった。
白々と夜が明け始めたころ川に大きな渦が逆巻いていた。
だが今やっている作業で堤が壊れる心配はないとわかると吉平はさっさと自宅へ戻った。
戸長の大橋は結局目標とした時間の半分で、辛くも洪水の危機は免れたのである。
その日の昼近く、玄関で横になっていると大橋が訪ねて来た。
「昨夜は本当に助かった。人夫が動かんで困っていたが吉平さんの力で甦らせてもらった。おかげで洪水の危機から免れたよ。それに自前の金で酒肴や人夫の給金まで出してもらって申し訳なかった」
大橋は申し訳なさそうに両手をこすりながら頭を下げた。
「まあ結果がすべて良かったから云えることだが、酒はそっちにつけておいたから。給金はわしの立替だから後から届けてくれ」
吉平は口に楊枝を加えたまま涼しい顔で大橋に云った。
翌朝、川の様子を見に行った吉平は濁流となった天竜川を臨み
――川との闘いだ、どんなに時間がかかってもいずれは勝ってやる
戸長としての決意を新たにしていた。
同年、十湖の俳句の師柿園嵐牛より白童子の号と印鑑を受ける。
(完)
| 固定リンク | 0
| コメント (0)
| トラックバック (0)