河合象子

天保6年三河国吉田城内で生まれ、後に上京し歌人としての波乱万丈の生涯を送る。国学者小中村清矩氏との交流は人生に多大な影響を及ぼした。

2021年1月23日 (土)

若き日の富田久三郎(25) 第471回

 明治十二年(一八七六)五月、工場の空き地に鯉のぼりが泳いでいる。三人で見つめながら春の陽気を楽しんでいた。
「きぬ、やっぱり工場をもっと軌道に乗せるためには、大量の苦汁が必要だ」
  工場の運営は、同じ働き手である妻に必ず相談する。
 少しまめなところもあるが、人の意見はひょんなことから発見があるかもしれないという研究者の立場からでもある。
「あなたには今の工場の生産状況が不満なのでしょう。お客さんはいるのに、その希望に添えないというもどかしさかしら」
「そんな悠長なことではない。製品への需要はあっても対応する材料が足りなくて用意できないのだ。いろいろ考えたが、又調査の旅に出ようと思う」
「今度はどこへ行くのですか。それにどのくらいの期間」
「十州塩田を周ってみようと考えている。さて、どのくらいになるだろうか。目的地へ着いた具合で手紙を出すよ」
「十州塩田って、まさか瀬戸内海ではないでしょうね」
 きぬは苦虫をつぶしたような顔できつく云った。

 

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2021年1月21日 (木)

若き日の富田久三郎(24) 第470回

  久三郎は子どもたちにわかりやすく淀みなく説明し始めた。
「要するに窯で塩を煮るのはにがりをとるためです・・・・お豆腐が好きな人」
 生徒たちはいっせいに手を挙げた。
「みんな手を上げましたね。実はお豆腐として固めるのがにがりの役割です。にがりの原材料は、きれいな海水です。その海水を濃縮すると、塩の結晶と「にがり」が同時にできます。できたにがりを約3日間さらに大釜で手間と時間をかけ水分を蒸発させ濃縮させます。すると、溶けていた塩分が結晶になって沈殿し残った琥珀色の液体は、塩分が少なくなりマグネシウムが多くなったにがりができあがります。このにがりの成分の中に薬の成分が混じっており、それを取り出して薬にするのが工場の仕事ですよ」
 久三郎は案外笑顔を絶やさず説明したが、象子には想像をしえない仕事であることが判明した。
 まして、この子たちにはチンプンカンプンの仕事のようであった。
 ただ、この工場の役割が薬を作ることだということは分かったらしい。
 久三郎は話し出すと止まらない。
 負ぶった子供が愚図りだしたのを幸いに、いつの間にかきぬの姿はそこにはなかった。
 象子はこの実習を通じて自分の知識に新たな世界が加わったことを歓迎していた。
 それにしては富田久三郎はとてつもない人だと感心した。
 いずれ、この分野で彼は大成していくに違いないと思った。

 

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2021年1月19日 (火)

若き日の富田久三郎(23) 第469回

 午後終業の鐘が鳴り、生徒一同列になって目的地へ向かう。
 野外実習とはいえ終業の合図があった以上自由時間である。象子は生徒たちにくどく注意は云わなかった。
 間もなく、富田の工場に着く。
 煙突からは相変わらず白煙が上り、煉瓦作りの工場はまるで生き物のようにも見えた。
 錆びついた小さな鉄の門の前で、工場の主とその妻きぬが、にこやかな顔をして待ち構えていた。
 きぬの背中では長男が気持ちよさそうに眠っていた。
 招かれた生徒たちは作業場に入るなり
「わあ、すごい」 
 誰彼と云わず歓声が上がった。
 窯でゆでられている海水がごぼごぼと湯気を立ち昇らせて、独特の海の香りを工場内に漂わせていた。
 大人は象子だけである。象子は主に生徒たちを紹介し今日来た理由を説明し始めた。
 工場の主富田久三郎は精悍な顔の中に眼光鋭く、象子には非常にまじめで研究熱心な男に見えた。年を重ねた起業家だとの象子の予想は外れた。

 

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2021年1月17日 (日)

若き日の富田久三郎(22) 第468回

「そうそう暗くなる前に浜ちのとこへ魚をもらいに行かなくっちゃ。きぬさんも象子さんも一緒に行かない」
 浜ちの家は橋のたもとにあり、本名は浜吉で漁師をしている。人は吉というのが面倒くさいらしく地元では浜ちと呼ばれて親しまれている。
 黄昏時、象子はどこかで聞いたような声に
「あれお客様か来ているみたい、あの声は瓦屋の名倉さんか」
 三人は足早に漁師の家に向かった。
 きぬの背中の子は案外嬉しそうにはしゃいでおり機嫌がよさそうであった。

 二日後、象子が生徒たちに早朝から日程を説明していた。
「今日は天気がいいので午後は野外の実習とします」
 生徒十名は大喜びして、誰かがどこへ行くのかと質問した。
「海岸沿いにある工場見学です。私も何の工場か知りません。だから行くのです」
「先生、それだったら浜ちゃんちもいきませんか。すぐそばだから」
「だめです。今日は工場だけです。いいですね」
 生徒の半分は女の子である。
 彼女たちはみな賛成したが、男子は怪訝そうなのである。
 どうもあの工場が怖いらしい。象子は好奇心があるかと思っていたが、意外と男は意気地がないようであると再認識したようだ。しかし理由はそこにはなかった。
 漁師の浜ちが人気のようだ。行けば魚の干物をくれ、何かと話が面白く舟を出しては浅利採りにも連れていってくれるらしい。

 

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2021年1月15日 (金)

若き日の富田久三郎(21) 第467回

 二人が都田川の木橋を渡り海岸近くまで来る頃には、西日を受けて奥浜名湖のさざ波が煌めき、象子は以前詠んだ歌を思い出していた。
「誰か来たわよ」
 突然、象子が不安げな表情で声を発てた。
「あら、富田さん今日は赤ちゃんよく寝ていること」
 と言ったのは吉野楼のよしだ。
「今やっと、主人の仕事が片付いて落ち着いたところなの。うちにいると子供が泣いて主人は休めないから、こうして子守しながらぶらぶらしているところよ」
 富田久三郎の妻きぬが、負ぶった赤ん坊を揺すりながら二人に応えた。
 きぬは象子とは20歳ぐらい歳が離れているだろうか、随分と若い。
 それにしては旦那さんはこれだけの工場を建てるくらいだから、相当な歳でもあるのだろうと象子は勝手に解釈した。
「紹介します。気賀で小学校の先生をしている河合象子様です。大分あなたより年上ですけど人は好いのよ」
 よしがきぬに象子を紹介すると、三人は意気投合した。
 工場のことを訪ねられたきぬは要領を得ない返事をしていたが、
「それじゃあ主人に、生徒さんたちが見学したいからと云っておきます。決して断りはしないと思うけど、仕事柄大人見村の海岸や実家の市野村へ行ったり来たりして材料を調達しているので、明日ならいいとは言えないわ。明後日なら間違いなく家にいるので午後来るとか言っておくけどいかがかしら」
「象子さん、明後日訪問するというのはどうなの」
「ぜひ、そうさせていただくとありがたいわ。きぬさんご主人によろしくお願いします」
 どうやら三人の女たちの約束ごとは終わったようである。
 この日の夕方は工場の煙突からは煙を吐いていなかった。

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2021年1月13日 (水)

若き日の富田久三郎(20) 第466回

 やがて気賀に小学校ができ、象子は学校教員として児童を教えることになった。
 あるとき休み時間に生徒が象子にこう訊ねたことがあった。
「先生、海岸の傍に小さな工場ができたのを知ってますか。いつも煙突から白い煙を吐いているので何の工場だろうかと、わしら3人で近くまで行ってみた」
「そう、あんたたち3人は友達だよね。だから勇気を出して探険かな。私も気にはしていたけど、変なものを作っているわけじゃないと思うけど、みんなが心配なら他の先生と一緒に行ってきますよ」
 象子は夕方でも散歩がてら、だれか先生でも誘って気賀の海岸まで行ってみようと思った。
 だが、この日の夕方は時間の空いている先生がいない。しぶしぶ一人で海岸まで行こうと校門を出ようとした。
「象子さん、今日はもう授業は終わったの」
 吉野楼の野末よしにばったり出くわす。
「あら、ちょうど良かったわ。浜辺まで散歩しない」
 象子は軽い気持ちで声を掛ける。よしは手に籠を下げていた。
「今から漁師の浜ちゃんちへ魚をもらいにいくところなの。一緒に行こうかしら」
 よしの返事に象子は気をよくした。事情だけは説明しておく必要があると気に掛かり
「子どもたちから、最近、海岸近くにできた工場が何なのか知りたいというの。遊んでいても気になるらしく、それでちょっと様子を確かめてみようかと思って」
「そのことか。えーと確か今年の1月か2月にバラックの工場を作っていたみたい。工場の持ち主は富田さんと言ったかな。まだ若い方で奥さんと男の子が一人だったかしら。あの辺の近所の方がうちで宴会をしたときに話しているのを聞いたけどね」
 吉野楼のよしがそういうのだから生業であることには間違いはなさそうである。
 象子は地元である程度承知していることに安心した。

 

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2021年1月11日 (月)

若き日の富田久三郎(19) 第465回

 気賀を出て東京暮らしから2年の歳月を経た明治8年、既に40才を越えたばかりの河合象子に母の実家気賀からたよりが届く。
 差出人は本陣の伯母からだった。
 内容は近く気賀に新政府のもとで浜松女学校ができるので、戻って来いとのことだった。
 しかもその学校の教授をやってほしい、ついてはその学校は本陣の邸の中だという。
 象子にとって思ってもみなかった良い知らせである。同年夫松哲の遺児2人を伴い気賀へと帰った。

  谷かげに朽ち果てぬべき探山木も花咲く春にあへる今日かな  

 気賀での象子は、授業で忙しい合間でも歌つくりを忘れず、休みにはわが子にも教え、家族で奥浜名湖の湖岸を歩き歌作りに専念していた。
 春には海原のいざり火に願いをかけ、夏には三方ヶ原台地に輝く弓張の月に昔を偲び、秋には湖のみをつくしに映る月に慕情を知り、冬には引佐の嵐にも耐え朝霜の降りる芦原を歌う。

 なごりなく夕日は暮れし海原に星かと見ゆる海士のいざり火
 弓張の月に鳴くなり郭公とつかつるぎの三方原のうへ
 いなさ江の細江に立てるみをつくし夜ふかく澄める月のさやけさ
 いなさ江の細江のあらしさえさえて朝霜しろし岸の芦原

 気賀に帰ってきた河合象子は奥浜名湖の暮らしに、羽を休めている渡り鳥のごとくひと時の安らぎを感じていた。、

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2020年3月29日 (日)

十湖と歌人河合象子の関係

 先日、私の知り合いのO氏から、十湖は気賀の歌人である河合象子と付き合いがあったらしいというのである。
 河合象子は遠州気賀の本陣が母親の出身で1835生まれ。幼いころから和歌を嗜み、のちに地元で「宮廷歌人」と呼ばれているらしい。
 十湖とは一回り違う年齢差で、どこで接点があったのかよくわからないのだが、十湖の友富田久三郎の遺品の中から象子のものと思われる短冊が出てきたのだ。
 しかもそれは富田久三郎夫妻に対しお礼と祝いの歌を詠んでいたものだった。
 ひっとしたら十湖とは関係なく、個人的な富田家の付き合いがあったとも受け取れるが、地元の十湖百句塚保存会の冊子からは3人が何らかの形でつながっていたような文章が綴られている。
 これは当ブログの中では全く触れてこなかったことであり、早速、河合象子の生涯について興味をもって着手してみようと思っている。

M42kisako

(「現代によみがえる報徳の絆」十湖百句塚保存会の冊子より)

 

 

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