雨の訪問者

2020年10月 9日 (金)

雨の訪問者(6) 第434回

さらに続けて
「俳諧業か、これはさすがに盛んだよ」
と翁は笑いながら
「そうだ、たとえばお寺で授戒があったり、血脈などというふうにわしの弟子になりたいという者は皆弟子にしている。数えてみたらわしの血脈がかかっている門弟はまず1万2、3千人、生きている確かなところで1万人かな。何しろわしのように下手な俳諧師だから、これとて立派な門弟ができないが、大木随処、藤田如月、内藤木松、など俳人仲間に相当知られているのも出ている。門弟のおかげで今度計画している俳諧行脚も無銭旅行ができるわけだ。もっともこの貧乏老父のことだから金の要るところには行かないと決めている。困ったものだこの貧乏病はこの付近の藪医者とても治してくれぬ。死ぬまで全快の見込みはないと悟っているので血脈がかかっていて門弟が迷惑してくれてはわしもあの世に行って楽往生ができない。そうだ今の達者なうちに破門状を印刷しておき、いざという場合にその破門状を郵送する考えだ」
と翁一流の奇人的言辞である。
 死ぬ前に破門状を出すという十湖翁には大日本製糖の取締役をしている松島保平氏をはじめ二三の子女がいるが「子のものは一つも貰わぬ、親ともあるものが子の家にニョコニョコ行けるものか。用事があれば呼びもする、又子の方から来れば良い」と言って、ただの一度だって孫の顔を見に行ったことがない。
「わしが死んだ後も倅の厄介になろうとは思わぬが、ヨクヨクこのわしに惚れている門弟、遠州生まれで現四国の板野瀬戸村にいる富田高吉(号一鷹)というのが来て先生の死なれた時には葬式をやらしてくれ、費用は一万円くらい浜松の銀行に供託して置いてもいいと申し込んできている。愛いことを言うのでこれだけは破門させまいと考えている」
 歳に似ぬ大きな声でご機嫌顔が良い。外は相変わらず暴風雨は治まらず閉められた雨戸が悲鳴を上げていた。
数日後、翁から新聞社の小原あてに手紙が届いた。心勇んで封がなかなか切れない。
中には去る五月三日浜松の西来院に徳川家達公が築山御廟に藤見の為招かれた折の詠句と故明善と二人で撮った写真が同封されていた。
 小原は翁との訪問記事の冒頭にこう記した。
「十湖翁は語るところは奇人、行うところはいずれも妙、しかも稚拙に富んで世人の度胆を抜きあっと驚かせることがしばしばある。而してまた翁は贅沢は言わず、散財することは知って蓄えることは知らぬ人であり超然として家計の傾くことなどお構いなし。そこに翁の翁の面目が窺われ同時に奇人的俳味の横溢していることを認めうる。・・・・・」こんな書き出しで記事は特集を組み六回掲載した。
その最後に、送られた1枚の写真と詠句を載せた。

 ありがたや風の若葉の下遊び

 浜松は凧日和なり青葉吹く

    写真は金原明善と十湖が二人一緒に座っている記念写真であり、どちらの顔にも笑みはなかった。        

                 (完)

 

Meizenjiko2

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2020年10月 2日 (金)

雨の訪問者(5) 第433回

 十湖翁は他人に飲ませること、他人に食わせること、他人にものを与えることは屁のように思ってもおらん。
 だから年中食客が絶えたことがない。乞食で御座れ、渡り者の壮士で御座れ、一切その差別はない。
多いときには十人も二十人もゴロゴロ食客が翁の墨摺りをしている。こうして翁の家は日一日と貧しくなっていくのであるが、翁は平気なもので他山の石のごとく眺めている。
その夫人もまたいやな顔一度だってしたことがない。食客大歓迎の家は天下広しといってもこの翁の大蕪庵以外にはないであろう。
 酒が入った為か、座が開けてきた。妻佐乃は夕食の準備で席をはずした。
小原は三つ揃いの背広を脱ぎ、ネクタイも緩め胡坐をかいてメモを取り続けた。
翁はこちらが話しかけなくても回想して話を進めている。
時折口を挟むがそのたびに大きな声で笑う。根っから人と話をするのが好きな性分のように思えた。
「今はわしが年を取ったので食客が少ないが。訪ねてくればいつでも引き受ける、その代わりに俳諧を語るに足らぬやつは叱りつけてでもこれをやらかしてやる」
「これをやらかすとはどういうことですか」
小原は言う意味がわからず口を挟んだ。
「これとは墨を摺らせることだ」
 十湖翁はまじめに応えた。
 つまり俳句のハの字さえ知ってさえいれば、何十日翁の大蕪庵に寝転んでいても出て行けと迫られることはない。
主人も食客も同じ食べ物を一室に摂り、人間の平等に生きていくことを痛快としているのだ。
 かつて国勢調査が行われた時、翁は「営業」の欄に俳諧、報徳、農業改造と記入して届け出たことがある。俳諧業というのもあるいは農業改造業と称する稼業も、おそらく天下一品のものであったろう。翁はいう。
「百姓は改造せねばならぬ。鍬をコチコチもっているようじゃ日本の農村は発展せぬ」
それは大農法を達観しての主張であり、またその実行するをもって業務と心得ているのだ。
「報徳業か、ハハハ、実は今小田原と野州とにある報徳社のそもそもは、このわしが祀る事を許された。品川弥次郎さんが内務大臣のときに一人で出願したところ、いやはや各方面から苦情が出て、神社を建てるくらいならなぜ相談してくれぬ。仲間に入れてくれるかとの談判にあい、とうとうわしは許可を得た膳ごしらへだけで引っ込み、それから後は例の金原なんかが世話を焼いて今日に至らしめたのだ。わしのこの話はマア品川さんが知っているだけでね、とにかく報徳宗の繁昌をなによりのなじみにしていることもわしの稼業のひとつなんだ」(次週金曜日に続く)Zo03                     (十湖夫妻の金婚式に撮る)

 

 

 

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2020年9月25日 (金)

雨の訪問者(4) 第432回

 外は陽が落ちかかっても雨が降り続いている。
 俳諧を基礎におく風流生活に没頭しようと決心した十湖翁にしてこれは不似合いなる官界の飯の味を知っている。
十湖は明治二十三年府県制のしかれた年に戸長・県官の実績を当時の大迫県令に見込まれ引佐麁玉郡長にすえられた。
以来六年間に亘って勤続したが私都合により辞任、官界から足を洗った。
 十湖翁がいうには在職中における奇行としてはいかなる上司をもあえて恐れず、年に一回は郡内の各町を輪番にその町の芸者を総揚げして大騒ぎをしたものである。
 今ならばたちまち綱紀の紊乱問題を引き起こすであろうが、翁は平気な顔をして部下の吏員に慰労の大宴会を張った。そうして風流郡長は二升八合の酒を徹夜してゆうゆう傾け尽くした記録を持っていた。
「我が好きは酒と女と山と水早起き俳句吉のため」これが翁の標語であり主義であったのだ。吉のためとは「吉平」自身のため、即ち十湖翁自身のためであると、この狂歌をものにして信条としていたのである。
 さらに翁は言う。
「芸者を総揚しても寝妓を買うという意味ではないぞ。女房一人今わしの傍に座っている。佐乃(72歳になる)子一人しか愛していなくても、女が好きであれば仕方があるまい。大勢の女を知ることだけが好きという条件にはならんからな。今でもやらしてみよ。きっと芸者を揚げて遊ぶくらいの事をけっこうしてみせる。早起きかそれも毎朝しているよ。どんな日でも電燈の消えぬまに朝飯を食ってしまわんと、そう一日不愉快でたまらんからの、まて好きなものにもうひとつとろろ芋があるぞ。郡長時代にもとろろ郡長とあだ名されたくらいだ。宿屋でもわしの顔を見るとすぐに芋を買いに走るほどだからな」
 ところが先に記した信条に背いてこの六年間酒は一滴も飲まないで居る。
「どうして酒は飲まないのですか」
と小原が糺すと、
「それは貧乏が身にしみているから飲まないのだ。世の中に怖いものはこの貧乏神よりほかはない。これから金原の遺したほどの金ができないものかと思っても居るんだからね。しかし、おい、君は酒を飲むだろう。他人の酒までは倹約しないさ」
と佐乃を呼び、酒を持ってこさせた。翁は杯を取り小原に差し出した。
「いえ私だけが飲むんでは申し訳がない。翁も一緒にどうか飲んでください」
「うーむ、今日は客の接待だからの。ひとついただくか」
(次週金曜日に続く)Kijin1
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2020年9月18日 (金)

雨の訪問者(3) 第431回

 とかく記者が相手となると、十湖は気が大きくなって口が軽くなる。弟子の中には記者も多く特別な人間だとは思っていないからだろう。
 年少時代は寺子屋の洟垂れ小僧をして小笠郡横須賀へ通い四書五経を読ませられたり文字を手習わされていた頃、七夕の短冊の古いやつを解いて、習字をしたこともあった。
本を買うのに金がないため、祖父の使い古しの虫の食った本を裏打ちしてまで、金原流の節約をしたことがある。
もとよりそう極度の倹約をしなければならなかった訳はいずれも天竜水災で数次に亘り祟ることがあった。
 金原翁が天竜治水に尽し始めた折、十湖もまた明治元年先帝の江戸へ東上遊ばすに際して、自村堤防の急策に当り、五月その竣成を告げ御通過のご安全を図り奉った。
 即ちこうしたことが故金原翁の向うを張った話の一例であって、十湖は最近「嗚呼金原明善翁」の印刷物を出したという。
 小原は十湖のペースで話が進むのを恐れ、話題を変えてみた。
「ところで聞くところによりますと、翁は日本に初めて伝わった西洋式の軍学をやったことがあるそうですが」
「横須賀藩の若いやつらや田原の藩士とともに、その頃デンデコデンと称した軍隊教練をやった。その後(陸軍編成)鎮台が各地にできたんだが、引き続き兵隊をやっていれば今頃は大将ぐらいにはなっているぞ」
と熱が高い。だが十湖の性格としては到底軍人の畑に居座っていることはできなかった。
「寡婦になったひとりの母りうが懸命に家のことをやっているのを見ると忍びなく、わしは軍服を脱いで百姓姿になり田地の整理に汗を流した結果、荒蕪した河原が十四町歩が元の田に帰り、やれやれと一安心することができた」
と十湖はしんみり言った。
 小原は十湖翁が時に大きな声で話したりするが、非常にまじめなる性格の所有者だと思った。決して奇人とは思えない。
「わしを生んでくれたのは母親だ、母親だけは孝行せねばならぬ。父は亡いからせめて一人の親の生きている間は滅多に外出もできぬ」
というふうに優しい一面も見せていた。さらに、もって生まれた風流味から、芭蕉の句の間仮名、隙仮名を耽読した。
「俳句の道は床しいものだ、芭蕉逝きて芭蕉なく、其角逝きて其角に対する蕪村あり、といえども遠く芭蕉に及ばず、それならわしがひとつ芭蕉になるまでやってみよう」
 十湖のこんな負けん気が、心の倦んだ時も奮闘心の起こった時も、悉くこの俳句の微妙と味わいが基礎においてなった。
東海道では名古屋を第一として、遠州はそれに次ぐ俳道盛んなところである。十湖はついにこの俳諧に入らんと決心し、夷伯、嵐牛の両師匠について学びはじめた。両師匠は共に逝きさらに春湖の門弟となり十湖を号するに至った。
 小原は翁の生活のすべてが俳諧によって出発していると知ったのだった。

(次週金曜日に続く)

 

 

Zo01_2                 (十湖宅の芭蕉像)

 

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2020年9月11日 (金)

雨の訪問者(2) 第430回

 家の中から妻の佐乃が傘を持って出迎えた。
「遠くからお疲れ様でした。それにしても何でこんなに濡れたのですか」
 車から降りたずぶ濡れの小原に手ぬぐいを差し出した。
「車が泥に嵌ってしまって雨の振る中押し出したんです。災難でした」
小原は佐乃の顔を見つめながら恐縮していた。
 邸の庭はこの雨で藤も芍薬もすべての木々の新緑がそよぎ立ち、酷くあやめられていた。廊下越しに見える十湖の姿は滝のように落ちる軒先の雨を書斎からながめ、銀髯を撫で下ろしつつ黙想していた。
小原はこの古い俳人にして新しいいものはロイド眼鏡かなと思った。
「始めてお目にかかります。新愛知新聞の記者の小原と申します。この度はお忙しい中をお時間をおとりくだされ、ありがとうございます」
通された部屋は十湖の崇拝する偉人や門弟などの書画で隈なく占領されていた。障子には書の書き古しや書き損の紙が当てられていた。
俳聖芭蕉の木像や天竜川大氾濫の当時拾った川流れの大黒や恵比寿さんなどが床に祀られていた。
福神像は頬が欠けたり顎が落ちたりしていて根っから福福しくはなかった。
「わしが氾濫から救い出してやったのだ。その奇特を褒めて福の神が迷い込むだろうと思って待っているが、一向にやって来ぬ。恩知らずの神様だ」
 と十湖翁は笑いとばした。小原も合わせて苦笑いを見せた。
 佐乃が熱いお茶の入った湯飲みを二つ、盆に乗せて戻ってくると
「早速ですが翁の人生をお聞かせしてくれませんか」
 改まって小原は本日の用件を切り出した。
「し切り直されると話しにくい」
 十湖はそういいながらも、これまで何度か天竜川が氾濫し田畑、自宅も何度か流されたこと、そのたびに自分の事より隣人の救済にあたってきた事を縷々話した。
 このとき十湖は丸裸同様になっても構わず、蔵の中の米麦を一俵も余さず潔く投じて奉仕した。喜んで母りうも協力したのであった。
 今年1月に亡くなった金原明善が奉仕し始めたのもこのときである。
 以来今日に至るまで「明善と十湖」を並べてその人となりを世間で評されてきた。
したがって亡き明善翁の事を最もよく知っているものはこの十湖であり、両翁の間には人の知らぬ面白い話もたくさんあると続けた。
「わしはいつでも貧乏している。だが、しかし大正の二宮(尊徳)といわれた。故明善翁と向うを張って競争したことがあるから面白かろう」
とフンぞった。(次週金曜日につづく)

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2020年9月 6日 (日)

雨の訪問者(1) 第429回

 大正十二年四月末、新聞記者小原が浜松駅へ降り立った時、朝からの暴風雨は上がる気配はなかった。
 駅前で車に乗り込んだ小原は三つ揃いの背広に帽子を被るスタイルで、この天気ならこの格好が最適だと安堵した。
 年格好は四十歳を超えたぐらいで背が高く、髪を七三に分け案外甘いマスクの男である。
 車のワイパーが不規則に動く。前方の景色はまるで見えない。
「まさかこんな日に訪問してくるとは、相手が思っていないだろう」
 小原は一人呟いた。
 奇人に会うなら、この程度の天候が相手を怯ませるにはちょうどいい、と鷹を括っていた。
 車が駅から東へ向かう。進む道はぬかるんでいる。
そのうえ穴ぼこも多く、車は左右に揺れた。四十分程度で着くと運転手が言っていたが、ガタガタ道もしばらくの辛抱だ。
 その頃、豊西村中善地の十湖は、妻佐乃と雨の庭を眺めながら話していた。
「この天気でも来るだろうかのう。新聞社の編集局長だといっていたが、わしもそろそろ伊勢へ参ろうと思っていた矢先に取材の申し入れがあった。
世間でいうわしの奇人ぶりを取材したいといっていたが、いつものように言いたいことがしゃべれるな」
「そうですね。でも余り奇人振りを発揮しない方がいいのでは。お客様は来てもこなくても準備ができていますから、心配は要りませんよ」
佐乃は来客の来るのを待ちわびている十湖の顔を見ながら嗜めた。
 一方、車で向かっている小原が 市野村辺りへきた時、近道を行こうと笠井街道から脇道へ反れた。それがいけなかった。
「お客さん、すみませんね。車が泥の中にはまちゃって動けません。ちょっと後押ししてくれませんか」
雨は少しばかり小降りになっていた。
「困ったなあ。なんとかなりませんか。この雨じゃ一張羅いの背広が台無しだ」
「代わってやりたいが運転するのは私ですので、申し訳ないが」
「仕方ない。やりましょう」
 小原は傘を差しながら車を押すが、びくともしない。傘は諦め両手で押す。タイヤが泥を跳ね返した。
やっとの思いで泥穴から車が出た時は、小原の足元がずぶ濡れのうえに背広が泥まみれだった。
十湖の邸の前へ着くと、車は警笛を鳴らした。
(次週金曜日へ続く)Noriai00

 

 

 

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