北国紀行

2020年9月 5日 (土)

北国紀行(13) 第428回 ( 最終回)

  ここからは自動車が用意されており駅から佐野まで走る。
 十湖には初めての体験である。
 その自動車は屋根がズックを張ったもので、エンジンがかかると横揺れした。
「おいおい大丈夫かね。どっちへ向かって行くのか。前から人が来たぞ」
 後部座席で体を丸めて十湖が叫んだ。
 国道は日ごろ馬車が走っているためかでこぼこで、乗り心地はいまいちだ。疾走する先から馬車が走ってくる時はぶつからないか不安がよぎった。
 それでも十湖はいたって上機嫌だ。
 車の窓を開け風を切って走っている時などは句がいくつも浮かんできた。

   自動車の風薫るなり夏木立
   自動車や田植えの中を風切って

 長かった北国行脚も五月の末には終えて、ひとり帰庵した。

   帰宅して昼寝もならず高胡坐

 まだ体のどこかに自動車のクッションの居心地を憶えているようで、腰の落ち着かない十湖であった。
               (完)

Noriaitakusi

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2020年9月 1日 (火)

北国紀行(12) 第427回

 小杉は微笑みながら
「病人を残して吟行に行くなんてことはできないでしょう。わかりました。そのように願えれば私どもも安心です」
 小杉はいたって冷静に答えた。
「それでは些少ですが、これを 宗匠との吟行の足しにしていただけませんか」
 春雄は懐から二円出し、小杉に渡そうとした。
「いやいや心配はご無用。これは皆様の帰りの旅費に当ててください。それにこれでは足りないでしょうから」
 といって金を入れた封筒が用意されていた。
 小杉邸の庭には五月とはいえ既に初夏の白い花が咲いている。十湖はいつの間にか空を見上げて句を詠んでいた。

   夏嬉し是から能登の鹿島立ち

「涙もろくなったわい」
 と泣いていた昨夜の十湖はもう笑っていた。

 吟行に行く俳人仲間が玄関に続々集まってきた。
 やむなく小杉氏等は、十湖だけを伴って市中を案内し、吟行することにした。
 一旦、邸を離れれば一週間は俳人仲間に客人と招かれ句会が催され、昼も吟行で帰らないはずである。
 春雄らは玄関で吟行に行く俳人仲間の一行を送り出したあと、三人で身支度を始めた。
 このまま帰路につくつもりである。
「それにしても小杉様には申し訳のないことをした」
 と春雄は気まずい思いをひとこと言った。
「でも、ここの人たちは皆いい人たちですね。宗匠がいつものようにわがままさえ言わなければいいが」
 黄鶴は苦笑いをしながらいうと、春雄も同感だと云わんばかりに顔を見つめて、お互いに十湖のことを心配していた。
 さて、春雄らが帰路の列車に乗り込んだ頃には、小杉氏一行は山中温泉を目指していた。そこは芭蕉が曾良と別れた場所でもある。
 十湖は機嫌よく句づくりに励んでいた。

   谷間や見渡す限り桐の花

 山中温泉芭蕉堂に詣り

   新しき御像もよしや夏木立

 昼は芭蕉堂のわきの環翠楼で川魚料理に舌鼓

   川魚のもてなしもよし若葉かけ

 七尾では老舗菓子店で銘菓に遭遇

   能州の銘菓に添ふや古茶の味

 能登へ回ってからは北陸本線寺井駅へ出た。

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2020年8月26日 (水)

北国紀行(11) 第426回

 どちらも快く収まる方法はないか。思案しているうちに夜は白々と明けてきた。
 そのときである。
「どうしました黄鶴さん、熱でもあるのですか」
 と隣で寝ていた愛影が声を押し殺して黄鶴の体を揺さぶった。
「ううむ・・・」
 といかにも気だるそうに声を出す黄鶴。
「愛影の奴め、こんなところで一芝居をうってきたか」
 黄鶴はしょうがないが、ここで大芝居をうつとするかと腹を決めた。
 この日は早朝から小杉氏の俳人仲間が一行を案内して吟行の予定であった。
 だが今日の一行は、用意された朝食には一切手をつけず黄鶴の看病をしていた。
「小杉様、申し訳ない。仲間が病人になってしまったので、しばらく滞在の許しをいただけないだろうか」
 と春雄が黄鶴の看病をしたいと申し出た。
 さらに続けて
「少しでも熱が下がり動けるようになれば、そのまま三人は帰国をしたい」
と心からの謝意をもって伝えた。

Kumonoito

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2020年8月22日 (土)

北国紀行(10) 第425回

「それならいい考えがある。かつて芭蕉に同行した曽良が、このあたりで体調を崩し芭蕉と別れたといいます。曽良と同じく誰かが体調を崩し帰国するというのはどうでしょうか」
 黄鶴が両手を叩き口元をほころばせながら提案した。
「だれが病人になるのかな」
「愛影ではいかがですか」
「それでは役者不足だ」
「ふむ」
「やっぱり黄鶴しかいない」
「えっ、自分ですか。そんな」
 黄鶴は春雄にまんまと丸め込まれてしまった。
 ふすまの向こうでは十湖がまだ起きているようだ。
「いい年をして未だ弟子等にこんな心配させているなんて、我ながら情けないわい」
 この二人のやり取りを聞きながらと殊勝にも枕元に涙していた
 さて、そんなこととは梅雨知らず、いつこの狂言をするのか春雄は一晩考えていた。
 ――小杉氏に金がなくなったので同行を止めるといえば、心配しなくていいというだろうし、帰るといえば、きっと餞別をくれるだろう。どちらもそれは心苦しい。かといって無断で帰国すれば宗匠の顔が立たない。

Danngou

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2020年8月21日 (金)

北国紀行(9) 第424回

 やっとの思いで高岡の地に着く。
 ここでは不問庵主人が一行を迎えるため夜具、座布団の新調そして湯殿の改造までしてあった。
 その厚意にお礼をしたくても一行にはなにもなかった。
 しかたなく十湖は、せめてもの礼を句に託し詠んだ。

  我が心洗ひ清めん夏座敷
  見よ遊へ五月つつじの不問庵

 高岡公園にて

  葉桜の隊道越えて宮詣

 あくる日、目的地である金沢に着く。
 今回の旅行を仕掛けてくれた地元の俳人小杉氏宅に客人として宿泊する。
  その晩、黄鶴は春雄に相談を持ちかける。
    布団の上に寝間着姿のまま胡坐をかいている春雄に小声で黄鶴が云った。
「もうここまでですね。我々には帰りの金はないと思っていたが、思いがけず昨日高岡で金は使わなかったため、帰路の金ぐらいは残っています。我々だけは帰りましょうか」
「それを私も考えていたところだ。だが招いてくれた小杉氏に申し訳が立たない」
 と腕組みをした春雄は、黄鶴の意見に同調しながら答えた。

1en(当時の一円)

 

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2020年8月19日 (水)

北国紀行(8) 第423回

 一行は寺の境内に入ってみると、傷んでいるのは芭蕉堂のようである。 
 これを見た十湖の顔色が変わり
「これは労しい、何とかせにゃいかん。寺の者に金を渡して修繕をしてもらえ」
 いつもの癖が出たと春雄は思った。
 だがそんな余分な金はない。黄鶴にどうしたもんかと訊ねた。
「どうせ旅費を除けば今日の宿泊分で終わりだから、少ないが残りは全部寺に寄進して置いていきましょう」
「それができるか。申し訳ない」
 春雄は心配そうに云いながら頭を下げた。
 そんなこととは知ってか知らずか十湖は句を詠むのに専念していた。

 

   ぬかつけば雫するなり夏木立 
   鳴け聞かん黒髪庵のほととぎす

 

 まったくもって同行者の嘆きを句にしているようだと春雄はあきれた。
 駅に戻り越中一の宮、雨晴し、高岡へと向かう。
 春雄の不安をよそに、粛々と奥の細道を行く十湖一行であった。

 

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2020年8月17日 (月)

北国紀行(7) 第422回

 旅は親不知まで行って引き返し、富山には寄らず高岡方面へと向かう。
 途中で十湖が何か思い出したように言った。
「春雄、前回は来ていないところがある。駅から離れるが井波町の翁塚へ寄りたい」
 翁塚とは芭蕉の三塚のひとつで井波町の浄土宗の浄蓮寺境内にある。
 かつて芭蕉の弟子が芭蕉の墓から、小石三個を持ち帰り、浄蓮寺の境内に塚を建て芭蕉の遺髪も納められた。
 翁塚は、伊賀上野の故郷塚、義仲寺の本廟とともに芭蕉三塚とされている。
 境内には小さな庵があり門人ら俳人数百名が寄進を行い、文化七年(一八〇一年)に建てられて黒髪庵と名付けられている。
 明治十五年(一八八二年)には地域の俳人たちによって芭蕉堂が建てられ、堂内に芭蕉像が安置されたという。
 春雄は黄鶴に眼をやり、翁塚へ回ることの了承を求めた。
「しかたないですね」
 と黄鶴はやり切れなさそうな顔で答えた。
 井波町に入り、浄蓮寺方面を目指していると、壊れかけた茅葺屋根が見えた。
「どうもここらしい」

Okinatuka
(翁塚)

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2020年8月16日 (日)

北国紀行(6) 第421回

 明日からの立ち寄り場所は決まっていないが、詠みあげている句を聞いていると「奥の細道」を意識していると感じていた。
 なぜならばこれからの旅程は市振、親不知と北上することになり、芭蕉が北国へ入った時の逆に進むことになる。
 芭蕉が高岡方面へ向かい、金沢、山中温泉、能登へと周ったので、十湖の旅はきっと途中で引き返し高岡、金沢へ戻るはずだ。
 とても今の金遣いでは高岡まで行くのが精一杯だ。春雄は黄鶴には何と伝えようかと思案した。
 翌日早朝に宿を発ち、さらに北上し泊駅宮崎へと向かう。
泊駅宮崎にて

   早稲の香の碑を拝みけり田植前

 芭蕉が通りかかった時は既に富山の米は穂が出ていたはず。
 その野面の先に有磯海が広がる。有磯海は「荒磯海」で富山湾の海で歌枕。ただし、芭蕉一行はこれを右に見る道を一路金沢へ目指して歩いていく。
 滑川市を出発してから富山には行かず、常願寺川・神通川・庄川を渡り、高岡市へと旅を続けここに宿をとった。
 しかし、十湖の旅はまだこれからが田植えの時期だ。
 芭蕉の「 早稲の香や分け入る右は有磯海」より季節は早い。十湖はこの句を思いながらも、滑川の蛍烏賊、泊駅宮崎の田に芭蕉を意識した句作りをしていた。

Kigatanbo

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2020年8月15日 (土)

北国紀行(5) 第420回

 これまでもそうだが、十湖の旅は風の吹くまま気の向くまま、十湖の機嫌しだいで行き先が決まった。
 同行する春雄にとって、目的地は富山、金沢方面の北国を行脚することだったので別に驚きもしなかった。いつものことだと思った。

 魚津では
   眺望に見惚れて居れば蜃気楼

 五月のことであり海岸線から偶然見える天候にあたった。
    滑川に戻り

   見る人の心も照らせ蛍烏賊
   有磯海の富源はこれぞ蛍烏賊
   開国を富ます光や蛍烏賊

 滑川の宿での夕餉は地元門弟らも呼び、10人程度の男衆が共に食事をしながら句会を開き、十湖の詠んだ句が披露されていた。
 春雄はこの様子を見て、宗匠が昨夜の芸妓をあげての大騒ぎとは打って変わって句作りに専念しているのがわかった。

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2020年8月12日 (水)

北国紀行(4) 第419回

 呉羽丘陵は、「呉羽山断層」の西側が持ち上がってできた丘陵で、その西側はゆるやかな斜面になっているのに対し、東側は急斜面となっている。
 この呉羽丘陵によって富山平野は二分されており、かつては言葉や風俗の境界とされていた。呉羽丘陵よりも東側が呉東(ごとう)、西側が呉西(ごせい)と言われていた。
 富山という地名の由来について、かつて越中国の国府のあった現在の高岡市から見て、呉羽丘陵の外側にあった事から外山(とやま)と呼ばれ、それが変化して富山になったというらしい。
 このことを知ってか知らぬか、十湖は呉羽山への思い入れが強く句を次々に詠んで行った。そのつど呉羽山に語るかのように大きな声を発していた。
 その脇で今回の旅の財布持ちである黄鶴が一番若い弟子の愛影になにやら指図をしていた。
 春雄から今晩の旅館の世話を頼まれて、愛影を市内の本多旅館に走らせた。
 さて、陽が西へ傾きかけたころ、旅館では三人の芸妓を挙げてのドンちゃん騒ぎ、といっても十湖だけが盛りあがっていた。
「芸妓を総揚げしても必ずしも寝妓を買うという意味ではないぞ。女房一人佐乃しか愛していなくても、女が好きであれば仕方があるまい。大勢の女を知ることだけが好きと言う条件にはならんからな」
 と一人気炎をはいている始末。
 旅はこれからだというのに、黄鶴にとっては財布が軽くなるのを心配していたのだが。
 次の日、一行は魚津へむかう。

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