小中村清矩

2022年3月 4日 (金)

十湖外伝 雨後蝉(48) 歌人河合象子の生涯

 翌年、小中村清矩追悼歌会が催され、会場に集まった御歌所の人々に交じって象子の歌が披露されていた。

             あまかけるたまの行方をしたふまに
                                    帰らぬ年は十年へにけり

 会の終了後、象子に新たな空しさが襲ってきた。

 

 明治三十一年(一八九八)庫太郎は無事帝大を卒業し、日銀への就職が決まる。
 象子の念願が叶い、わが子のように喜んだが、これは庫太郎との別離の日が来たということでもあった。
「伯母さま、そんな悲観的な顔をしなくてもいいですよ。日銀に就職が決まったからと言ってこの東京から出ていくわけではありませんし、このまま居させてください」
「庫坊様、それはありがたいけど、あなたはこれで一人前になったのですからどこかに住まいを構えるべきです」
「でも東京は広いし勤め先を考えると、この家が最も好都合です」
 庫太郎とはこんな議論の末、当分の間根岸に同居していく事で落ち着いた。しかし長続きはしなかった。
 日銀の海外実務研究の名目でロンドンへの特派が決まった。

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           (象子の甥 鈴木庫太郎)

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2022年2月26日 (土)

十湖外伝 雨後蝉(47) 歌人河合象子の生涯

 昨年の二月頃からコレラが全国的に再び流行し、四万人余が死亡したと新聞が連日報道していた。
 この年のコレラ流行は他の年と状況が異なり、日清戦争の帰還兵や軍役夫が大陸などから感染して帰国したのがきっかけである。
 東京市内の患者総数は三千人を超え、その内二千五百人以上が亡くなっていた。コレラは死に至る病として人々の間に認知された。
 明治二十八年(一八九五)十二月、落合直文が弔辞を読んでいる。
「小中村清矩先生の棺の御前に落合直文、もとの古典科の国書課出身の人々にかわり、一言もうす。先生は常に衛生に御心をとどめられしかば、百歳までもとたのみきこえつるに、かく、われわれを見すてたまひて、みまかりたまへるなど、そもそもいかにぞや。かくとききしおりは、きも心もきえいるやうなりしが、かくてあるべきにあらねば、おのもも手をわかちて御葬儀のことどもにいたつきあへり」
 谷中の葬儀会場に粛々と響き渡っていた。
 何ということか、象子には想像を絶する出来事であった。
 片時も健康に留意することを忘れなかった主は、七十三歳であの世へと旅立ってしまった。
 一説にはコレラの感染によるものだと云っていたが、真意は定かではない。
 原因はともかく、現に主はこの世に生きていないのである。

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2022年2月18日 (金)

十湖外伝 雨後蝉(46) 歌人河合象子の生涯

 盆が過ぎたころ象子が主の邸へ行くと、思いがけなく伊能が来ていた。
「あら、奇遇ですわね。先だっての歌会はお疲れさまでした」
「こちらこそ楽しい一日を過ごさせていただいた」
 伊能は軽く受け流すようにあいさつをし、目尻を下げていた。
 象子の要件は、主に歌を添削してもらうつもりであったが、何やら書き物で忙しく、伊能がときどき口を挟んでは口論をしている。
 仕方なく出直そうとすると、主の手が伸びて象子の半紙を掴んでいた。
 そのまま無言で添削し、
「象子、これでよい。あとで清書したら送ってくれ」
 象子に半紙を戻し再び伊能と話始めた。
 象子は何やら複雑なわけでもあるのだろうと、この場は引き下がり礼を言って邸を出た。
 ここ数日は晴天続きで太陽が眩しい。小高い丘の緑陰に涼を求めた。
 月が変わり9月13日、明治天皇が広島の大本営入りをするというので、象子の足は皇居へと向かっていた。
 天皇が無事でお戻りできるよう拝しておこうと思っていたのである。
   象子にとって、戦争は一児を奪った憎く悲しいできごとである。
 明治十年西南戦争の折、松哲との子麻枝が海軍に召集されて九州へと行くことになった。
 だが薩摩の海の防備において亡くなっていた。
  この日象子の心残りは他にもあった。
 かねてから作っていた「道の日記」1巻を未だに主から了承を得てなかったため、あらためて訊ねてみようと思っていた。
 主の邸へ寄り確認したところ主は机上に置かれていた原稿に眼を走らせ、小中村からの朱筆を得た。
 帰路は足取りが軽くなっていた。

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2022年2月11日 (金)

十湖外伝 雨後蝉(45) 歌人河合象子の生涯

 主の邸前に三台の車が用意され、八時ころより上野方面へ行く予定である。
 象子もその中に加わっている。
 今日はめかしこんで年を隠そうとしているのか、浴衣の柄を恥ずかしながら派手にして見せた。
 二人の老人は気に入ってくれたようだ。
 まずは上野東照宮社前の茶店に寄り歌を詠むことになっている。だが着いてみると
「申し訳ございません。本日は座敷がすべて貸切りです」
 一言で車夫が断られてしまった。
 仕方なく次は谷中の諏訪社へ車を走らせた。
 生暖かい風を切っていくが車中では風が多少は和む。
 着いた諏訪社は上野より飛鳥山に通じる高台にあって、四季の眺めがよく文人墨客に親しまれ、この季節は見晴らしがよいうえに涼しい。
 主が好きな場所であり、神社の祠官は知り合いでもある。
 挨拶をした祠官は待っていたらしく、一緒に社務所まで案内してくれる。
「おひさしぶりですな。しばらくここで歌を詠ませていただきますよ」
 主は気安く祠官に声を掛けると
「社の一部は修復中でして、皆様にご迷惑をおかけしております。今日はちょうど工事がお休みでしたので、どうぞ心ゆくまで歌をお詠み下され」
 主とはそのまま談笑が続いている。
 昼をここで取らせていただき、一行は夏秋五十題を夕方までに詠み果てていた。
 この日は象子にとって最も気を許すことができた日であった。

Syafu

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2022年2月 3日 (木)

十湖外伝 雨後蝉(44) 歌人河合象子の生涯

 象子は六十歳の還暦を迎えた。
   主で和歌の師匠である小中村清矩は七十二歳になっていた。
 象子とは歳が一回り違うが、常に健康には気づかい別段体に悪いところはない。
 主は温厚篤実な方で、象子はこれまで一度も怒られたことはない。
 だが学生の間では、試験が実に厳格で学問に対しては厳密な面を持っていたと恐れられていた。
 象子は庫太郎の学業のことで相談をしようと試みたことがあったが、先回りされて心配ごとを払しょくしてくれた。
 象子は還暦を迎えた今、このまま主についていく事を改めて心に決めた。自身の体にも気を配る必要を感じていた。
 七月の暑い盛り、主から邸へ来るよう頼まれていたので、時間の指定はなかったが朝早いうちに出向く。
 象子は玄関を開け庭の掃き掃除をしていると、老人二人がしゃべりながら邸に戻ってくる。自分の思いとは裏腹に、帰ってくる姿を見つけて
「あら、早いお帰りですこと。もう用事がお済になって」
 象子は明るい声を掛けると、主が近づきながら買ってきた朝顔の鉢を見せた。薄紅の花が目いっぱいに開いている。
「暑いからね。朝早ければ気分がいい。今しがたこの老人と入谷へ朝顔を見に行ってきた。陽が上がってくれば朝顔は萎んでしまうからね」
 と言いながら同道した連れ合いを紹介する。
 国学者の伊能高老であった。自ら字名は景福だと名乗った。

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2022年1月21日 (金)

十湖外伝 雨後蝉(43) 歌人河合象子の生涯

 年が変わり三月十日、主の邸の紅梅がほころぶ。
  朝から邸で来客の接待をする。
 様々な要件の来客を想定し、主と雑談しながら対応を検討していたところへ、歌人の落合直文がカステラを手土産にやってくる。
 本日の不意の客である。
「これ本日のお茶菓子。象子さんも一緒にどうですか」
「主が好きなものをよくご存じですね」
「そりゃあ、だれでも年をとれば甘い物が好いに決っています。私はまだ四十代だからお付き合いはしますよ」
 落合は楽しそうに胸を張ってお道化て見せた。
「君はまだ四十になったばかりか。私はもう五十になったのかと思っていたよ。言うことが年寄り染みているからな」
「ご冗談でしょう。実は以前にお話しした件ですが少しご意見を伺いに来ました」
 主は了解したという顔をして頷いた。
 象子が台所で洗い物を片付けながら何気なく話を聞いていた。
 この時ばかりは主も歌人として話を合わせる。象子にも興味があった。
「先生もご存じのように今年「あさ香塾」をつくり、これまでの歌壇の構造改革を提唱しているのですが、昨年門下生になった与謝野寛君が我家に住み込みで頑張っています。しかし、彼には彼の思惑があり、森鴎外に近づき大町や尾上柴舟らと交流を深め、宮中御歌所派批判を始めました。私は困り果てていますよ」
「与謝野君は二十歳になったばかりではないのですか。なかなかの大物ぶりですね」
「今すぐどうのという話ではないのですが、これから様々な革新論が発表されるのでしょうね」
「君は君で短歌革新論を具体的に実践していけばいいのであって、彼らがそれを批判するのならそこから時代にあったものを取り出していければいいのでは。あくまで両者で発展させていく」
「確かにこれまで歌壇では新しい試みがされたとはいえ、組織的に運動がおこったということはありませんでした。おそらく彼らはいずれ新しい歌壇結社でも創って私のところから去っていくのでしょうね」 
 台所から象子が顔を出し、再びお茶を入れに来る。
「話が長くなったけど象子もこちらへきてお茶を頂きなさい」
主が二人の談義に加わるように薦めたが、象子はあまり気乗りがしなかった。 

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(落合直文)

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2021年12月31日 (金)

十湖外伝 雨後蝉(39) 歌人河合象子の生涯

 四月一日麹町邸の主小中村清矩は、上野で彼岸桜のもと親友たちとの宴に参加し存分に花見を楽しんでいた。
 小中村は君性温厚謙譲、寝食を忘れて書を好まれたりと直弟子の落合直文が性格を評していた。
 主は落合の言うとおり学舎間でも同様に好かれていたようで
「小中村清矩先生は実に温厚篤実な方で、怒られるということは決してない人でした。」
 と歴史学者三上参次の評である。
 しかも学問には厳密な面を持っており「微に入り細を穿つという風一言一句をゆるがせにしない」という。
 そのころ内弟子となった象子は、主が不在なので留守にはできず邸で帰りを待った。
 邸にはいつでも来客がある。
 大学関係者から和歌の会など、いずれも大きな包みを抱えてくることが多い。
 主への意見を聞くための書類の届け物や和歌の添削依頼まで、象子には内容を応えられず受け取るのが精いっぱいであった。
 ある日、象子は自宅で歌を詠んでいたが外は春雨、何を思いたったのか、台所に差してあった桜花を持って麹町まで出向く。
 蛇の目傘を差し、界隈の景色を楽しみながら歩いていた。
 途中、菓子屋で二人分の三色団子を買い求めた。
 麹町の邸では主がいつものように書き物をして過ごしている。
 持ってきた桜を花瓶に差して玄関に置くと、主は象子の思惑に気づいたのか
「何かできたかね」
 主が物静かに訊ねるので買った三色団子の包みを開き
「いかがですか。途中で買ってきたものですが、美味しそう」
 象子は嬉しそうに応えながら、お茶を煎れる支度をした。
 主が思いがけない甘い物の出現に顔を綻ばせて無言で食べているところで、象子は半紙に書いた歌を差し出した。
 主はしばらく考えていたが、
「桜は散っても優雅だね。象子の歌には桜の思いが伝わってくるようだ」
 そういいながら、又黙々と自らの書き物を始めた。
 しばらくその様子を眺めていた象子だが、主の茶碗にお茶を注ぐと、そのまま挨拶をして玄関を出た。
 雨はすでにあがり、根岸へと立ち帰った。

Sakura21

 

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2021年12月18日 (土)

十湖外伝 雨後蝉(37) 歌人河合象子の生涯

 和歌を嗜む日々は毎年宮中歌会の御題へと挑戦が続く。
 ある日象子に上京する機会が訪れた。
 宮中歌会の選者を担当してきた方からの突然のお誘いである。
 象子の短歌に対する情熱とその才能を認め、さらなる能力開花のために東京で学んでみないかとの打診であった。
 象子は一も二もなく了承、師に就いて勉強し内弟子となる決意で上京することにした。
 その師とは国文学者で宮中において皇族方に歌を教え、しかも大学教授である小中村清矩であった。かつての紀州藩士であった。
 小中村の元の姓は原田氏で文政4年(1821)江戸麹町に生まれた。
 両親が早世されたため、母の妹に養育され小中村家を継ぐ。
 小中村家は石清水八幡宮の神職で江戸に下って商業を営んでいたが、清矩はその傍ら学業に専念し安政2年(1855)本居内遠に入門。
 2年後和歌山藩古学館教授となり5年後(1862)江戸幕府和学講談所講師となった。
 明治15年(1882)には東京大学教授・東京学士院会員であった。
 明治十五年(一八八二)象子は以前住んでいた根岸町に居を構え麹町の小中村清矩の屋敷で内弟子として、師の身の回りの世話と和歌に打ち込んだ。

Konakamura
(河合象子遺稿抄より)

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