十湖交友録めも

十湖がお付き合いのあった方々の紹介

2019年7月 9日 (火)

交友録めも 七十二峰庵隨處

七十二峰庵 大木隨處(おおきずいしょ)

本名 大木久市郎(明治5.1.16~昭和16.4.1 70歳没)

出身 浜名郡笠井町(現 笠井新田町)
雅号 随處
  十湖に師事し「七十二峰庵」を嗣号にした高弟で報徳実践者として地域振興発展に努めた。
  芭蕉への敬慕の念は自宅に「子にあくと申す人には花もなし 芭蕉庵」という句碑を建てていた。
 報徳実践者としては「朝顔の庵はいつでも三時起き」と句にするように朝が早いことでも知られ門前に「御用のある方は午前三時に来られよ」との一札を掲げていた。
 十湖の仲立ちで報徳家神谷正信の末娘きとを娶る。
 小学校で教鞭をとること八年、町役場の収入役に八年、町会議員に十六年など公務に携わっていた。
 のちに孫の河内道守氏が随処翁のこころを「七十二峰庵大木随処十七音心のタネ」と題し冊子を出版し、翁の足跡をたどっていた。

(参考:遠州報徳の夜明け、七十二峰庵大木随処十七音)
 詳細は「七十二峰庵大木随処十七音 心のタネ」PDFをご覧ください。

ダウンロード - zuisyokokoronotanew.pdf

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2019年6月29日 (土)

十湖交友録めも 烏帽子園蓮台

俳号 烏帽子園蓮台
本名 大隅みね(昭和6年4月没90歳)    
出身 現浜松市天竜区二俣
 天竜二俣が生んだ女流俳人は峰女(みねじょ)と名乗り、大隅家「すみや」の番頭富田大作に俳諧の指導を受けていた。
 のちに大隅みねは二俣の俳諧師加藤雨竹に俳諧の手ほどきをうけ十湖の門に入る。
 明治24年に十湖から「蓮台」の雅号を贈られ、以後烏帽子園蓮台として二俣の地で女流宗匠として活躍する。
 明治36年には還暦自賀句集「花こころ」を刊行している。
 没後、門下の富田秀甫が辞世の句碑を二俣町浅間神社境内に建立した。
 「屠蘇くむや老いも九十の舞扇」
 なお、加藤雨竹は本名太次平といい、二俣醤油醸造近江屋の主人で嵐牛門の俳人として賞静庵、無我庵と号し十湖、月査らと親交があった。
参考:天竜市史、句碑集吟遊遠江、ブログ「草もち姫徒然なるままに」2013.12.30記事

Rendaisyasin (晩年の蓮台自画像)

  Rendaikuhi05
二俣の浅間神社境内の句碑


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