4戸長の重責

吉平は村人をまとめることに腐心する。雨の多い季節は天竜川の氾濫が最大の難敵。どうする吉平、戸長としての挑戦だ。

2022年7月 8日 (金)

俳人十湖讃歌 第28回 戸長の重責(4)

 その後を追うように酒の四斗樽数本と肴が届く。
「腹が減って寒くては動けないだろう。皆の衆、さあ飲め、食え。戦はそのあとだあ」
 吉平は腹の底から声を出した。これだけでも彼らを鼓舞するには充分であった。
 その間警官が堤防の警戒を怠らなかった。、
 やがて酒肴が空になったのを見届けて、吉平は自ら指揮を始めた。
「よーしこれから作業を開始する」
「おー」
 吉平の指揮に、車座になっていた人夫たちから一斉に掛け声がかかった。休むことで元気が甦ったようだ。
「それから、わしの指図通りやって呉れる者はひとりに二人分の金を出す」
 金の事まで云われて人夫は大いに意気を挙げた。これこそ吉平の思うつぼであった。
 指図は各自に的確にした。
 蛇篭を投げ入れ、枠を入れ堤を添えた。
 もはや堤の修復は時間の問題となった。
 白々と夜が明け始めたころ川に大きな渦が逆巻いていた。
 だが今やっている作業で堤が壊れる心配はないとわかると吉平はさっさと自宅へ戻った。
 戸長の大橋は結局目標とした時間の半分で、辛くも洪水の危機は免れたのである。
 その日の昼近く、玄関で横になっていると大橋が訪ねて来た。
「昨夜は本当に助かった。人夫が動かんで困っていたが吉平さんの力で甦らせてもらった。おかげで洪水の危機から免れたよ。それに自前の金で酒肴や人夫の給金まで出してもらって申し訳なかった」
 大橋は申し訳なさそうに両手をこすりながら頭を下げた。
「まあ結果がすべて良かったから云えることだが、酒はそっちにつけておいたから。給金はわしの立替だから後から届けてくれ」
 吉平は口に楊枝を加えたまま涼しい顔で大橋に云った。
 翌朝、川の様子を見に行った吉平は濁流となった天竜川を臨み
 ――川との闘いだ、どんなに時間がかかってもいずれは勝ってやる
 戸長としての決意を新たにしていた。
 同年、十湖の俳句の師柿園嵐牛より白童子の号と印鑑を受ける。
(完)

Tunryu
(当時の天竜川上流)

 

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2022年7月 6日 (水)

俳人十湖讃歌 第27回 戸長の重責(3)

「おおい吉平さ、起きてるか」
 ドンドンと玄関の戸をせわしなく叩く。雨脚はだいぶ遠ざかったようで玄関を叩く音だけはよく響いた。
「誰だ。何かようか」
 吉平は戸を開けながら聞くと
「すまん俺だ。うちんとこの堤防が破られそうだ。皆で堤防を積んでいるが、もはや力果て気力も失せてしまった。なんとか助けてもらえないだろうか」
 訪ねて来たのは隣村の戸長大橋だ。
 背後に若い者二人が顔を覗かせた。
 隣村では士気が低下し、皆体力が失せていることを吉平は察した。
「それじゃ誰か酒屋へ走らせよ。ついでに警察にも出張を乞いに行かせよ。お前とわしは急いで現場へ向かうぞ」
 倉中瀬の堤防からは暗くて川の流れは見えないが、まだ堤防が氾濫するには至っていないようだ。
 九月とはいえ水に濡れれば肌寒い。
 しかもこんな夜中に、飲まず食わずで作業してもはかどるはずがない。
 いっそ、夜明けを待って動く方が賢明なはずだ。
 戸長大橋にはその判断ができず、異常事態には少しでも早く対処すればよいとの思いが先回りして、指揮だけが空回りしているようだ。
 間もなく、堤防に警官がひとり走って来た。

Akihatoro
(秋葉山灯篭より天竜堤防遠望)

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2022年7月 3日 (日)

俳人十湖讃歌 第26回 戸長の重責(2)

 戸長としての役割が曲がりなりにも果たせ、それなりに恰好がついてきた明治七年十一月、浜松県より第一大区三十小区中善地戸長を命じられた。
 浜松県の区割り変更によるもので戸長となったが、責任は村長並みになった。
 吉平は若さゆえやる気もあり、これによりさらに辣腕を発揮し村の改良に取り組み、自らの理想の実現に努めた。
 しかしながら心配の種は天竜川のこと、雨が降れば氾濫に備えなくてはならん。
 普段は網の目のように水が流れ大きな洲があちこちに現れているが、いったん洪水となると川幅いっぱいに流れる。
 住人にとって天竜川の恩恵を受ける一方、天竜川と戦いながら新しい土地を作って生きてきたのだ。
 それは古代からも言えることで、流域の支流にあたる豊田川(通称大川)沿いで、昭和34年蝦夷森古墳が発見され稲作をしていたことが分かった。
 6世紀前半に住み着いたといわれ、彼らにより地域に治水などの土木技術や新しい文化が広がったらしい。
 彼らも天竜川の氾濫との戦いの歴史を作ってきたのだ。
   
 明治元年に中善寺村中島が破堤したことがあったが、この年は、またしても氾濫の危機が迫っていた。
 吉平宅に中善地の村の衆が集まって対応を検討中であった。
「今見てきたら、こっちの方は堤防の決壊の心配ないが隣村の倉中瀬の堤防が危ない。もう時間の問題だ」
 監視をして戻ってきた者から報告があった。
「だが隣は何も言って来んぞ。自分らだけで守れるのだろう」
「そうだ、そんならわしらは家へ帰って自分の田畑やうちを守らなくはならねえ」
「それじゃあ少し様子を見るか、川の監視は交代でやれ。異常があればすぐにもわしに一報せよ」
 吉平はみなにそう云ってこの場は解散した。
 夜半になり雨も子安状態となったところで、吉平は仮寝をし始めた。
 なんとかする手立てを考えねばと思いつつ眠りに入っていった。
Ebisumorikofun

Ebisumorikofun2               (蝦夷森古墳)

 

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2022年7月 1日 (金)

俳人十湖讃歌 第25回 戸長の重責(1)

 政府は明治五年十一月九日に改暦詔書を出し太陰暦を廃止し、今後太陽暦を用いるよう全国に通達した。
「明治五年十二月三日を以って、明治六年一月一日とする」
 要するに、この年は十一月で終わり、十二月一日は太陽暦の一月一日となった。
 しかし太陽暦が何なのか知らない者は、これまでどおりの習慣の太陰暦に頼っていた。
 なかでも、もっとも深刻だったのが、百姓だった。
 従来の慣習によらないと種まきから収穫まで、さっぱり見当がつかなくなってしまうのだ。
 また季語を命とする俳諧にとっても混乱を招いていた。
 ――されば暮の餅撞くこともあわただしく、あるは元旦の餅のみを餅屋に買ひもとめて、ことをすますものあり。
 ――俳句を作るにも初春といひ梅柳の景色もなく春といわねばならず、桃、櫻も皆夏咲くことになって、趣向大ちがいとなれり
 吉平は、どうしたら村民が太陽暦に馴染んでいけるのか思案中であった。
 改暦が施行されて既に一年となる。
 そこで思い浮んだのは翌明治七年より年々一月二日をもって中善地村の住民を自邸に招いて正月を喜び、一同で年頭の挨拶を述べたら、それぞれ自宅へ戻り年賀の行事をするのはどうだろうか。
 これを皆で続けることによって一村よく親睦することになろう。
 吉平には我ながらの名案だと気を良くしていたところ、この企画が見事に当たり何処の村よりも早く太陽暦に馴染んでいった。

Kaireki




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