8曲り松の別れ

郡長を辞任し、皆と別れを惜しむ日が来た。

2022年11月28日 (月)

俳人十湖讃歌 第69回 曲松のわかれ(12) 

「十湖さまあ、乗って下せえ」
 背格好のがっしりした人力車の車夫が叫びながら後を追って来たのだ。
「松五郎ではないか。こんなところまでよく来たな」
 吉平は何事かと振返った。
「この日が来るのを六年待っていました。さあ乗っておくんなせえ」
 松五郎は吉平に声をかけられたことの喜びを隠せないらしく、ニヤニヤしながら人力車を下げ急く様に言う。
 吉平がしぶしぶ乗ると人力車は踵を返して見送り人の方を向いた。
 まだ立ち去りがたい多くの見送り人の顔があった。吉平は再び礼を云い手を振った。
 これで本当に地元引佐との別れである。
 人力車は生まれ故郷の中善地を目指して矢の如く走り始めた。背後に見送り人の拍手や歓声が徐々に遠ざかっていくのがわかった。
「松五郎そんなに急がなくても良いぞ。今日はどこへも行かん。家へ帰るだけだからのう」
「十湖様、家じゃ奥様と坊ちゃまが首を長くして待ってますぜ。それにたくさんのお弟子さんが大蕪庵で十湖宗匠帰庵の句を披露しようと今か今かとお待ちかねでっせ」
 松五郎は振り切る風に負けないよう怒鳴り声で云った。吉平は少しの間をおいて
「そうだ。俳句があったな。明日からは月並の棟梁で十湖宗匠だ」
 思い出したように大きな声で返した。
 夏の太陽は既に西に傾きはじめ、吉平は車上で両手を上げながら大きな背伸びをした。
 その夜吉平は郡長として赴任した頃の夢を見た。

              夢に入る秋や引佐江引佐山

         (完)

 Ma3
(今も残る曲り松と十湖の句碑)

Yomoyama


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2022年11月25日 (金)

俳人十湖讃歌 第68回 曲松のわかれ(11) 

 吉平はこの道中に見た臨時の売店の西瓜や氷、饅頭を全て買占め、女子供を含む見送りの人々に配った。
 用意してあった薦被りも三つとも空けて決別の宴としたのだった。

   送迎の一万人ぞ月の友

 吉平は一同に挨拶し句を披露する。傍にいた気賀村戸長本田佐平がさらに続けた。

   樹々草々に置き余る露
 
 吉平が背後にいた書記の小山から短冊を受け取ると、墨を付け直し一句認めた。

    別るゝは又逢ふはしょ月の友

 決別の句を披露したところで一同に頭を下げ、風呂敷包み一つを手に歩き始めた。
 目指すは自宅邸へ、これより六里余の先にある浜名郡中善地である。
 曲り松からはちょうど東へ東へと向かっていけばよい。
 しかも、ずっと下りで上がり坂はない。夕方までには十分着くだろうと思っていた。
 とその時、見送り人の列を分け入って
 「どいておくんなせい」
 大きな声が響き、吉平の前に真新しい人力車が一台飛び出してきた。

Tukinotomo

 


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2022年11月20日 (日)

俳人十湖讃歌 第67回 曲松のわかれ(10)

 吉平は行列の先頭へ戻り、見送り人たちに振舞った西瓜の片割れを美味そうに一口食べると
「そろそろ行くか」
 吉平が立ち上がったのを機に、思い思いの場所で休憩していた見送り人がどっと周りに集まってきた。
 参集した中にはそれぞれの村の戸長、総代のほか、既に帰ったかと思われた学校の教師や生徒、父兄も含まれていた。
 さらに三農学社の社員らは持ってきた幟を掲げ、曲り松付近が式典会場さながらな様相となった。
 今朝方の出立の際は雨も降っていたのに、今はまさに暑い盛りである。
 その中を見送りの列は延々と町境から東へ一里続いた。誰一人として帰る者はなく、ここまでやってきたのだった。
 曲り松の地は、江戸時代、気賀の領主や街道を通る行列を送迎した場所といわれ、樹齢数百年の枝ぶりのよい松があったことから、この名が付いたという。
 地元民にとっては別れの場所として知られていた。吉平も郡長在任中は何度か視察に来る客の送迎で来ていた。
 曲り松には事前に薦被りを三樽用意してあったが、まさかこんなに女、子供まで行列してくるとは嬉しい予想外であった。

Sora84


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2022年11月15日 (火)

俳人十湖讃歌 第66回 曲松のわかれ(9)

 吉平は曲り松の木蔭で休み、浮き雲の行方を眺めていた。
「長い行列になりましたなあ。郡長殿との別れを惜しんで皆去り難いようです。六年間という短い期間であったにもかかわらず、多くの事業を成し遂げられ、その功績が今日の行列になっているようです」
 部下の小山が周囲の様子を気にしながら、吉平に告げた。
「うーむ、この暑い中を皆ご苦労じゃのう」
 吉平はまんざらでもなさそうに、口髭を撫でながら周囲を見渡した。
 藤棚の下に人力車に乗ったまま休んでいる野末九八郎の姿を見つけると
「野末翁、今日はご苦労だった」
 近寄っていった吉平は親しそうに笑顔で挨拶をする。
「吉平郡長、わしこそ随分世話になった。村の衆が幸せになったのもあんたのおかげだ」
 翁と呼ばれた野末は謙遜してことばを返した。
 野末は吉平にとって地域の農業を改革していくうえでは重要な存在のひとりであった。
 今、こうして面と向かってみると、かつて黒々としていた口元の髭が心なしか威厳が無く、老体に鞭打っていたのかとその苦労の程が偲ばれた。
 吉平は別れを告げ、心で涙した。
(野末九八郎が社長に選任された時の経過)Nozuekuhachiro

 


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2022年11月11日 (金)

俳人十湖讃歌 第65回 曲松のわかれ(8) 

 既に真夏の太陽は頭上に近く、その眩い暑さの中を総数二千七百四十人余が数十町の間、行列となって吉平の後に続いた。
 道筋には西瓜売り、氷売、饅頭売など臨時の露店が軒を並べ、先頭が長坂あたりに着いても後の列は気賀の市中にあった。
 長坂を登る途中、いつの間にか行列の中から子供らの一群が近づいてきていた。
「見えるぞ俺らの家が」
「うちもだあ。小さいなあ」
「あれは庫太郎のうちじゃあないか。でかいなあ」
 などと子らは口々にしゃべり興奮冷めやらない様子だ。
 村の端々や小高いところから振返れば、引佐の田園風景を背後に実に見事な行列だと吉平は感心した。
 老ヶ谷の常夜灯を過ぎ、竹やぶを背に六体の地蔵尊が並んで居るのを右に見て、松林を抜けると曲り松に着いた。
 姫街道と庄内往還の交差点であり、曲松を中心に庭となって街道に沿うように広がっていた。
 松の木の下では夫婦が茶店を開いていた。
 吉平はここを訣別地と定め、一旦休憩をとることにした。
 後に続いていた見送り人たちの行列も、順次止まり日陰を探して休みかけていた。
 茶店の小さな藤棚の下も見送り人で埋まり井戸の清水で喉を潤していた。
 吉平は枝ぶりの良い老松の陰に腰を下ろし、夏空を垣間見た。
 白雲が一つぽっかり浮かんでいた。
 見たことがある形だなと思いながら、
「そうだ。静岡からこの地に赴任してきたときも同じ雲の形をした空だった」
 大きなため息をつくと郡長時代の六年間が走馬灯のように思い出された。

Nagasakafukin
(長坂途中の煙草作業小屋。遥かに集落が臨める)

Ma4
(現在の六地蔵)


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2022年11月 8日 (火)

俳人十湖讃歌 第64回 曲松のわかれ(7)

 二宮金次郎こと尊徳が、小田原藩主の大久保忠真公から分家の桜町領の財政再建を頼まれた時のことだ。
 米の生産高を十年で二倍にするという目標を立てて実現した。
 約束の十年目に、尊徳は大久保忠真公に会った。
 その時尊徳は手土産にヤマノイモを携えていた。
「そちは如何様にして桜町の再建をしたのか」
 大久保公は仕法を尋ねられた。
「山芋掘は、山芋のつるを見て芋の善し悪しを知ります。鰻釣りは、泥土の様子を見て、鰻がいるかいないかを知ります。良農は草の色を見て、土が肥えているか、やせているかを知り、みな同じであります。これが「至誠神の如し」というものであって、永年刻苦経験して、初めてわかるものであり、技芸にこの事が多く、侮ってはなりません。荒地には荒地の力があります。荒地は荒地に力で起こし返しました。人にもそれぞれ良さやとりえがあります。其れを生かして村を興してきました」
 尊徳は落ち着いてこう答えた。
「そちのやり方は論語の「徳をもって徳に報いる」であるな」
 大久保公が尊徳に向かって云ったという。
 以来尊徳はこの言葉に感激し、自らの仕法を「報徳」と呼んだ。

 吉平は郡長として社会に取り組む時、常にこの報徳の仕法を忘れなかった。
 とろろを食べるたびに、その思いは強くなっていった。
「今日あるのも、尊徳さまのとろろ芋のおかげだ」
 飯屋の夫婦の持つ垂れ幕の字を見上げながら、一人笑みを浮かべて手を振っていた。

Sontokuzo22
(東海道線愛野駅前に立つ尊徳像)


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2022年11月 4日 (金)

俳人十湖讃歌 第63回 曲松のわかれ(6)

 午前九時、鐘の音を合図に吉平一人が歩き始めた。
 その背後には、村の戸長や総代が乗った人力車が静かに後を追った。
 伊平の野末九八郎翁の顔もその中にあった。 
 吉平の前には、送別会の三字を大描きした旗を三本立てて先導する者がおり、俳句仲間の西遠吟社の社員たちは別に社名を書いた幟を掲げその後に続いた。
 道の両側には見送り人が立ち並び、別れを惜しむ。吉平がその前を通過すると、見送り人たちはその後に続いた。
 たちまち長い行列となり、しめやかだった雰囲気が祭騒ぎの行列と化した。
 町中をゆっくりと進みながら、見送り人が道の端に立っているのを見ると、吉平は帽子を取り丁重に別れの言葉をかけた。
 落合橋の辺りには気賀高校をはじめ、伊目、井伊谷の学区の生徒・役員・教員らが学校名の入った紅白の旗を立て、勢ぞろいして吉平の来るのを待っているのが遠目にもわかった。
 その旗の影に「とろろ郡長万歳」と書かれた筵の幟が見え隠れしている。
 持っていたのは飯屋の夫婦だった。
 とろろは吉平の大好物であった。
 在任中はとろろを飯にぶっ掛けて食べていた。
 近くの宿屋に顔出したときなどは、わざわざ自分のためにとろろを作っては出してくれた。
 その日に山芋がないと宿屋の主は飯屋へ走って用意した。
 いつの間にか吉平には「道路郡長」という行政上のあだ名だけではなく「とろろ郡長」と言うあだ名もついていた。
 吉平は子供の頃から山芋は嫌いではなく、特別気にして食べていたわけでもない。
 物心ついて尊徳の教えを知った時、少しでも報徳の思想に近づきたいとの一心から、とろろを口にする機会が多くなったのだった。

Sontokuzo
(二宮尊徳像)


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2022年11月 1日 (火)

俳人十湖讃歌 第62回 曲松のわかれ(5)

 吉平は若くして父親と死別し、現在の地位で活動する根源には母親の存在があった。
 母親は養蚕をしていたが、その技術は未熟で収入も限られていた。
 ある日新技法を甲斐米沢から持ち込み、生糸販売から脱却した。
 日夜養蚕と製糸の行程に励む母親の姿は、吉平にとって郡長としての公職推進の原点でもあった。
 引佐・麁玉郡長として、故郷中善地から気賀まで引っ越してからは、行政の長として多忙な毎日を送っていた。
 吉平にとって唯一忙中閑有れば東林寺へ足を運び、住職と語り合うのが楽しみであった。
 かつて気賀に流れる夏の都田川の夕景を、寺の境内から眺めながら住職と語り合ったとき
「あのちらちら見える明かりは何ですか。まさか鵜飼ではないだろうが」
 吉平は明かりの方を指しながら唐突に訊ねたことがあった。

Ochiaibashi_2
(当時の都田川にかかる落合橋)

 岐阜の長良川には一度行ったことがあるが、その篝火とは規模も違う。ぼんやり見える舟の大きさも小さい。
「そのまさかです。河口で鵜飼をするのです」
住職とはこれだけの事でも世の中の動きを議論するきっかけになり話が弾んだ。口ではいつも吉平が負かされた。
「和尚、鵜飼のかがり火程度では後の世を照らし出すことはできないだろう。やはり修行を積んだあなたの力、御仏の教えをもってしなければ」
 話の最後は吉平が折れた。
「一度皆さんを呼んで、気賀のこの川で舟遊びでもしたらいかがですかな」
 和尚から勧められ、二年前の夏休暇には寺に親しい者を招き、夜は都田川に舟を浮かべ観月会を催した。
 この時はその幽玄さに惹かれ一句認めていた。

   後の世の闇はてるまじ鵜のかがり

  吉平は再び境内の広場に戻ったとき、見送りの人々を前に別れの句を披露した。

 

       刈り跡を立ち去り惜しむ案山子かな

                     

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2022年10月28日 (金)

俳人十湖讃歌 第61回 曲松のわかれ(4) 

 吉平の顔が感激のあまり紅潮し、眼は居並ぶひとりひとりの顔を見つめていた。
「用意してきたものを皆に分けてやってくれ」
 吉平は部下だった書記の小山に向かって、筵の上の数え切れないほどの包みを指差した。
 それらは自ら揮毫した色紙やら半切などの書や、多くの親友、知人からもらった贈り物であった。
「皆、郡長殿のお気持ちだけで十分です。そんな大切なものをいただけません」
 小山はきっぱりと配るのを断った。
 しかし、吉平はその言葉を無視して、自ら、見送りに来た人々に残らず配った。
 大半がなくなった頃には、礼を述べて去る見送り人の数も徐々に減っていった。
 だが、それに替わるように新たな見送りの人々が集まってきた。
 見送り人の人力車が農学社前に数十両並んだ頃になって、吉平は近隣の家々へ一人で回り始め、丁重に別れを告げていった。
 最後は役所を見下ろすように建っている東林寺の住職を訪ねると、待ちかねたように住職の方から惜別の挨拶をされた。
「いやこちらからお礼を言わなきゃならぬのに、先に云われてしまった」
 吉平は首をすくめて恐縮した。
「それにしても良くぞ決意してくれた。豊西村に住むお母上の介護のために辞任とは。残念だがやむをえないことだの」
 和尚は笑いながらこれまでの郡長としての活躍に敬意を払いながらも辞任を惜しんだ。
 地元にとって突然の辞任は皆驚きを隠せなかったが、吉平自身にとってはさんざん考えた末の結論であった。

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(東林寺)

 


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2022年10月25日 (火)

俳人十湖讃歌 第60回 曲り松の別れ(3) 

 明治十九年夏、浜名湖北岸の気賀村は早朝からの雷雨が時々驟雨となった。
 そのぬかるんだ道を午前八時頃から、大勢の人々が細江神社の境内に続々と詰めかけていた。
 境内には新築されたばかりの農学社の建屋があり、その前の広場に集まっていた。
 前列には制服姿の郡役所の者が数十人居並び、白い紋付袴に麦藁帽子を被った血色良いなまず髭の男と向かい合っていた。
 男は松島十湖こと引佐・麁玉前郡長である松島吉平である。
 三十八歳にして農家出身者がこの地位まで上り詰めた。 
「わしの在任中の六年間は、郡役所の諸君や村の人たちには随分と苦労をかけた。この別れの日に皆の顔を見て去ることができるとは、わしはなんと果報者よ」
 いつものいきり立つような口調とは違い、一語ずつ噛締めながら話し始めた。
「郡長殿、我々こそ多くの事を学ばせていただきました。過ぎた日々が昨日のようであります。皆を代表してお礼申し上げます」
 声高に言い放ったのは郡役所の重役たちの一人だった。

Ma1
(細江神社)

 その背後には部下たちが神妙な顔付きで、直立不動のまま頷いていた。
 吉平は口元をほころばせながら、すぐに言葉を返した。
「諸君とは同じ釜の飯を食ってきた仲間だ。別れるのは辛いが、いずれまた会う事もあろう。君たちにはこれからの未来がある。必ずや住民を守る官吏であることを忘れるなよ」
 云い終わるや否や、何処からともなく拍手が沸き起こった。

 


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