1追憶・鷹野つぎ

十湖の養女鷹野つぎが語る、在りし日の松島十湖との思い出から

2022年5月13日 (金)

俳人十湖讃歌 第9回 追憶(9)


 浜名郡有玉村の有賀豊秋について国学、和歌を学び、赤佐村高橋月査、恒武村小栗松露の二師からは漢学及び詩文を修得、独学で仏典をも研究した。
 しかし、吉平の修得することはこれだけではとどまらず、国を修め、家を興し人身を善導に誘導することに目覚めた。
 それは幼年期の頃にたびたび起こった天竜川の氾濫で家を失い、田畑をつぶし家族を亡くすという地域の現状に対し出した答えだった。
 十九歳になって小田原の報徳学者福山瀧助につき報徳法をきわめた。
 以誠心為本、以勤労為主、以分度為体、以推譲為用の言を知ると、これこそまさに報徳の根本主義だと悟り、ひたすらこのことに集中し万事控えめに努め、信じて心から尊敬した。
 世の中を利するためには報徳法を研究実践して行く事だと気付いたのである。
 さらには先に独学した仏典についても難解なる部分の教えを乞うため磐田郡の可睡斎住職、引佐郡奥山半僧坊方広寺管長、富塚村法林寺住職等に就き、先に独学した仏典の難解部分の教えをうけた。
 話は戻るが、いくら勉学に熱中しているとはいえ、十八歳ともなると周囲で,「妻を娶れ」という声が聞こえてくる。
 親戚の勧めで近隣である蒲村の伊藤平六の次女と見合いをして四つ下の伊藤佐乃と結婚した。
 俳人伊藤嵐牛に師事しながら青年時代の吉平は俳人として、報徳主義者として、夫として歩み始めたのである。

 

Cyosyo

(鷹野が編集した伝記の表紙:奇人俳人松島十湖 明治42年発行)

 

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2022年5月10日 (火)

俳人十湖讃歌 第8回 追憶(8)

 俳句の批評を頼って届く郵便は常に机の上に山となった。
 だが、几帳面な性格からほっておくことなく、速やかに批評して寄稿者に返送した。
 吉平には毎日が充実し、穏やかな日々を送っていた。
 しかし、そんな日々はいつまでも続くわけではなかった。ある日既に老境に入っていた師夷白に死が訪れる。
「未だ俳諧の奥義を極めていないのに、これからも学ぶしかない」
 落胆する間もなく佐野郡の俳人伊藤嵐牛の門に入り俳諧の道を続ける。だがここでも師匠の没するのに遭遇した。
「なんたる巡り合せの悪いことか、自分には俳諧に進む資格はないのか」
 自問自答しながら、自らの欠くべきところを求めた。
 既に多感な年頃であり詩趣も常に充実してきたはずである。俳諧はますます上達の境地に入ったと思っていた。
「何かが足りない、それはいったい何か」
 吉平は苦悶しつつ自ら答えを導き出した。
 東京の俳人橘田春湖に随身して教えを受けること。同時に自らの足りない部分である国学を修め、和歌を学び漢学を修得しようと決した。

Nakazenjitaku

 

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2022年5月 8日 (日)

俳人十湖讃歌 第7回 追憶(7)

 ある日、吉平がいつものように勉学に励んでいると、師から呼ばれた。
「お前の父親が病気のようだ。一度会いに行ってきなさい」
 と師から告げられた。一旦家へ戻ってみると父源左衛門が病気に遭い、ついで末弟も病んで亡くなっている。
 これでは勉学をしているどころではなく家へ帰ることを余儀なくされた。
 十五歳の少年にはあまりにもむごい出来事だった。
 この不幸に日夜思い出しては泣き、室に籠ってはじっと座ったまま
 ――人の夭寿は是れ天の命なり、今に於て徒に之を悲しむは却りて孝悌の道に非ず
 と。母を慰め自ら勉学に家業に励んだ。吉平は幼年時代において早くも親族との別れを知り    
 ――子養わんと欲すれば親亡し
 の格言に涙し、母への孝養がますます深まっていった。
 やがて、どんな辛苦にも耐え新たな生き方を求めていこうと決心し、俳諧の道を志して俳人栩木夷白の門をたたいた。夷白は既に七十に近い老人だったが、遠州では名立たる俳人だった。
 吉平は学ぶと、たちまちにして頭角を現し、十湖という俳号を号するほどになった。
 僅か二年で俳句判者披露(俳句選者)となった。
 十七歳でこの地位を得たのは異例中の異例とあって遠州では知らない者がないほどであった。



Okawatebo
                     (戦前の大川の松並木 十湖の歩いた道)

 

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2022年5月 7日 (土)

俳人十湖讃歌 第6回 追憶(6)

 十二歳になって小笠郡横須賀町の撰要寺に預けられた。
 住み込んで寺の雑役をしながら書法及び漢籍を修得し、その傍ら仏典の教えを受けた。努力の結果ようやく古文真賓義を読むに至った。 
「吉太郎、読むだけではだめだ。全編を写書しなさい」
師は全編を書き写せという。吉太郎(のちの吉平)は嫌な顔をすることなく実行し、数日後全てやり遂げた。
 とうとう全編を講習したと師が認めた。
 吉平が学び始めたのは嘉永七年六歳の頃だというから、日本の歴史から見ると幕末にあたり、この前後には我が国を騒がす事件が勃発している。前年の嘉永六年にはペリーが浦賀に来航し、安政三年にはハリスが下田に来航している。
 当時の教育は江戸時代の寺子屋中心で庶民は専ら読み、書き、手習いが中心であった。吉平も同様の教育を寺に住み込みで受けることになったので、庶民の日常に必要な実用的、初歩的な教養は身に付けることができた。
 そればかりか齢を重ねるごとにその才が認められ、書法や漢学を修得し、仏典の教えも受けた。
 漢学は当時の武士が藩校で学ぶものの一つで、儒学中心、一般的には経、史、漢文をいうが、儒学の孝経、四書、五経である。幼年期を過ぎると自らの実生活と絡めてその教養の必要性を感じることになり、一段と勉学の道へのめりこんでいくのである。

Harisu
                                                      (ハリス来航の画)

 

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2022年5月 6日 (金)

俳人十湖讃歌 第5回 追憶(5)

 つぎは弥三郎の言い方が気に入らないのか、口を尖らして言い返した。
「私は俳人としての義父より、村の人たちのために私財を投げて貢献していたことが立派だったと思うわ」
 ふたりの会話が途切れた時、弥三郎はかつての十湖とのやり取りを思い出したのか、含み笑いをしながら十湖の回想を懐かしく語り始めた。

 十湖の祖先は代々遠江国浜名郡豊西村中善地(現浜松市東区豊西町)に居住し、いわゆる旧家であり、この地域において長く続いている家系を持つ家柄である。
 そのためそれなりの社会的地位を古くから維持してきた由緒のある家であった。
 代々農を本業として、時には商いを営んでいた。
 姓は藤原、松嶋はその氏である。父は幼名を藤吉と呼び、のちに源左衛門と称した。
 源左衛門十九歳の時、遠江国浜名郡蒲村(現浜松市東区上新屋町)本田平八の長女りうを娶り、嘉永二巳酉年三月十七日長男が生まれた。この子が後の十湖である。
 幼名を吉太郎と呼び、また吉兵衛と称し、次いで吉平改め、号は十湖をもってとおった。弟妹二人あり。
 十湖も嬰児の頃はただよく泣き、いたずらによく乳に縋る。
 しかし、その裏には自ら聡明なところがあった。四、五歳の頃になると一見他の子供らとは違っていたという。
 六歳にして家を出て、隣村羽鳥村(現豊町羽鳥)の瀧雲山源長院住職西尾蕙全の門に入り、専ら読書習字等を学び、六年後家へ戻った。

 


Terakoya

 

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2022年5月 5日 (木)

俳人十湖讃歌 第4回 追憶(4)

 他所では嫌いなものが出ては小言もいえないが、どこの家でも食作法があり一旦箸をつけたものは食べなければいけないのに余してしまった。
 俳諧の行脚客などの場合は決して許されないことだった。
「あの時は子供のようなものだから義父も見て見ないふりをしたのさ。やさしいところもあるんだよ」
 二人の会話が幼く、患者でいると甘えて人に優しくなってくるのだと弥三郎は感じていた。
「こんなこともあったわ。義父は機嫌がいいと、書くものがあれば揮毫をするといっていたわ。私にとってはどうでもいいことだけど汚されてはいかんと思い、手ぬぐいを差し出すと直ぐに腹の底をみすかれ義父の顔が曇ってしまったわね」
「それは義父の機嫌を損ねてしまったのだ」
「私も若かったしね」
 つぎは自分のした失敗を年齢の所為にしたかった。でも今から思えば義父との懐かしい思い出であった。
「硝子戸をあけてくださらない」
 つぎは弥三郎に頼んだ。夫は黙って、きしむ戸を労わりながら開けた。
 爽やかな風が病室内に流れ込んでくる。
「僕が浜松へ来て直ぐにやった仕事は義父の伝記つくりだった。よく中善地の家へ行ったが多くの門人が出入りしていて賑やかだったな。義父は俳人としてはたいした器だよ」

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                             (鷹野つぎの随筆集

 

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2022年4月29日 (金)

俳人十湖讃歌 第3回 追憶(3)

 十湖の家を初めて訪ねたのは、つぎが二十一歳のときで長男を抱いていった。明治四十四年のことだった。
「あのときは義父に逢うのが怖かったわ。だって屋敷の奥からいかめしい顔をして現れたからどんな話ができるかしらと思ったわ」
「君は優しいから、そんな心配はいらなかったのに」
 弥三郎は笑いながら、その時の十湖の顔を想像していた。
「今を思えば、当時の義父は本当に俳句に熱心だったわ。通された書院には揮毫用の毛氈が敷かれ、机、硯、筆がきちんと揃えられていたわね。几帳面な性格だったかしら」
「夕食のときは話が弾んだかな。義父は酒を飲めば饒舌で調子が良くなるはずだった」
「そうね。子どもの話を始めたら、爛々とした目が下がり始め、白い長髭の義父が厳めしい顔から人懐こそうな笑顔に変わったわ」
「そうか、過ぎてしまえばいい思い出だけが残るってわけだ。夕食のときはつぎの嫌いなものが出たと云っていたが」
「私って嫌いなものが多いの。あのときは出てこなければいいのにとハラハラしていたわ。そしたら大根の酢の物が出て、うっかり箸を付けてしまった。後から後悔したわね」

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                                                                 (当時の笠井郵便局)

 

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2022年4月22日 (金)

俳人十湖讃歌 第2回 追憶(2)

 つぎ自身は作家活動をしながら結核の療養をしている。
「先週は信州の実家に行ってきて、真弥に会ってきたよ。元気だった」
 弥三郎はベッドの端に腰を降ろして静かに云った。
「そう安心したわ。真弥が心配だったから」
「子どもの心配もいいけど、再発で入院したのだから気を付けないといけない。病院にいれば安心だけどな」
「そうね。うちにいると子どもの面倒でつい無理をしてしまう」
「それがよくないのさ。子どもにもうつってしまう」
いつものように弥三郎はつぎの手を握りながら注意した。
「こうしているとなんだか、今迄お世話になった人を思い出してしまうの」
「そういえばお前が十八の頃、娘として入籍してくれた人がいたね」
 弥三郎は二人に共通する人物を思い浮かべながら、優しく言葉を返した。
 最近の弥三郎は自分に気を使って話すことが多くなったとつぎは心苦しくもあった。
「私が忘れるとでも思っているの。だって、あの人がいなかったら、今の私たちはこうしていなかったもの」
 あの人とは、義父松島十湖のことである。
 つぎがはじめて会った時は十湖が既に六十五歳の頃で、二十歳代で県会議員、三十歳代の郡長時代には二宮尊徳の報徳仕法を実践し、その普及に走り、一方では俳人として名を馳せていた頃である。
 四十歳以降は俳諧師の宗匠として全国を行脚し俳句の振興に努めていた。

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2022年4月15日 (金)

俳人十湖讃歌 第1回 追憶(1)

 市立のサナトリウムは東京郊外の小高い丘にあり、病院というより病人の安息所という方が適しているかも知れない。
 昭和十一年、四十七歳になる鷹野つぎはこのサナトリウムいわゆる療養所の新館二十六舎に入った。
 病棟は白壁の清らかな天井、白布のベッド、日光の降り注ぐベランダ、見下ろせば新緑の庭園が広がっている。病室には六台のベッドが二列に並び、向かい側のベッドにだけ少女の患者が一人いた。
 寝巻姿のつぎのそばには夫弥三郎が珍しく見舞いに来ていた。
 弥三郎は相変わらず精悍な顔をして、女性には好かれそうなタイプである。最近、仕事が忙しいとか言って来なかったが久しぶりの対面だ。つぎの背に格子縞の入った赤い半纏を羽織ってやろうとしていた。
「子供たちは元気にしているかしら。それともあなたが手を焼いているのかな」
 つぎは、甘えたような声で弥三郎に囁くように云った。つぎの結核が再発して、すでに半年になる。十三歳になる三男の三弥だけが同じ病院に入院しており、隣のベッドに休んでいる。 
 ほかの兄弟三人はそれぞれ親戚に預けていた。
 このころまでに、つぎは八人の子どもを産んだが、既に四人は病気で亡くしていた。

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