高野山紀行

2020年12月10日 (木)

高野山紀行(9) 第446回

 極楽橋は、明治時代には不動橋・板橋とも呼ばれて、橋のたもとには銅像(現在は石造)の地蔵尊が祀られている。
 橋の向こう側には「極楽茶屋」と呼ばれる茶亭があり、旅姿の男女が休んでいた。
 十湖一行は宿泊場所を極楽橋付近にとると、極楽橋を渡り不動坂を歩いて高野山まで向かった。およそ二キロ半ほどの道のりであった。
 その夜、月を見ながら十湖はいくつもの句を詠んでいる。

  橋越すや空に真如の夏の月
  山の上の都に聞くや時鳥
  時鳥我も拾わず落とし文

 数日ここで滞在し、伊勢へと向かうことになる。
 初期の目的であった高野山への参詣を終え、六月十五日予定どおり帰庵するも、黄鶴は以後十湖の前に顔を出すことはなかった。
 一行の中では門人として中堅の立場なのだが、自ら画人としての道を進むべく去っていった。
 大正十五年には経営していた瀬戸物店を廃業し、以後の生き方はさらに波乱万丈に富み、短歌を詠み画家の鈴木三朝との交友が始まり、地域の画家としての地位もしだいに固まっていく。
 一方、十湖の側は同行した鈴木卓曙、松陰が中心になり、大蕪庵を守り立てていくことになる。
 十湖の旅も今回の高野山紀行が最後になるとは誰も思ってはいなかった。

(完)

Danjyogaran

 

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2020年12月 9日 (水)

高野山紀行(8) 第445回

 吉野口を過ぎ、まもなく高野山への入口、高野口駅へ着く。
 やっと、かねてより期待していた高野山にたどり着いたのだ。まさか七十七歳にしてくるとは十湖自身でもおかしかった。
 いつでも来ることができたはずなのだが、過去を振返ってみるとなぜかその時間が見当たらなかったようだ。
 今さら後悔したところでなんになろう。
 高野山の空気に触れ、十湖は自らの人生にそろそろ幕引きの時が来たのかなと妙な心地になり大きなため息をついた。
 高野山は、平安時代の頃より弘法大師空海が修行の場として開いた高野山真言宗である。 
 比叡山と並び日本仏教における聖地であり、現在は「壇上伽藍」と呼ばれる根本道場を中心とする宗教都市を形成している。
 一行は高野山の境内を参詣して後、地元門人らの紹介で今晩の宿泊地である極楽橋方面へ向かった。
 今では極楽橋駅があり、下車するとケーブル駅となっているが、十湖一行が訪ねた時代はその駅を作っている最中であった。

(当時の駅前旅館)Ekiomaeryokan




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2020年12月 6日 (日)

高野山紀行(7) 第444回

 翌日は案内役一人を連れに加え、関西線に乗り込み紀州和歌山へと向かう。
 伊賀の柘植駅付近は旧伊賀街道とその宿場街が残っており、車窓には田園風景が広がっている。
 窓を開けると田植えが済んだ田園から颯爽とした初夏の風を運んでくる。
 芭蕉が生まれた地でもあり十湖ら一行には感慨深い。
「いい天気になりましたね。これなら秀逸な句が生まれそうな気配ですよ」
 口をつぐんだまま外を眺めている卓曙に向かって黄鶴は声をかけた。
「そうだなあ。それより少し腹が減ったぞ」
 卓曙は句作りのことより食い気の方が気になっている。
 駅で買った柿の葉すしの包みを解き昼食とした。
 鯖を柿の葉で包み、押しをかけた鮨で柿の葉を剥がして食べた。
 柿の葉は食べないが随分と葉がやわらかい。
 産地によっては、塩漬けにするところもあるがここのは違った。
 酢の匂いが心地よい。脂ののった鯖のまったりとした旨みがあった。
 暫く汽車は駅に留まり、反対車線の汽車が来るのを待つ。

   心して聞かうよ伊賀の田植え唄
   そのうちに発句も交わらん田植え唄

 などと十湖が詠んでいるうちに一行の腹が寿司で満たされたのか、向かい側の座席からいびきが聞こえてくる。

   友五人汽車の昼寝もまたおかし

Nagoyajyo01
(昭和2年ころの名古屋城)

 

 

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2020年12月 2日 (水)

高野山紀行(6) 第443回

 同行者の一人に加わった黄鶴は、三年前に十湖に同行した北国行脚の時を思い出し、あの時のような自分本位の行動は十湖が懲りているはずだ、今度ばかりはないだろうと鷹を括っていた。
 それに交通機関もめざましく進歩して、汽車は一旦乗れば目的地まで連れて行ってくれるとあって、行く先への不安もなくなった。
 だが今の自分には一緒に行く資格はないはずなのに、十湖が同行を許してくれたことに感謝した。
 黄鶴は汽車の窓に顔をよせながら、十湖に弟子入りした頃を振返っていた。
 十湖は今の自分を必要としている。
 うぬぼれではないが弟子の中でも中堅になり、十湖が常に何をしようとしているかが分かるようになった。
 本当は画人として大成したいが、俳人としても十湖についていこうと思っていた。
 どこからか風が吹いている。
 ふと我に返ると、十湖が少しばかり窓を開け外の空気を楽しんでいた。

  すれ違う汽車より風の薫りけり
  涼風をのせて走るや汽車旅行

 やがて、汽車は名古屋駅に煙を吐きながら滑り込んだ。
 早朝に浜松を発ち、名古屋に着いた一行は思い思いにホームで体を伸ばした。

  涼しさや中京の名も広小路

 その日は名古屋に泊まり俳人仲間の接待を受けた。

Senro

 

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2020年12月 1日 (火)

高野山紀行(5) 第442回

 そのうち黄鶴の奇行が目立ち始めた。
 十湖の舘でも話題になり
「最近、黄鶴のうわさが絶えませんね」
 弟子のひとりが随處につぶやいた。
「それが、どうも近所では変人扱いにされているようで」
 黄鶴の家庭生活面が酒びたりの毎日に変わっている。
 世間の不評は彼の経済面から出たものであった。
 だからといって俳句や画に素質がない訳ではない。
 彼の持前の偉才は生きているはずだった。

 しばらく庭を眺め考え事をしていた十湖は、やはり黄鶴を同行させようと決めた。
 いろいろと思案に暮れたが、十湖は今回の旅への同行者三人を一番弟子の随処に告げた。
「黄鶴に決めましたか。私もそれが良いと思っていました」
 随処は、心から十湖を労った。
 大正十四年、十湖七十七歳の六月一日早朝、紀州の門人からの招待を受けて、一行は高野山へ向けて出立した。
 門人鈴木卓曙、小田松陰、鈴木黄鶴の三人が同行した。
 予定では高野山から山陽方面に向かい、神戸に滞在して六月十五日帰庵するはずであった。
 出立の日は既に梅雨入りしていたが、この日は正に梅雨の晴れ間といったところか。
 首途にあたり

  梅雨晴の不二を後に首途かな

 十湖も年のせいか、浮き立つ様子もなく淡々と静かに旅立っていった。

Jikokuhyot13



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2020年11月28日 (土)

高野山紀行(4) 第441回

 十湖は黄鶴に俳句関係の印刷を廻してやった。
 そうすれば俳句から遠避かることもないだろうとの配慮である。
 ゆえに俳句の方にも力を入れることになり、翌年二月には春雄、随処らととともに市内の北浜館で早春風雅会を開くに至った。
 結果は盛況であった。
 その上、黄鶴への心遣いが、弟子を大切にすると評価され、奇人にして人に優しいと、十湖の名声を一段と高くすることになった。
 新愛知新聞の編集局長が、十湖のことを連載で掲載したいと訪ねてきたこともあった。
 四月二十日には黄鶴が発起人となり、不動寺境内に十湖の句碑を建立した。
 果樹園経営していたころに不動寺へ世話をかけてきたことと、十湖への黄鶴からの償いであった。

  山の月心も高う眺めけり

 既に芭蕉の句碑は弘化二年に地域の俳人たちによって建立されていたが、そのそばに十湖の碑が添う様に建てられた。
 除幕式には十湖自身が出席しご満悦で黄鶴の望みどおりの結果となった。
 だが店を切り盛りしていた妻が、病気で入院したとたん、瀬戸物店の客が減少し始めた。
 仕事がうまくいかなくなると、身辺では疎んじられる。
「俺は何をやってもうまくいかない」
 黄鶴は自らを責めた。

(不動寺山門)

Fudojisanmon

Kuhifudoji






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2020年11月20日 (金)

高野山紀行(3) 第440回

 北国行脚に同行させる二年前、黄鶴は平口不動寺周辺の辺田原地区に桃の果樹園を経営していた。
 その傍ら地域の青年たちに、俳句を披露し指導した。
 俳句に興味があり学んでみたいという気のある者は自分の弟子にしていた。その数、十数人に及んでいたという。
 併せて画の道も盛んで翌年には画会を開催し、その売上金を不動尊の改築の資金にと不動寺に寄付をしたこともあった。
 彼に画の道の指導をしたのは、天竜龍山村の大石黄梅だった。きっかけはたまたま大蕪庵に画会開催のため立ち寄った時のことだ。
 黄鶴が自分の植えた石楠花を縁側で画いていたら黄梅の眼にとまった。以来黄梅の手ほどきにより画に専念することが多くなったのだった。
 おかげで画も売れて羽振りが良かった。
 しかし、いいことは長続きしない。二年後には果樹栽培は儲からないと断念し、小松に瀬戸物店を開業した。その傍ら印刷を副業としていた。
「いらっしゃいませ。今日はこれがよく売れていますよ」
「そうですか。ご主人は店に出てこないけど、いかがですか」
俳句仲間の客に言われて、妻はむっとした表情を隠しながら
「印刷業もやっているものですから、そちらで仕事をしています」
 妻が甲斐甲斐しく店先で客と対することで、商売はしだいに上向いていった。

(画:黄鶴)
Kokakuga




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2020年11月13日 (金)

高野山紀行(2) 第439回

 この花木の苗は、今から七年ほど前、弟子の鈴木黄鶴が持ってきた。
「この庭に自分の好きな花を植えてもよろしいでしょうか」
 小さな声で十湖に申し出があった。
「男の癖に花作りに興味があるのか。最近は家業にも熱が入らんようだし、いったいどうしたというのだ。もっと句作りに専念できないのか」
 十湖は一蹴したい気持ちで怒鳴った。
 だが、その理由を聞いて無下には断ることができなかった。

 黄鶴が初めてこの大蕪庵にきたのは十九歳のころである。それから六年で立机を許した。若いのに案外筋がいいと感心し以後、楽転居淡水と号した。
 大正十一年のときに初めて北国行脚の同行を許した。そのときは旅の金銭勘定を初め、現地での折衝など、事細かに先輩春雄との意見を交えながら、順調な旅を展開したことを覚えている。
 だが、十湖が今でも胸につかえているのは、同行していた黄鶴を旅の途中で帰してしまったことだった。
 今回はそれを償い、同行を許してしまおうかと思っていた。
 そんな矢先に、世間の風が十湖のもとに黄鶴の不評を送ってきたのである。
Daruma





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2020年11月 1日 (日)

高野山紀行(1) 第438回

 霧雨が大蕪庵の庭を濡らしている。
 いつもなら縁側で新聞を開いている十湖だが、今朝は腕組をしながらぼんやりと庭を眺めている。
 その先には、石楠花の淡く赤い花が映っていたはずである。
 七十七歳の老境に入った十湖にとっては、うっとうしいどころか気持ちが落ち着くのに一役買っている。
 初夏には高野山方面への吟行行脚を計画している。
 いま、その同行者を決めかねて、思いあぐねている様子ではなかろうか。
 七十歳を越えたからといって、足腰が弱いわけではないが、事をうまく運ぶための細かい段取りをするのが億劫になってきた。
 しかも、旅先で迎えてくれる俳人仲間に無作法があってはいけないと、心配りをすればするほど同行者を誰にすればいいのか気にかかる。
 人数はいつも三人を同行させる。
 それぞれに役割があり、毎日の生活分担をてきぱきと処理してくれれば、自分は発句するだけでよい。
 そう思いながらも、吟行に出れば付き合いの細部にまでこだわり、同行者の態度に激怒し大きな声を張り上げることがこれまでに何度もあった。
 庭の石楠花は、自ら目立とうとはしないが、十湖の目には何か訴えかけているようにも感じた。

Syakunage



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