俳人十湖讃歌 第168回 芭蕉忌(6)
正式俳諧連歌に移り各々翁を拝して着席せり。
執筆随処、宗匠十湖、脇宗匠起雲、朝山、通義、訂鷗の四名、座見成佳、鶴眠の二名、香司春雄、にして皆よく吟詠し、なかなか盛況にして佳句多く、六時ころに至れり晩餐となる。また庵主が粋を凝らして数日前より用意せられたる献立の酒肴の饗を受け、各々生酔心地となり。悠々俳胸湧き、そう一層の賑やかとなれり、時しも善いかな、雨後の月は遠き滄溟(そうみょう)より煌々として輝き出で、十二日の今や満たんとする月は庵りを照らし、俳筵の羽客が面影は高々しうなり、香は細く煙を引きて薫り芬々(ふんぷん)として鼻端を衝くがごとく奥ゆかしき、而して俳諧連歌の終わるや、伶人は黄なる綾羅の格衣を装い、笙、篳篥、竜笛を手にせる三人相並び越天楽の譜を合奏し、歎楽極まりなく、奏終わりて各国俳人の千余章を朗吟し夜は沈々と更けて九時に至るのころ式は全く終わり、一同に十湖編深見草第四編一部、奉書紙石版摺りの菊日和九歌仙、各一部及び書画敷栞を分頒ちたり。
ここに於いて成れるの俳諧は数日来のものを合わせて百韻二巻、俳諧連歌七巻なり、それより又月を眺めつ吟詠せんと勅題「社頭の松」「水仙」及び「なし即興のを雪月は斜になり詩も結ぶ五更の頃ばい、暁告げる鶏の鳴音と相まち、歓呼聲裡に散会せり。
なお、当日庵主十湖は門人二十余名立ち合いの上、大木随処氏へ長く用い来りし七十二峰庵の庵号を譲興せり。しかして十湖は爾後大有庵と号するなりと。
以上が柏葉の「芭蕉忌見聞録」である。
市立のサナトリウムにつぎを見舞いに来た柏葉が話した見聞録は、未だ十湖が宗匠として健在であることを物語っていた。
つぎは十湖の偉大さを思い返し、養女であってよかったと弥三郎とともに追想していた。
(完)