カテゴリー「河合象子」の記事

天保6年三河国吉田城内で生まれ、後に上京し歌人としての波乱万丈の生涯を送る。国学者小中村清矩氏との交流は人生に多大な影響を及ぼした。

2026年3月 6日 (金)

十湖外伝 雨後蝉(6) 歌人河合象子の生涯

 二人は右往左往して川べり伝いに上がると、やがて崖上の笹原に出た。
 笹の葉一面に散ったばかりの花びらが被って雪原のようだ。    
 辺りを見渡すと雪乃の姿がないことに気づき、田鶴はもうこの辺でやめようと思った。
 その時だった。
 笹原に隠れて白い器の破片を見つけた。
 拾い上げてみると風雨に曝されたしゃれこうべの一部のようである。
 田鶴は破片を花びらが散りばめられた花籠にそっと収めると、雪乃のところまで急いで戻った。
「ねえ雪乃ちゃん、これ見て、美しいでしょう」
 息を弾ませながら雪乃に籠の中を覗かせると、そのまま自宅まで持ち帰った。
 田鶴の父は山中熊之進、城中で砲術指南役を掌っている。
 母は遠江国気賀町出身(現在の浜松市北区細江町気賀)で旧姓中村いしといい、祖母みとを含めて四人家族で暮らしている。
 弘化元年といえば城中では藩主信宝が病死し、十八歳の信時が家督を相続。のちに名を信璋と改めた。
 このころ、異国船が近海に出没して世の中が騒然としているときで、吉田藩の財政もひっ迫して内外とも多難な時期の藩主となった。
 邸へ戻ると祖母が縁側で、うたた寝をしている。
「お祖母ちゃま見て」
 田鶴は得意そうに云って祖母の眠りを覚まし、花籠をそっと差し出した。
「おやおや花びらに埋もれてしゃれこうべが覗いているではないか」
 祖母は驚くふうもなく、田鶴の顔をじっと見つめた。
「これは昔の大将か、それともなんぞの首の骨かも知れん。うちに置いても詮無いから、どこぞの寺でねんごろに祭ってやるのがよかろうぞ」
 田鶴は意気消沈しながらも祖母の言葉に従い、父熊之進が帰るのを待って供養しようと決めた。

Yosidajyo

(現在の吉田城) 

 

 

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2026年3月 2日 (月)

上山田温泉湯煙談義(歌人河合象子の回想(下)

 再び上山田温泉の1室である。夕餉も済んで俳人4人は団欒を楽しんでいた。
 といっても十湖の提案で再び酒を酌み交わしている。
「宗匠、酒はもう止めにしましょう。いつもの癖が出ますから」
 十湖に向かってこんな口が叩けるのは随処しかいない。随処は苦虫をつぶしたような顔をして睨んでいる。
「成佳の話もよくわかったから今晩はここまでに」
 と、成佳に顔を向き直し随処が仕切りなおすが、十湖はおもしろくない。
「おい成佳、結局お前は象子様が上京していなくなったので、和歌をやめてわしのところに入門したというわけだな。それにしてもわしが一度会っているとは知らなかった」
「仰せのとおりです。もう少し私の話を聞いてください」
 といって茶を一口含んで、また成佳が話を続けた。
「私は気賀の五味の名倉家で瓦屋を営んでいましたので、中村家とは昵懇の間柄です。それに雑俳の取次は本陣の与太夫様がやっており、俳諧の集まりやら和歌の遊びはその宿でやっておりました。後で中村家から聞いた話ですが、このころ象子様が東京へ出たのは、和歌の師匠のお世話があったからだそうです。」
「それにしても、お前の和歌の師匠河合象子とやらは随分と波乱に富んだ人生じゃなあ」
 十湖は腕組をして真顔で自分の想いをめぐらしていた。
 成佳は頷きながら指折り数えていた。自分の歳ではなくて象子の年齢である。
「もしも、上京した象子様が今もってご健在であれば70歳ですね。音信がないわけではありませんから和歌の世界でも活躍していることでしょう」
 成佳の話に十湖は疲れたらしく、その夜は静かに眠りに入っていった。

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(上山田温泉の十湖の句碑:宿の湯に延ばす命や千代の秋 明治38年10月30日吟行中に詠んだ句)

 

 

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2026年2月27日 (金)

十湖外伝 雨後蝉(5) 歌人河合象子の生涯

 古美術商の大崎は象子に関する遺品の中から、庫太郎が刊行した「河合象子遺稿」を繰り返し読み続けていた。
 戦時下という世相の業務多忙な時代を背景にして、庫太郎が象子の生涯を遺稿として上梓するに至った理由をもっと深く知りたいと思った。
 遺稿の始まりは江戸時代へと遡っていた。

 三河の国吉田の里は今の豊橋市にあたり、幕藩体制下で吉田藩の藩庁が置かれ、東海の重要な防衛拠点であった。
 吉田城は豊川の流域を背後にもち最後に入った城主は、大河内松平家である。
 この城が築かれたのは戦国時代初期の千五百年代と古く、敷地内の桜も同様の歳月を経ているので古木も多い。
 中でも天守の西方に広がる馬場付近は、桜の馬場とも称され城下でも知られる桜の名所でもあった。
 弘化元年(一八四四年)、十歳になった少女田鶴は、その桜の馬場に近所の同じ年の雪乃と連れ立って、豊川の流れを眼下に治めつつ花籠を持って遊びにきていた。
「早いわね。もうこんなにも散っちゃって」
 雪乃は嬉しそうに散った花びらを籠に納めている。
 風で散る花びらのほか、鳥が蜜を吸い花の付け根から切り取って落としたものも多い。
 田鶴は手に取って笑みを浮かべながら雪乃に見せると、そのまま花籠へ入れた。

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2026年2月25日 (水)

上山田温泉湯煙談義 ー歌人河合象子への回想(上)ー

 明治38年10月末日、十湖一行は門弟である長野の瀬在欽采の招きで戸隠に逗留して、句会を催しその帰路にあった。
 周囲の山々が紅葉で一段と冴えわたる上山田温泉には、夕暮れ前一行4人の俳人の声が湯殿に響き渡っている。
 最も若い弟子の閑里が出洗いをしながら
「今回の旅は天気も良く料理もうまいし、よかったですね。また是非同行したいなあ」
 はしゃいだ口調で随処の方を見た。すると側にいた随処が手拭いで顔をぬぐいながら一言付けたした。
「欽采さんはわしよりも若いのに心配りが行き届いていたな。閑里お前も食うだけじゃあなく少しは見習えよ」
 気持ちよさそうに湯に浸っているのは十湖と成佳だ。
「宗匠、連句も楽しかったですね。わしは欽采家の絹作り全国表彰を祝って詠んだやつですが、これで内川の衆と仲良く出来ました」
 同行者の中堅弟子名倉成佳がお湯を肩に掛けながら十湖に自慢そうに言った。
「おまえは入門して既に13年になるが、最近では弟子の中でもいい句を詠んでいるな。確かに連句会ではなかなか弾けていたしなあ」
 十湖が滅多に褒めたりすることはないのだが、酒の力も借りて言わせている。
 成佳にとっては褒められて満更でもなく、手で掬った湯を頭に被った。
「ことば選びもうまかったが、句に抑揚がある。まるで和歌を詠んでいるような」
 十湖にここまで褒めちぎられては応えないわけにはいかないと
「ご存知のように私は引佐郡気賀の生まれですが、師匠の弟子になる前はちょっとばかり和歌をかじっていまして、その和歌の師匠がいなくなるまで続けていました」
「なるほどのう。やはりその嗜みがあったか。なんでも知識を得ることは句にも深みが出てくるようだ」
「あんまり褒めちゃいけません。図に乗ってしまいますから」
 成佳は少し口を滑べらしてしまったが、十湖が気賀の和歌に興味を持ったらしく、湯から上がって部屋へ戻ってからも成佳に訊ねてきた。

 

上山田温泉 当時十湖一行が泊まった宿

Utikawa

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2026年2月20日 (金)

十湖外伝 雨後蝉(4) 歌人河合象子の生涯

 翌年、庫太郎が待ちに待った帰朝の前日である。
 日銀ロンドン支店に於いて送別会が開かれている会場に一人の若い男性行員が飛び込んできた。
「庫太郎さんにご自宅から電報です」
 渡された電報を読んだ庫太郎の顔が色を失くし、天井を仰いだ。
 会場内は一瞬静寂に包まれた。
「お別れの挨拶中にすみません。大切な伯母が昨夜亡くなったとの知らせでした」
 そう云って庫太郎は次の言葉が出なかった。
「君にはいろいろ世話になった。心からお悔やみを申し上げる。本日の挨拶はここまでにして、急いで帰朝の準備をしたまえ」
 上司は居並ぶ行員を前に機転を利かせて帰るよう説得した。
 庫太郎には母親同然の人の死に、じっとしていられない衝動に駆られていた。
 翌日、同僚への別れのことばもそこそこにロンドン支店を去る。
 帰朝して引佐気賀の自宅にたどり着いた時は電報から既に一ヶ月を経過していた。
 会葬者のいない仏間で家族らから生前の様子を伺いつつ墓参りも済ませた。
 懐かしい伯母の身辺の品を手に取り、涙無くして見ることはできなかった。
 大学まで卒業させてもらい就職できたのは、伯母の苦労なしでは達せなかったことだった。
 滞在数日にして日銀本店からの連絡で庫太郎は現実に呼び戻された。
 本店での業務を再開することになっていた。
 入行して以来すでに十年の歳月が流れており中堅行員としての責務は重大な局面に至っていた。
 二年前に日本へ帰って以来ロンドンでの活躍が認められて、日銀の最新知識を持ちうる行員として評価されていたのだ。

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(庫太郎の人名録、他に上下巻があった)

 

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2026年2月13日 (金)

十湖外伝 雨後蝉(3) 歌人河合象子の生涯

 明治四十一年(一九〇八)七十四歳になった象子は東京を離れ庫太郎の邸に寄寓していた。
土塀で囲まれた屋敷は季節の花が咲き誇り、好きな和歌がいつでも詠める。
つくづく東京を離れてよかったと年相応の安ど感が心を巡っていた。
同年七月二十三日そろそろ梅雨が明けるかと縁側の硝子戸越しにそぼ降る雨を見つめていると、鈴木家の孫娘が大きな声を上げて廊下を走ってくる。
「伯母さま、お手紙です」
「まあ、そんな大きな声で言わなくても聞こえていますよ」
振り向くと孫は封筒を手で振ってみせた。
「庫太郎叔父様から国際便よ、早く読んでみてくださいな」
象子のもとに庫太郎から国際便の手紙が届いたのだ。
 東京にいたころは、手紙が届いたことはない。同居同然だったし、お互い多忙で顔を合わせることが少ない毎日だった。だがこの日の手紙は国際便の横書きの封筒で初めて目にした。
「おやまあ、これは英語かしら。私にはわからないわ」
象子は驚いた様子でニコニコしながら手紙を眺めていると、側か
ら孫娘が読んであげるといって開封し始めた。中は日本語で書き綴られていた。
「庫太郎から象子さまへ お誕生日おめでとう。お元気でお過ごしですか。私がいなくてきっと寂しい思いをしてなさることでしょうね。ロンドンの仕事も大きな山場を越え、こちらの残務処理を終えたら一旦帰朝する予定です」
 孫がペンで書かれた字をたどたどしく読み進むうち
「帰朝ですって、何年振りかしら庫太郎の顔を見るのは」
 象子の顔が紅潮し笑みが毀れた。
雨が止み庭の樹木の葉からは雫が滴り落ちると、雨音に代わって蝉の声が降ってきた。

 

 

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Ikousyo10_20260204155301                       (象子の屋敷)

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2026年2月 6日 (金)

十湖外伝 雨後蝉(2) 歌人河合象子の生涯

 庫太郎は明治三十一年(一八九八)帝大法科を卒業後、日本銀行に就職し、まもなく海外実務研究の名目で夢のような時間を描いて英国に渡航した。
 だが日銀ロンドン支店では通常業務を任され多忙な日々を送り実生活は華やかどころか惨めで常に悲哀を感じていた。
「何しろ当時の留学生はポテトとパンばかりの生活で、その貧弱さ加減で話にならないほど、彼は最初と当てが違い大いにしょげていた」
 後日談として同僚が語っていたという。
 ところが、ある日突然歴史の大舞台に飛び出すような仕事が舞い込んできた。
 明治三十七年(一九〇四)二月、日露戦争勃発と時を同じくして日本は戦費調達のための外債募集に動き出し、日銀副総裁高橋是清、秘書の深井英五ら一行がニューヨーク経由ロンドンにやってきた。
 ロンドンでは横浜正金銀行支店の行員が外辺の事務手伝いをしていたが、十一月には日銀の行員が代理店たる横浜正金銀行監督のために駐在することになり、更にいくらかの加勢を頼んできた。その中に庫太郎が含まれた。
 一転して業務は札束勘定や金庫番から外債募集に関する事務取扱をすることになった。
とはいえ、外国との交渉は専ら高橋是清、秘書の深井英五らが行い、機密事項以外の事務手続きは加勢の行員が行った。
 高橋は云うまでもなく交渉の計画、市場観察、条件の商量等に力を注ぎ事務は深井が行っていたが、深井の手に余ることがあると高橋は暗号電信や文書の浄書の細事にまで自分でやっていた。
 庫太郎らは、そのうえでの加勢であって彼らの行動に遺漏がないよう常に気を配って事務を補佐遂行していた。
 入行七、八年目程度の庫太郎の眼には彼らの活躍は高嶺の花と映っていた。
 外債募集も成果を上げ一旦関係者が帰朝するとロンドン支店にも静けさが戻って来た。
   庫太郎はふと故郷の伯母象子を想っていた。 
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(鈴木庫太郎 明治40年1月 ロンドンにて)

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2026年2月 1日 (日)

十湖外伝 雨後蝉(1) 歌人河合象子の生涯

 古美術商の大崎陽介は本腰を入れて蒐集品の整理を始めた。
 昨年までは浜松の郊外に平屋を借りて商っていたが、退院後は市街地の自宅近くへ引っ越してきた。
 三階建てビル一階フロアは買取り品が山のように積み上げてある。
 本人にとっては段取り良く並べたつもりだ。
 久しぶりに寒さが和らぎ、古びた灯油のストーブを切って、思いついた古書を片っ端から取り出しては書名を確認している。
 その動作はてきぱきとしており、リズミカルでもある。
 既に傘寿を越えたが眼と耳だけが若いころから自信があり、未だ老眼鏡もかけず字を追うことができる。
 そのうえ髪も黒々として人の良さそうなおじさんと見間違うほどだ。
 すると、積んだはずの古書が何らかの弾みで崩れ、手元に一冊の小型本が残った。
  書名は「河合象子遺稿」とあり、今日の探し物の一部である。
 昭和六年発行の非売品で著者は故河合象子、発行者は鈴木庫太郎とある。
 銀色の布張りで著者の故郷にちなみ、曳馬野の萩を描いた上品な装丁は著者、発行者共々の人柄を表わしているようだ。
 この本をはじめとした河合象子関連資料は地元顕彰団体が保存していた個人の遺品で、団体が活動し始めたきっかけになったものだった。
 経年で団体の活動にも陰りが生じ、関係資料はいよいよお蔵入りとなるところを大崎が引き取ったものだった。
 顕彰団体が集めた資料には庫太郎が象子に対して敬意を払い生前に受けた恩恵に感謝している文面があった。
 大崎は象子の生涯を語るには庫太郎を知ることであり、その人生にも興味が広がった。

Ikohon
(本陣跡句碑)
Hhonjinmae

 

夕日照る根元の岩の白躑躅にほふあたりは暮れむともせず  
河合象子 詠

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2026年1月23日 (金)

十湖外伝 歌人河合象子の生涯「雨後蝉」開始

 来月初めから当分の間、引佐気賀が生んだ明治の歌人河合象子の生涯を「十湖外伝」として紹介していこうと思っています。タイトルは「雨後蝉」。
 すでに当ブログで河合象子の事については俳人松島十湖の交友関係の一部として紹介しているところですが、今後は書き下ろしのフィクションとして30回程度にわたり掲載していく予定です。
あらためて当ブログ「俳人十湖讃歌」をお楽しみいただければ幸いです。
なお、予備知識として歌人の河合象子を知るためには「遠江八景」中日新聞社発行が参考になるのでお薦めいたします。


Hakei

 

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2020年3月29日 (日)

十湖と歌人河合象子の関係

 先日、私の知り合いのO氏から、十湖は気賀の歌人である河合象子と付き合いがあったらしいというのである。
 河合象子は遠州気賀の本陣が母親の出身で1835生まれ。幼いころから和歌を嗜み、のちに地元で「宮廷歌人」と呼ばれているらしい。
 十湖とは一回り違う年齢差で、どこで接点があったのかよくわからないのだが、十湖の友富田久三郎の遺品の中から象子のものと思われる短冊が出てきたのだ。
 しかもそれは富田久三郎夫妻に対しお礼と祝いの歌を詠んでいたものだった。
 ひっとしたら十湖とは関係なく、個人的な富田家の付き合いがあったとも受け取れるが、地元の十湖百句塚保存会の冊子からは3人が何らかの形でつながっていたような文章が綴られている。
 これは当ブログの中では全く触れてこなかったことであり、早速、河合象子の生涯について興味をもって着手してみようと思っている。

M42kisako

(「現代によみがえる報徳の絆」十湖百句塚保存会の冊子より)

 なお、くわしく河合象子の生涯を知りたい方は「月並み写真堂」のホームページ内においてPDFで紹介しているので、ご一読いただければ幸いです。

リンク先
 十湖外伝 歌人河合象子の生涯「雨後蝉」
月並み写真堂

 

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