13二俣騒動

明治34年晩夏天竜二俣で町を2分しての大騒動勃発。地元の女流俳人の懇願に一役買うことになる。

2023年11月18日 (土)

俳人十湖讃歌 第132回 二俣騒動(10)

 二俣川沿いの宿に寝泊りして幾日が経っただろうか。
 夕暮れが近づくにつれ、もやもやとした満ち足りぬ想いがもたげてくる。無性に中善地の我が家が恋しくなった。
 「わしがやらなくても誰かがやるだろう。問題は二俣の住民のことだ。たかが女から頼まれて軽く尻をあげってしまったが、無理なものは無理。どっちへ転んでも正義は正義だ。騒動の仲裁を諦めて、中善地の庵に帰ろう」
 十湖の口から弱音が漏れた。
 眼下のせせらぎまでも十湖の心境に同情しているように流れていく。
「先生、お客様ですよ」
 階下から宿の女将の呼ぶ声が聞こえた。
 客は役場の中堅の職員だった。
「十湖先生の斡旋案を、議会が受諾したので、お知らせにあがりました」
「そうか、そうか、やっと俺の案を呑んだか」
 十湖の顔に笑みが溢れた。
 十湖が仲裁に乗り出し、南北双方の言い分を聞いて作った妥協案は
 ①新二俣小学校の敷地は、金谷と皆原から長円山(現市民会館の位置にあった小高い丘)へかけて延びる丘陵及び清滝寺南端部とし、低地は丘陵部の土砂で埋め立てをすること。
 ②工事費は町の基本財産を取り崩して捻出するとともに、県からの借入金、町債で賄い増税や町民からの寄付金募集は努めて避けること。
 町会は十湖のこの妥協案に基づいて、二俣小学校の敷地を正式に金谷に決定した。 
 残暑だった頃に仲裁に乗り出したが、既に町には秋風が吹き十一月になっていた。
 町議会側の合意を機会に天長節を期してさらに仲裁に入り、いよいよ住民側も納得し一挙に和解が成立したのだった。
Futamata02 
 

 

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俳人十湖讃歌 第133回 二俣騒動(11) 最終回

 翌三日、二俣町が平和回復大祝賀会を開催した。
 二俣小学校庭へ郡長・郡会議員・調停関係者のほか町会議員・南北町民代表等が顔を揃え十湖も招かれた。
 会が終わり、夜の宴会は町内の福田屋、角屋で行われた。
 校地問題の功労者だと紹介された十湖は、嬉しさのあまり夕暮れの替え歌を即興で独吟して祝った。

  夕暮れに眺め見はたす天竜川 月に風情を烏帽子山
  帆あげた舟が見えるぞえ   あれ鶴が啼く鶴が啼く
  壬生に祝ひがあるわいな

 さらに二俣町に平和克服として句を披露した。

  美しや野分のあとの月の色

 翌日、十湖は思いがけなくも仲裁の礼金として銀行頭取から三十円いただいた。
「さすが十湖様だね。まさに河童から子供を助けた白髪の諏訪明神の化身だよ」
 蓮台は、十湖を諏訪明神と褒めたたえた。 
 一方、博打ちの堀部清助からは賭けに勝って三十円を巻き上げ、この金で和解の祝賀会を開催し、双方の住民関係者が集まった。その中には蓮台と清助も含まれていた。
 頭取からの礼金三十円のうち十五円は町の子供たちに菓子を配り、残りの十五円は町の困窮者に分けた。
 十湖にはいつもの結末だが、名を残して、懐は一文なしで帰庵した。
 十湖とともに騒動の解決に奮闘した烏帽子園蓮台は、この結果には大いに喜び、数日後、礼状とともに十湖の庵に蓮台の句が届いていた。

   結ばれも解けて小春や壬生の里

(完)
0121

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  (当時の新聞記事)                                 

 

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2023年11月11日 (土)

俳人十湖讃歌 第131回 二俣騒動(9)

  議会はもめるだけで結論が出せず、町長は議長の職権で強行採決を図り、五対三(議員定数十二人のうち四名欠席)で原案どおり北部側の皆原案を押し通した。
 このとき南部の議員がなぜ欠席だったのか疑問が残るが、当然この結果には南部関係者は猛反発した。
 「町長及び北部議員の不信任」を求める署名を郡長に提出し、南部議員五名と鹿島区長は辞任した。
 そのため五月には町会議員の補欠選挙が行われたが、南部は候補者を立てず、当選者は全員北部出身者で占めてしまった。
 このことが町外で批判され、新聞でも取り上げられ、各地から壮士やらが乗り込んできて町民を煽り、町政批判の演説会を開いた。
 事態を憂慮した県知事は、池田郡長や郡会議員その他遠州地方の有力町村長らに調停の斡旋を依頼していた。
 十湖は既に公職を退いていたのでその依頼はなかったが、郡長時代の功績を見れば誰もが十湖の出番を待っていた。
 しかし、十湖はもうこれ以上何もできない、こう着状態の有様に幻滅していた。
 旅館から眺める二俣川の流れは、今は穏やかに下流の天竜川に合流していく。
 この川でもかつては何度も暴れたことだろう。
 そのたびに住民は立ち向かい解決してきて今があるはずだ。
 江戸時代には、代官に願い出て川口村地先天竜川堤を築き、二俣、川口両村を水害から救った男がいた。
 二俣村の名主川島重喜である。
 この男、俳号を鶏明と号し十湖と同じく嵐牛に師事していたが、明治三年に没し72歳の生涯を終えている。
 十湖は窓辺の柱に寄りかかり夕日に照り輝く金色の川面をながめながら、ひとり静かに俳諧師鶏明に思いをはせていた。
 
     我はただ帰りばもなし霜の道

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(現在の二俣川)

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2023年11月 4日 (土)

俳人十湖讃歌 第130回 二俣騒動(8)

  蓮台とは子供のときからの知り合いである。今回の学校土地問題でも蓮台と同様北部側に属していた。
 今宵は連れの若造らと博奕打ちのあがりで酒を飲んでいたが、話が未だに解決しない学校問題に触れたことで自棄酒になってしまった。
 そんな時、折り悪く十湖らが店先を通りかかってしまったのだ。
「何だ、姉御も一緒か。それじゃしょうがない。今夜のところは姉御の顔に免じて見逃してやろう。だが、問題の解決もしないのに、いつまでも二俣の町を歩かれちゃあ俺の立場もない。十湖先生よう、ここはひとつ賭けをしないか。もしあんたがこの件を仲介して解決させたならほうびに三十円をやろう。それを持ってとっととこの町をうせろ。だがよ、できなかった場合は俺にきっちり三十円よこせ。町の者みんなに手を突き、謝ってこの町を出て行け。期限は年内中だ」
 河童に仕立てられた清助は、酒の勢いを借りて一気にまくし立てた。
「清助とやらの云うことはわかった、約束しよう。乗りかかった船だ、いずれにしても解決せねばならんことだからのう。それに三十円の礼金までくれるとあっては、こんな美味い話はない」
 酔いが覚めかかっていた十湖は鼻で笑った。 月が変わり十一月二日、町議会に何度も顔を出し、口入をする十湖の姿があった。
 議長は十湖の提案には前向きで、議長室を訪ねればお茶の接待があり充分時間を潰した。
 だが議員の側は一向に十湖案を検討する兆しはなく、もはやこれまでかと十湖は諦めかけた。
 北部も南部も住民側は手をうてる事は全てやってきている。
 それにも増して風評やらで外部からの人間が入り込み、住民等を煽っていることが十湖には癪に障った。
 これまで十湖が双方の聞き込みや調整の中で知ったことは、二俣は全町民を巻き込み、町は南北に分裂して学童不在の校地騒動に発展してしまったということだった。
 南部町民(金谷派)は杉浦亀吉ら四名が代表し、町民四百三十人の署名を集めて請願書を町当局に提出したら、北部議員も負けじとばかりに皆原案を支持する町民らと一緒になって同じ事を展開する。正に泥仕合の様相となってしまった。
Tasiroke
(鹿島の田代家住宅)

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2023年10月28日 (土)

俳人十湖讃歌 第129回 二俣騒動(7)

 句会の帰りは月が足下を照らし、灯はなくても歩けそうだ。久しぶりに酔った十湖にとって、歩く姿は覚束なかった。
 蓮台に付き添われて寺へ戻る途中のことだ。
 唯一明かりが点いて開け放たれた居酒屋の前を通りかかったとき、店の中から撚れた浴衣を着た三人の男たちが威勢よく飛び出してきた。
 十湖を取り巻くと
「この老いぼれ爺、タダ酒飲んでいつまで二俣にいる気だ。学校紛争の助太刀に来たなんて調子のいい事云って、なんら解決もしねえじゃないか。そんな野郎は用がない。いい加減にこの町から出て行け」
 若造のひとりが凄むと、ほかの二人も着物の裾をたくし上げた。
「目障りなんだよ。じじい」
「よそ者は出て行け」
 口を合わせて怒鳴った。
 蓮台が十湖の背に一瞬身を隠した。
「おやおや、河童が現れたか。出るところが間違っていないか。俺はじじいといわれるほど年はとっちゃいない。お前等はどこのどいつだ。初対面の人間に向かってそんなことを云われる筋合いはない」  
 十湖は怯むことなく、彼らよりも大きな声で云い返した。
 やくざな三人を河童に仕立て、案外落ち着いている。この二俣川には昔から河童が出たという言い伝えがあり、川下の油が淵あたりに出没し、子供を隠してしまう。ところが、それを助け出すのが、白髪を長く垂れ、身には白い衣を纏った翁の諏訪明神だったというのである。
「あら、清助じゃないか。そんな態度をするんじゃないよ、私の師匠の諏訪明神様だよ。わざわざ問題解決のために二俣まで仲裁に来てもらったのに」
 十湖の背後から、蓮台の切れ長だが涼しい目が清助を睨み付けた。
 清助とは堀部清助という博奕打ちで、きっぷがよく正義感が強い。中肉中背で女には好かれそうな甘い顔立をしている。河童とは似ても似つかぬ姿である。それにしては、やくざ言葉がどうに云っている。

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(現在の二俣裏通り)

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2023年10月21日 (土)

俳人十湖讃歌 第128回 二俣騒動(6) 

 同じ頃二俣町内の街道筋は、数軒の居酒屋が軒を並べ提灯に明かりを点け始めていた。そのうちの一軒おかめやには数人の常連客が寄り、既に話が弾んでいた。
「この頃は賭場にも秋風が吹き出したのか、客も減り財布の紐も硬い」
「集まる顔ぶれがいつも一緒じゃ、あがりは知れている」
 博奕打ちと見られる若造二人が手酌で飲みながら話している。
 その様子を先輩面の男がじっと黙って聞いていたが、
「今に町内で大きな工事が始まれば県内外から人が集まる。そうすりゃ賭場も賑やかになるんだが」
 先輩面の博奕打ちが杯を舐めながら口を出した。
「そうは云っても兄貴よお、今のところ何ら動きがない。面白くねえな」
 若造の一人が応えた。
「だから俺たちは校舎の新築移転に肩入れしてるんだ。だが、どっちの町も引かんからこうなっちまう」
 兄貴と呼ばれた男が不味そうな顔をして言い返した。
「いい加減に議会は決着しないのか。俺たちはどっちでもいい。早く解決してくれればそれで町は賑やかになる」
「そうだ。誰でもいいから双方の言い分の中に入って、仲裁すれば解決しそうだ」
 若造の二人は酒の回りが速い。話がくどくなってきた様だ。
「いつだったか姉御が爺を連れてきたが、何とか云ったな、俳諧師で名が思い出せん。そいつが町議会へも大きな顔を出すそうだ」
「爺が来てもう一ヶ月近くになる。俺の知っている範囲では議長にも顔が利くらしく、なかなかの野郎だそうだ。だが、相変わらず両者の考え方に隔たりがあり、こう着状態のようだ。毎晩、タダ酒をあおっているとのうわさだ」
 兄貴が若造らに知ったかぶりの噂話を手振りを交えて話していた。
Machinaka03

(現在の二俣裏通り)

 

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2023年10月14日 (土)

俳人十湖讃歌 第127回 二俣騒動(5)

 そのまま滞在し月が変わり、再び蓮台らを伴って各方面の話を聞いてまわったが、まったく解決の糸口が見えず、縺れた糸は容易には解けないと苦難の連続であった。

   我もその渦に巻かれつ秋の水
   秋の野のもつれも解かず暮れにけり
   八重雲をはや追ひ払へ秋の風

 二俣に滞在し一ヶ月余が過ぎたある日、蓮台の仕切りで句会を開催した。
「鹿島の渡し」をお題に地元俳人仲間と句を詠んだ。
 十人程度が旅館の二階に集まり賑やかな句会となり、十湖には久しぶりとあって、酒の味も五臓六腑に染み渡り少々酔いが回った。

   玉とちるのきの雫や月の雨
   秋風といふ風の吹く夕べかな
   聞くことは思ひもよらず小夜砧

 自らの句はどうにもしょぼくれているなと反省していると、どこからともなく三味線の音が川風に乗せて聞こえてくる。
 十湖は暫くして心が落ち着いたのか、この苦境を乗り越えなければ、俳句も詠めなければ酒もまずいと決意を新たにしていた。

Machinaka02
(現在の二俣市街)

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2023年10月 7日 (土)

俳人十湖讃歌 第126回 二俣騒動(4)

それで校舎を増築するのか、移転するのか、という問題に発展したというわけか」
「町としては寺にこれ以上迷惑をかけまいと他への移転を議決し、皆原か金谷の地を候補としていました。すると議会は皆原案を採択し、これで全て丸く収まるかと思われたのです」
「そんなに難しい問題ではないのに結果は収まらなかった」
 十湖が納得したような顔をしているのを見て、それまでじっと側で聞いていた蓮台が口を出した。
「ところが世の中そう簡単には終わらせないですよ。このとき町長が病気辞任したもんだから、新町長の選任を待つことになってしまったんです。それで今年、新町長に見付警察署長だった河野光三郎が就任し、前町会の議決を了承して進めるんですけど、建築経費の不足分を一般町民からの寄付で賄うことを改めて提案したのです。要するにこの案では経費がかさむというので、住民負担を求めたんです」
 すこしばかり蓮台が感情的になっている。代わって和尚が続けていった。
「ところが二俣南部の議員が猛反対し、それなら金谷案も再考せよと迫りました。だが町長は、既に前町長の決めたことで用地買収が済み登記も済んでいる。と言って撤回しないのです」
「二俣南部の議員は金谷の推進派ということかな」
「そうです。町長の言い分に怒った南部の議員は議場を退場し、以後校地問題の審議は応じないという態度を固持しました。仕方なく町側は寄付案を撤回、校地問題も再検討を約束しました」
「それならば、これで収束に向かうはずだが。なぜだ」
「こちら立てればあちらが立たずで、町会が南部の言い分を通したので北部の出身議員は猛反発。またまた町会は流会し、学校敷地問題が暗礁に乗り上げた事態に陥ってしまいました」
「どうも大人たちの感情が先行していて、解せんところがある」
 十湖は和尚の話で十分理解できたと応えたが、成り行きはいかんともしがたいと頭を傾げていた。
 その夜、十湖は和尚の紹介で南部の関係者と北部の関係者の言い分をそれぞれ聞くことにした。
 双方の言い分を聞けば聞くほど、この騒動は「二俣の南北紛争」に発展していくと十湖の気持ちは憂鬱になってきた。
 だが、つぎの日は何もせず、酒を飲んでは町内の様子を窺っていた。

 Machinaka

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2023年9月30日 (土)

俳人十湖讃歌 第125回 二俣騒動(3)

 庫裏に案内され、和尚から事の経緯が詳しく説明された。
 蓮台に十湖を迎えに行かせたのは自分の指示で、かつ蓮台の意向でもあったこと。
 今回の紛争を憂いているのは六ヶ村の寺の僧侶も同じで、皆地域を心配しているが、住民たちや議員は中立的な立場で解決を図ろううとしているものがいないため、十湖にお願いすることになったという。
 蓮台は十湖の弟子でもあり、蓮台自身が十湖の出番を待ち望んでいたので迎えに行かせたとも付け加えた。
「事の起こりは、二年前に鳥羽山トンネルが開通したことに端を発しておりまして、学校建設の土地問題から鹿島と二俣の二町で紛争になっております」
「そのようだな。新聞には詳しく書いてなかったが、学校ができると言うのに、なぜそんな紛争になるのかが理解できん」
 十湖が出されたお茶を一口すすると、自分の疑問を和尚に投げかけてみた。
「そこなんです。山の南側にある鹿島地区の学童は、トンネルの開通で山の北側の二俣小への通学が可能となりました。鹿島分校の学童にとっては多くの学童と交流して学ぶことができ、そんないいことはないはずです」
「それをどうして大人たちは気に入らんと言うのか」
「鹿島分校の学童が二俣小へ行くようになれば、鹿島分校は廃止され二俣に統合されました。当然二俣小は生徒が急増しました。その結果、校舎を増築するのか、現在の学校のある清滝寺から校舎を移転し新築するのかの選択を迫られたのです」
「それなら町に任せて、大局的にどちらにすればいいのか決めればよいのではないか。大人たちが挙っていがみ合うのは、何か理由でもあるのか」
「もともと二俣小は、清滝寺の本堂を借りて授業が行われていました。明治八年頃から学生数が増加し、仕方なく町は寺の境内に新校舎を建設しました。それから十五年後寺側が町の土地借用期限が切れたので町へ学校敷地の返還を求めたのです。町は寺と交渉しさらに十年借用をすることになりました。しかし、トンネルが開通したことで鹿島の学童も二俣小へくることになると、いよいよこのままではいけないと町は重い腰を上げたのです」

Zudoupen
(現在も残る当時の鳥羽山トンネル)

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2023年9月23日 (土)

俳人十湖讃歌 第124回 二俣騒動(2)

 蓮台から言われるまでもなく、十湖は二俣で起こっている事態は十分察知していた。
「先生、ぜひ助太刀をお願いしたいのですが」
 蓮台は玄関からあがると畳に頭をすりつけ頼んだ。
「助太刀とは穏やかでない。自分が仲裁に出て行くべきか迷っていたところだった。たかが学校の建設であり両者の利害関係が、はっきりしているはずなのに。子供側の立てば両者で和解の道もあろうと思うのだが」
 十湖が淡々と云う。
「それがそうならないのが世の常で、どこで狂ってしまったのか先が見えません。どうか紛争の収拾に乗り出してくれませんか。馬車を待たせてありますので」
 蓮台はすかさず頼み込んだ。その顔には何が何でも連れて行くという意気込みがにじみ出ていた。
「話はわかった。どうせ、たいした用もない昨今だ。ひとつ骨を折ってみるか。蓮台の頼みとやらでは断わりもできんからのう」
 蓮台の申し出にまんざらでもなさそうに、一つ返事で十湖は応諾した。
 この時はまだ事の深刻さは理解していなかった。

 十湖を乗せた馬車は、二俣の六ケ寺へやって来た。
 すでに和尚が山門の前で待っていた。
「昨年春より二俣町の学校建設の土地問題がこじれまして、未だに収拾できずに困っております。朝早くから無理を云ってすみませんが、解決の糸口を見つけるため十湖宗匠の仲裁をお願いしたい」
 和尚は馬車から降りる十湖に軽く会釈をした。

Futamata

(現在の二俣の象徴である二俣城跡。かつて家康の子信康が居城していた)

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