河合象子

2022年4月 2日 (土)

十湖外伝 雨後蝉(52) 歌人河合象子の生涯 最終回

 古美術商の大崎は「河合象子遺稿」を読み終え迷っていた。
 ここに象子のすべてが語られている。
 今さら世に出す必要があるのだろうか。
 象子の墓を訪ねながら考えてみようと思った。
 雨が小止みになることを期待して、ひとり浜松市北区の細江町気賀方面へ車を走らせた。
 ワイパーは思い出したように動き出しては雨を弾き飛ばしていた。
 やがて目的地に到着すると、車内にあった水玉模様のパラソルを差し、先ずは庫太郎の生家跡に立ち寄り、その足で菩提寺へと向かった。
 参道の途中どこからともなく甘い花の香りが漂ってくる。
 そのありかを探すと枯れ尾花のさつきの影に清楚な一重咲のくちなしの花を見つけた。
 正明寺境内の坂は案外に急で、上り切れば木立に囲まれて一昔前の墓の一群があった。
 どの墓も姫街道の気賀の町を見下ろしている。
 その中に庫太郎の墓を見つけると、ほぼ直角に西を向いている墓がひとつだけあった。象子の墓であった。
 大崎は手を合わせたあと苔むした墓石を撫でていたが、おもむろに背後を振り返ると墓は象子の生まれ故郷の三州吉田に向かって建っていることに気づいた。
 暫く墓の向いている方向を眺め佇んだ。
 雨が止みはじめ雲間から陽が射してきた。
 傘を畳むと、しっとりとした空気の中に涼しさが漂ってくる。
 すかさず木立の間から蝉の声が一斉に鳴き出し、周囲の静寂を打ち破った。
 大崎は象子が本陣の娘として生き生きと働いていたころを思い描いていた。

  雨晴れて真木の雫の漏る山に入日涼しく蝉ぞ鳴くなる 

                             きさこ

Kisakobodaiji-03
Kisakobodaiji-04
         (上は象子の墓所、下は墓所から望む現在の気賀の町)

                         (完)

 

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2022年3月26日 (土)

十湖外伝 雨後蝉(51) 歌人河合象子の生涯

 一方、主がいなくなり話し相手がなくなった落合直文は、短歌革新の心を抱きながら浅香社を創立し私塾を開いた。
 そこに集まったのは与謝野鉄幹、尾上柴舟、金子薫園らであった。
 もはや、それまでの旧派の歌人の姿はなく短歌革新運動の推進者たちでばかりである。
 これは始まりであって、あくまでも中核をなしていくのは与謝野鉄幹が結成した「新詩社」であり、ここに正岡子規率いる「根岸短歌会」が合流した。
 現代短歌に発展する源流となって行ったのである。
 かつて主とも再三にわたり議論の末、構築した落合の提唱は大きな礎でもあった。

 明治四十一年(一九〇八)七十四歳になった象子は東京を離れ気賀の庫太郎の邸に寄寓。
 明治四十二年(一九〇九)十二月十六日午後四時、気賀町鈴木家に没す。象子享年七十五歳であった。
 臨済宗正明寺方丈導師となり、気賀町字油田なる姪竹田まさの邸内に葬り、寒厳妙象大姉と諡す。

Kisakotnzaku01_20220307150001

Kisakobodaiji-02     (象子の菩提寺)

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2022年3月19日 (土)

十湖外伝 雨後蝉(50) 歌人河合象子の生涯

 明治三十五年(一九〇二)六十八歳になった象子は、かつての主君水野忠元の娘に和歌を教えていた。
 一昔前なら旧派の御歌所の面々と交流し、それぞれの意見を分かち合っていたことを懐かしんでいたはずである。
 この年になっても交友関係は若いころの歌会所の人ばかり。それも年々亡くなっていく日々に心を病んでいた。
 年老いても多忙な毎日を過ごすうち、たとえ時代が様変わりしても若者に自らの経験と教訓を引き継いでいきたい。

     春浅み霞も薄き大空に
        羽袖ゆたかに鶴の立ち舞う

 だが、その思いはいつになったら達せられるのか。
 今の東京には頼る人もいなければ、頼られることもない。象子はいずれ「気賀へ帰ろう」と思った。
 いつものように私塾の帰り、突然どこからか琴を掻き鳴らす音が聞こえ足を止めた。余韻があまりにも悲しげであった。

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(浜松市北区細江町の長楽寺)

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2022年3月11日 (金)

十湖外伝 雨後蝉(49) 歌人河合象子の生涯

 晩夏の午後、象子は和歌の私塾で指導を終えての浅草からの帰り、鉄道馬車で上野駅まで来た。
 ここからは何を思ったのか自分の足で歩き公園の方へと向かう。
 普段通りの道すがら故人の主小中村との日々を回想していた。
 この道も何度か二人で歩いたことがあった。主の友人先への届け物やら歌会の帰りにそぞろ歩きを楽しんだことも。
 だが主はあまりしゃべらない。寄り添いながらも別々に歩いているようで会話の度にお互いが頷いているだけであった。
 動物園入口近くに来たら今日は休みのようだ。
 老人と子供が門の前で
「駄菓子でも買ってやるから今日は動物園をあきらめろ」
 とでも言って老人が孫を慰めているらしい。
 庫太郎がこのくらいの歳だったら自分でも同じことを言っていたかもしれない。足取りが重くなり、ふと涙が込み上げてきた。
 やがてパノラマ館前に近づくと楽隊の演奏が聞こえ、軽快なリズムについ足早になっていたのが自分でもおかしかった。
 林を抜け下り坂になると、つくつく法師の鳴き声が降ってきた。
 象子は主なき時代をどう切り開いて歌を詠んでいくのか悩んでいる。
 生前、主が象子に対して、「自分の思った道を進め」とよくおっしゃっていたことを思い出していた。
 象子は歩きながらも結局、旧派のまま伝統を重んじ、「石室の舎」私塾を開き皇族方に歌を教授していくことを心に決めていた。

           都人春や知るらむももしきの
                    大内山のかすむひかりに

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2022年3月 4日 (金)

十湖外伝 雨後蝉(48) 歌人河合象子の生涯

 翌年、小中村清矩追悼歌会が催され、会場に集まった御歌所の人々に交じって象子の歌が披露されていた。

             あまかけるたまの行方をしたふまに
                                    帰らぬ年は十年へにけり

 会の終了後、象子に新たな空しさが襲ってきた。

 

 明治三十一年(一八九八)庫太郎は無事帝大を卒業し、日銀への就職が決まる。
 象子の念願が叶い、わが子のように喜んだが、これは庫太郎との別離の日が来たということでもあった。
「伯母さま、そんな悲観的な顔をしなくてもいいですよ。日銀に就職が決まったからと言ってこの東京から出ていくわけではありませんし、このまま居させてください」
「庫坊様、それはありがたいけど、あなたはこれで一人前になったのですからどこかに住まいを構えるべきです」
「でも東京は広いし勤め先を考えると、この家が最も好都合です」
 庫太郎とはこんな議論の末、当分の間根岸に同居していく事で落ち着いた。しかし長続きはしなかった。
 日銀の海外実務研究の名目でロンドンへの特派が決まった。

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           (象子の甥 鈴木庫太郎)

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2022年2月26日 (土)

十湖外伝 雨後蝉(47) 歌人河合象子の生涯

 昨年の二月頃からコレラが全国的に再び流行し、四万人余が死亡したと新聞が連日報道していた。
 この年のコレラ流行は他の年と状況が異なり、日清戦争の帰還兵や軍役夫が大陸などから感染して帰国したのがきっかけである。
 東京市内の患者総数は三千人を超え、その内二千五百人以上が亡くなっていた。コレラは死に至る病として人々の間に認知された。
 明治二十八年(一八九五)十二月、落合直文が弔辞を読んでいる。
「小中村清矩先生の棺の御前に落合直文、もとの古典科の国書課出身の人々にかわり、一言もうす。先生は常に衛生に御心をとどめられしかば、百歳までもとたのみきこえつるに、かく、われわれを見すてたまひて、みまかりたまへるなど、そもそもいかにぞや。かくとききしおりは、きも心もきえいるやうなりしが、かくてあるべきにあらねば、おのもも手をわかちて御葬儀のことどもにいたつきあへり」
 谷中の葬儀会場に粛々と響き渡っていた。
 何ということか、象子には想像を絶する出来事であった。
 片時も健康に留意することを忘れなかった主は、七十三歳であの世へと旅立ってしまった。
 一説にはコレラの感染によるものだと云っていたが、真意は定かではない。
 原因はともかく、現に主はこの世に生きていないのである。

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2022年2月18日 (金)

十湖外伝 雨後蝉(46) 歌人河合象子の生涯

 盆が過ぎたころ象子が主の邸へ行くと、思いがけなく伊能が来ていた。
「あら、奇遇ですわね。先だっての歌会はお疲れさまでした」
「こちらこそ楽しい一日を過ごさせていただいた」
 伊能は軽く受け流すようにあいさつをし、目尻を下げていた。
 象子の要件は、主に歌を添削してもらうつもりであったが、何やら書き物で忙しく、伊能がときどき口を挟んでは口論をしている。
 仕方なく出直そうとすると、主の手が伸びて象子の半紙を掴んでいた。
 そのまま無言で添削し、
「象子、これでよい。あとで清書したら送ってくれ」
 象子に半紙を戻し再び伊能と話始めた。
 象子は何やら複雑なわけでもあるのだろうと、この場は引き下がり礼を言って邸を出た。
 ここ数日は晴天続きで太陽が眩しい。小高い丘の緑陰に涼を求めた。
 月が変わり9月13日、明治天皇が広島の大本営入りをするというので、象子の足は皇居へと向かっていた。
 天皇が無事でお戻りできるよう拝しておこうと思っていたのである。
   象子にとって、戦争は一児を奪った憎く悲しいできごとである。
 明治十年西南戦争の折、松哲との子麻枝が海軍に召集されて九州へと行くことになった。
 だが薩摩の海の防備において亡くなっていた。
  この日象子の心残りは他にもあった。
 かねてから作っていた「道の日記」1巻を未だに主から了承を得てなかったため、あらためて訊ねてみようと思っていた。
 主の邸へ寄り確認したところ主は机上に置かれていた原稿に眼を走らせ、小中村からの朱筆を得た。
 帰路は足取りが軽くなっていた。

Sigaifukei
 

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2022年2月11日 (金)

十湖外伝 雨後蝉(45) 歌人河合象子の生涯

 主の邸前に三台の車が用意され、八時ころより上野方面へ行く予定である。
 象子もその中に加わっている。
 今日はめかしこんで年を隠そうとしているのか、浴衣の柄を恥ずかしながら派手にして見せた。
 二人の老人は気に入ってくれたようだ。
 まずは上野東照宮社前の茶店に寄り歌を詠むことになっている。だが着いてみると
「申し訳ございません。本日は座敷がすべて貸切りです」
 一言で車夫が断られてしまった。
 仕方なく次は谷中の諏訪社へ車を走らせた。
 生暖かい風を切っていくが車中では風が多少は和む。
 着いた諏訪社は上野より飛鳥山に通じる高台にあって、四季の眺めがよく文人墨客に親しまれ、この季節は見晴らしがよいうえに涼しい。
 主が好きな場所であり、神社の祠官は知り合いでもある。
 挨拶をした祠官は待っていたらしく、一緒に社務所まで案内してくれる。
「おひさしぶりですな。しばらくここで歌を詠ませていただきますよ」
 主は気安く祠官に声を掛けると
「社の一部は修復中でして、皆様にご迷惑をおかけしております。今日はちょうど工事がお休みでしたので、どうぞ心ゆくまで歌をお詠み下され」
 主とはそのまま談笑が続いている。
 昼をここで取らせていただき、一行は夏秋五十題を夕方までに詠み果てていた。
 この日は象子にとって最も気を許すことができた日であった。

Syafu

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2022年2月 3日 (木)

十湖外伝 雨後蝉(44) 歌人河合象子の生涯

 象子は六十歳の還暦を迎えた。
   主で和歌の師匠である小中村清矩は七十二歳になっていた。
 象子とは歳が一回り違うが、常に健康には気づかい別段体に悪いところはない。
 主は温厚篤実な方で、象子はこれまで一度も怒られたことはない。
 だが学生の間では、試験が実に厳格で学問に対しては厳密な面を持っていたと恐れられていた。
 象子は庫太郎の学業のことで相談をしようと試みたことがあったが、先回りされて心配ごとを払しょくしてくれた。
 象子は還暦を迎えた今、このまま主についていく事を改めて心に決めた。自身の体にも気を配る必要を感じていた。
 七月の暑い盛り、主から邸へ来るよう頼まれていたので、時間の指定はなかったが朝早いうちに出向く。
 象子は玄関を開け庭の掃き掃除をしていると、老人二人がしゃべりながら邸に戻ってくる。自分の思いとは裏腹に、帰ってくる姿を見つけて
「あら、早いお帰りですこと。もう用事がお済になって」
 象子は明るい声を掛けると、主が近づきながら買ってきた朝顔の鉢を見せた。薄紅の花が目いっぱいに開いている。
「暑いからね。朝早ければ気分がいい。今しがたこの老人と入谷へ朝顔を見に行ってきた。陽が上がってくれば朝顔は萎んでしまうからね」
 と言いながら同道した連れ合いを紹介する。
 国学者の伊能高老であった。自ら字名は景福だと名乗った。

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2022年1月21日 (金)

十湖外伝 雨後蝉(43) 歌人河合象子の生涯

 年が変わり三月十日、主の邸の紅梅がほころぶ。
  朝から邸で来客の接待をする。
 様々な要件の来客を想定し、主と雑談しながら対応を検討していたところへ、歌人の落合直文がカステラを手土産にやってくる。
 本日の不意の客である。
「これ本日のお茶菓子。象子さんも一緒にどうですか」
「主が好きなものをよくご存じですね」
「そりゃあ、だれでも年をとれば甘い物が好いに決っています。私はまだ四十代だからお付き合いはしますよ」
 落合は楽しそうに胸を張ってお道化て見せた。
「君はまだ四十になったばかりか。私はもう五十になったのかと思っていたよ。言うことが年寄り染みているからな」
「ご冗談でしょう。実は以前にお話しした件ですが少しご意見を伺いに来ました」
 主は了解したという顔をして頷いた。
 象子が台所で洗い物を片付けながら何気なく話を聞いていた。
 この時ばかりは主も歌人として話を合わせる。象子にも興味があった。
「先生もご存じのように今年「あさ香塾」をつくり、これまでの歌壇の構造改革を提唱しているのですが、昨年門下生になった与謝野寛君が我家に住み込みで頑張っています。しかし、彼には彼の思惑があり、森鴎外に近づき大町や尾上柴舟らと交流を深め、宮中御歌所派批判を始めました。私は困り果てていますよ」
「与謝野君は二十歳になったばかりではないのですか。なかなかの大物ぶりですね」
「今すぐどうのという話ではないのですが、これから様々な革新論が発表されるのでしょうね」
「君は君で短歌革新論を具体的に実践していけばいいのであって、彼らがそれを批判するのならそこから時代にあったものを取り出していければいいのでは。あくまで両者で発展させていく」
「確かにこれまで歌壇では新しい試みがされたとはいえ、組織的に運動がおこったということはありませんでした。おそらく彼らはいずれ新しい歌壇結社でも創って私のところから去っていくのでしょうね」 
 台所から象子が顔を出し、再びお茶を入れに来る。
「話が長くなったけど象子もこちらへきてお茶を頂きなさい」
主が二人の談義に加わるように薦めたが、象子はあまり気乗りがしなかった。 

Ochiainaofumi
(落合直文)

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