俳人の礼

2020年7月12日 (日)

俳人の礼(15最終回) 第410回

   同月二十五日は、いよいよ大撫庵を辞し去る日である。一生の記念としようとした今度の旅も今日で終わるのである。
 五時に床を出て十湖に逢う。昨夜の嵐は知らぬ顔である。相ともに別れの盃酌み交わし、令夫人のおもてなしの朝餉を頂戴した。
 八時、惜しき別れを大撫庵に告げた。
 玄関には馬車が二台横づけにされている。
「さあ、乗ってくれ。浜松駅まで見送るよ」
 翠葉は見送りだけは辞退したが聞き入れない。
 十湖は笑顔で翠葉を馬車へと導いた。
 もう一台の馬車には雪城、鶴眠、水野以文画伯、山下淵澄等が乗り込んだ。彼らも見送るという。
 二台の馬車は嘶きとともに駆け出した。車中での会話はしめやかで、やっと浜松駅に着く。
 改札を抜けたところで十湖から土産を渡された。
 大荷物が三個、そのほかに手荷物の合札もあった。それらはすべて翠葉への土産として贈られたもので品数は百余点である。
 汽車に乗り込もうとすると、十湖の万歳の発声と見送りの人々の声に送られた。
 汽車は一路、東京を目指した。車窓に映る風景の中には家族の顔が浮かんできていた。
 あくる日、大撫庵はいつものように、庭に放し飼いの鶏の声が朝を告げた。だが、庵からは誰も出てこない。朝日に向かって手を合わせる者もいない。ただ竃で飯を炊く炎がボーボーと呻っている。
台所では佐乃がまな板を叩く包丁の音が心地よく響いている。
昨夜の酒が利いたのか、眠気眼の十湖が庭を見てひとり呟いた。
「誠をもって風交する俳人は世の中には沢山いる。その中で楽しい誠の友と親しく膝を接し、楽天境に浸ることができるものがどれだけいるだろうか。わしは果報者よ、誠の付き合い方を翠葉に教えられたわ。良き盟友を持ったものよ。俳人としての礼はあいつのためにある言葉だな」

(十湖が花笠庵翠葉宗匠の来杖を歓び詠んだ句   客うけや庵は幸い竹の春
Sikisi
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2020年7月11日 (土)

俳人の礼(14) 第409回

 外を見ると行脚がうな垂れて、すごすごとあてどなく帰っていく。
 それはそれ、これはこれと翠葉は門前まで出て行って見送った。
「東京に来たら訪ねてくるように、今回はあなたが悪かった、十湖宗匠の云うことは正理である」
 こう慰めて袖を別った。
 行脚を見送って座敷に戻ると、十湖が未だ怒りが収まらずにいる。
 翠葉は十湖の肩に手をかけて
「爺さんの志はようく胸に納めて忘れない、だからもう大人しく休んでください」
 と泣きながら頼んだ。
 十湖は唯々諾々として寝室へ去ったのだった。
 この日十湖らが詠まれた挨拶吟は
   無二の友迎へて嬉し庵の秋   十湖

 これに雪城が脇を詠む
   待ちに待たれし月の輝き    雪城

 第三には淵澄宗匠が
  萩芒同じ野もせに匂ふらん    淵澄 
 
 これに挨拶吟
  お顔さへ仰げば袖の時雨哉   翠葉

 これに十湖が脇をせられた
  寒さ忘れて突合す膝      十湖

 鶴眠宗匠が第三をされた
  鯛一荷一尾残らず買入れて   鶴眠

 十湖の挨拶吟の脇は何と情感が籠っていたことかと述懐しながら、翠葉が眠りについたのは午前一時であった。誠にもって大変な今日一日であった。

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2020年7月 4日 (土)

俳人の礼(13) 第408回

  翠葉は内心つぶやきながらも、爺さんの気性はよく呑み込んでいる自分だ。非道の怒り方は断じてしない人である。仲裁すれば尚と怒り出すに違いないと口は出さずに控えていた。
 怒鳴った理由は明白であった。
 ――今日の歓迎会は行脚のお前のために開いたのではない。花笠庵のために開いたのであるから、散会を告げたなら一応暇乞いをすべきである。それが俳人の礼である。わしは行脚を泊めることは何とも思わない、年中四、五人の行脚を養っておる。一飯を振舞い、一夜を貸すのを惜しむのではないが、お前は俳人の礼を知らぬから帰れというのだ。花笠庵の部屋には門人さえも通させない、膝行させて出入りさしている。来客へも敷居の外で挨拶させている、それになんだ無断で花笠庵の上座を占め、芭蕉翁の像を後に悠々話し込むとは不作法千万の野人である。辞し去ると云わばこの方から引き止めるが、居座るとは不埒の奴だから即刻たちのけ
 こういうわけで怒り出したのである。
いかにも十湖の説はもっともである。行脚というものは厨の音を聞いてさえ門を叩くのを止めよというくらいである。
 世の多くの俳人は磊落の履き違いをしている。酒々落々たる間にも礼節を忘れないのが尊いのである。
 翠葉はまさに爺さんの怒り出しそうなことだと、はらはらしていたが、むしろ痛快に感じていた。こうも爺さんは自分の事を思っていてくれるのかと涙が一杯になってしまった。

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2020年7月 1日 (水)

俳人の礼(12) 第407回

 会場には参会者やそれを見ようと集まった者、また数十人という賑わいである。
 折柄降り出した秋雨の中に網を引くこと数回、四五尺の大鱸が溌剌として網の中に跳ねている。
「どうだ、翠葉すごいだろう」
 と、十湖はご機嫌で何度も翠葉を取持ってくれる。
 その間に門生や参会者が、代わるがわる歓待してくれるのだ。
 興半ばにして一人の青年が翠葉の傍に寄って来た。
 いかにも温厚そうな頼もしい人物と見えたので、少しばかり話をしてみると富田翠邦というつくし会員であった。
 つくし会員とは花笠庵翠葉が創設した俳句の会である。わざわざ同郷の会員をも、この場に招待していたのである。
 十湖の細かい心配りであった。後にこの青年は花笠庵の門生となり花笠庵を名乗った。
 夕刻には一茶亭に引き上げて酒宴を開き、大撫庵に引きかえして三度宴を開く。
 七時ころになって参会者は記念として十湖より送られた短冊挟み、常滑焼徳利を片手にして三々五々帰途についた。
 それでも残っている門生、参会者二十数人が、そのまま思い思いに談笑しつつあった。時間は静かに過ぎていった。
 すると俄然
「馬鹿野郎、帰れ」
 という十湖の叫び声が翠葉の耳を脅かした。
 何事かと思い外へ飛び出してみると、男が独り十湖に対し手をついて謝っている。
 最前まで翠葉の机の傍に来て、俳句談義をしていた大阪の行脚の男である。
 何か爺さんの気に障ったな、せっかく自分を歓迎してくれているのに怒鳴り散らさなくてもいいものを、困ったことをしてくれる。

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2020年6月29日 (月)

俳人の礼(11) 第406回

  こうして帰庵したところ大撫庵には二、三十人の来客があった。
 翠葉は何かあったのかと不審に思いながら自らの部屋に戻ると、代わるがわるの来訪がある。
 豊西村の村長、学校長をはじめ地区の名誉職の肩書を持つお歴々が挨拶に来た。
 なかでも村長の挨拶が振るっていた。
「いつだったか貴殿のところに宗匠が随分とお世話になったようで、しかもご夫婦で下の世話までしてくれるなど誰にでもできることではない。村を代表してお礼申し上げる」
 と笑みを浮かべながら翠葉に頭を下げた。かつて翠葉のところに十湖が滞在した時の礼を述べていたのだ。
 このはなしはどうも噂話から誇張しているようだ。翠葉は傍に十湖がいないので胸をなでおろしていた。
 別室では門人ら十余人が十湖の歓迎句を立句として歌仙を巻き始めた。
 すると翠葉にその捌きをせよという。
 一旦は未熟のためと辞退したが、十湖から頼まれると心もとなく思いながらも引き受けた。
 一方には連句の捌きをする、また一方には明日の歓迎会用の短冊挟み百本の題句と短冊をしたためる。
 おかげで最初の一日目は寝たのが十二時ころであった。
 翌二十四日は六時起床、空は晴れ渡っている。だが秋の空模様は変わりやすく、ややもすれば曇りがちである。
 十湖は例のとおり四時には起き出して今日の歓迎会の準備を指図している。
 翠葉が起きたのを確認して十湖が寄ってきた。
「花笠庵に謝らなければならんことができたよ」
「それは何ですか?」
「実は九州の田中自生から、花笠庵の歓迎会に飲んでくれと、あの土間にある酒をわざわざよこしたが、来るのが遅いのでみんな飲んでしまった。匂いだけはするだろうから嗅いで貰おう」
 十湖は笑いながら土間を指さした。
「花の露」と書かれた薦被りの四斗樽が土間に置かれている。
 酒を送ってくれた田中自生とは翠葉には心あたりがない。おそらく十湖の門弟の一人だろうと軽く受け流した。
 そのうちに十湖から歓迎会の準備ができたと促され、またしても天竜川へ行くことになる。
 翠葉のためにわざわざ地引網の催しを用意してくれていた。
 既に河原には漁夫数十人、船五隻が待機している。
 この費用だけでも並大抵ではないと心苦しくて、せっかくのこの豪遊も真実つらかった。と後日翠葉は述懐している。

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2020年6月27日 (土)

俳人の礼(10) 第405回

 今、翠葉は十湖邸を訪れている。まさに家中が下へも置かぬ待遇で奥の座敷へ案内してくれているのだ。
「よく来てくれた。何もご馳走するようなものはないが、座敷は皆畳替えをして、庭は申すまでもなく槇の下から竹藪までも掃除をした。布団も新調しておいた。それをどうか、わしのご馳走と思ってもらいたい」
 開口一番の十湖の歓迎の辞であった。
 俳人と生れてこれほどの名誉があろうかと、翠葉は今回の大旅行の打ち止めとして、意外なる光景が演出されつつあることをしみじみ有難く思った。
 むしろ昨年五月の十湖滞在中の翠葉一家の待遇が、心もとなかったような恥ずかしいような気がした。
 ただし誠意に適するものは何ものもないと弟子たちに断言できるはずであった。
 一応の挨拶が済むと十湖は門人、弟子たちとともに天竜川の後の月を見ようと翠葉を誘った。
 後の月とは「のちのつき」とよみ、陰暦九月十三日のの月を意味し、秋の季語である。
 云われるままに元気よく田を越え、藪を抜け、堤を過ぎて天竜河畔へ案内された。
 翠葉は十湖の後姿を見て
 ――この分では後十年位の命は大丈夫だろう、どうか長生きをさせたいものだ
 と願っていた。
   船早み布引山の月の寂
   川上はただ漠として後の月
   瀬音寒う山は黙して後の月

 天竜川の堤防において対岸の布引山に顔を出した「後の月」を見つつ、寂鮎を肴として酌めたときに詠んだ句である。
 左方に遠く秋葉山の暮れかかる頃には、十湖は大分ご機嫌で茶屋の女将や娘たちをからかい始めていた。

 

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2020年6月26日 (金)

俳人の礼(9) 第404回

 厠の方から声がする。
 なんと十湖が厠にはまって、今まさに黄金仏となっている。
 悪臭をものともせず二人で引き揚げ、庭へ連れ出し水をかけた。匂いはなかなか消えない。なんとか着ているものを脱がして洗濯し、新しいものを着せ足袋を穿かせたことがあった。
 そのうち翠葉も外の集まりに一緒に連れ出されることがあった。十湖の荷物や下駄など翠葉自身が進んで持つようにした。十湖が行き先で何を起すかわからないので着替えも含め自衛策をとった。
 かつて十湖と連れ立って行った東北漫遊の再来だとあきらめていた。
 こうしていつの間にか六十日間を経過したのであった。
 十湖がいざめでたく百歌仙を巻き上げて国へ帰ろうとしたときは、別れを惜しんで妻も泣いた。姪のよし子と云う女学生も泣いた。翠葉も泣いた。
 十湖も両目を真っ赤にしていた。おそらくこのときの十湖には翠葉のもてなしを余程うれしく思ってくれたのであろう。
「最後にひとつ頼みがある。はさみを持って来てくれ」
 十湖にいわれて翠葉は、はさみを差し出した。
 すると十湖は一尺ほどに伸びた白い顎鬚をひと思いに切ってしまった。
「もし、わしが死んだということを聞いたら、庭内の句碑のそばにこれを埋めてもらいたい」
 翠葉は切った顎鬚を小瓶に詰め預かることにした。
 
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2020年6月20日 (土)

俳人の礼(8) 第403回

 翠葉はこの夜、妻がかわいくさえ思えた。
「何せそんな具合で、人はいつも腫れ物に触るようにしているが、俺は時によると余計に触る。いやぶつかって踏みつぶす事がある。腫れ物扱いにされる爺さんにわざとぶつかって膿を出すのだから、お互いの心持ちの好さは格別だ。お前もその腫れ物にぶつかっても痛いと叫ばずに、好い気持ちだと、あの爺さんに嬉しがられるようにせねばならない。ともかく爺さんは俺に今生の思い出に厄介になりたいといったが、その代わり嫁に来たばかりのお前に俺は一生の頼みとして爺さんを頼む」
 翠葉の新家庭における密議はこれであった。
 さて十湖はと云うと、そんな事とは露知らず平気の平左で翠葉夫婦を玄関の三畳に寝かせておいて、自分は六畳の書斎兼客間を一人でわが物顔に占領して勝手に云いたい放題である。
 夜は十二時過ぎまでも起きていて家内中をこき使う。
 そのくせ、朝はきちんと四時には起き出して、がらがらと戸を開けて床柱を背にして煙管で吐月峰をカチリカチリと叩きつける。妻は嫁に来たてである。気兼ねをしては起き出してしまうのである。
 ある夕刻、句会から十湖がぐてん、ぐてんに酔っぱらって帰ってきた。
 しばらくすると廊下の向こうから
「助けてくれ」
 と呼ぶ声が聞こえた。若い夫婦は急いで飛び出した。

 

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2020年6月13日 (土)

俳人の礼(7) 第402回

 このとき翠葉は後妻を迎えてわずか十日ばかりしか経っていない。
 妻の理解が必要だった。だが俳人の交際や生活などはよく呑み込めていないはずだ。
 その夜、妻に云った。
「俺は爺さんから頼まれたのだから、爺さんを親のように仕える了見でいる。お前もどうかそのつもりでいてくれ」
「そのつもりでいてと云われても私はわかりません」
 妻は泣きそうな顔をして答えた。
「頭を蹴られたら親に蹴られたと思って、いかような問題が突発しても、じっと辛抱して、あの爺さんがめでたく百歌仙を巻いて帰国するまでは断じて悪い顔を見せてくれるな。それに俺はあの爺さんと松島見物に出かけて、やたらに荷物を持たせにかかるので大喧嘩をおっぱじめた事があった。けれども今度と云う今度は下駄も持てば、場合によってはケツも拭いてやるつもりでいる」
「私はまだこの家へ来たばかりです。あなたの気性さえよくわからないのに、あの爺さんの性分なんてわかるはずがありません」
「そりゃもっともなことだ。いや、それどころか、ともかくも何を仕出かすかわからんが、何事も夫のため、別けて俳壇にいる夫の顔を立てると思って我慢をしてもらわねばならぬ」
 と噛んで含めるように言い聞かせた。妻は驚きの目を光らせて
「そんなにむずかしい人ですか」
「もちろんむずかしい。ただし無意識に乱暴をしたり、むずかしいことを云ったり、ごねたりするような人ではない」
「それなら何でもありませんわ。心配いりませんもの」
「よく手を胸にあてて考えると、はあ、あれだなときっと思い当たることがある。そこの呼吸を呑み込んでいれば、あんな頼もしい爺さんは、おそらく天下俳人多しといえども滅多にあるまい」
「それは、それは貴重なお方ですね」
 妻の口からやっと笑みが毀れ同時に白い歯が覗いた。

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2020年6月11日 (木)

俳人の礼(6) 第401回

 今となっては笑い話に過ぎないがこんな逸話もある。
 大正三年五月、十湖が東京に住む翠葉のもとを訪ねて来たときの句会での挨拶のことである。
「わしは、もはや老境に近づいたから、再び東京に来れるかどうかわからない。したがって今生の思い出として東京の主なる俳人と百歌仙を巻いて帰りたいと思う。それにはわしの事をよく呑み込んでいる花笠庵の厄介になりたい、当地には倅もある、弟子もいる。厄介になるに不自由はないが、しかし真にわしの事を理解してくれるのは花笠庵だ。同じ厄介になるならあんたの厄介になって帰りたい」
 男として、ましてや俳壇に身を置くものが、十湖からの信頼を疎略にすることができるだろうか。翠葉は快くこれを引き受けた。
 一には俳人としてこの上の名誉があるだろうかと感じたからである。十湖の難し屋、のんべい、暴れ者など十湖を知る人のすべては、だれでもこの間の消息を知っている。天下の奇人と歌われつつある位で、十湖を怒らせずに一週間待遇し得た人は、少なくとも十湖の気性を飲み込んでいる人である。十湖には皇室を除いては貴顕豪傑も眼中にないのである。その例とすべき逸話は数え切れないほどにある。
 したがってある方面の俳人たちからは蛇とかげのごとく忌み恐れている、それほどのしたたか者の、冒頭第一の口上がこれであった。翠葉には感激の至りであろう。
「よろしゅうございます。ご存知の通りの貧乏世帯、これと云ってご馳走も出来かねますし、また私は種々の方面に関係していますから、一々お相手は出来かねますが、それでよろしくばご遠慮なくゆるゆるご滞在ください」
 翠葉は自分の胸が高まるのを抑えて、淡々と答えた。
「ご馳走はいらないが朝一合、晩二合だけは振る舞ってもらいたい」
 翠葉の返答のおかしさを忍びながら、承諾の旨を笑顔で答えた十湖であった。

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