俳人十湖讃歌 第15回 吉平直訴(6)
「彦三、これまで村の衆の意見を聞いてその実現に努めてきたが、運がいいのかその都度解決できた。だが、わしも二十四歳の戸長となった。思い付きだけで事を進めて物事が解決するとは思わん」
吉平は隣村の彦三に今の心境を語った。
「吉平の行動が思いつきだとは思わなかったな。それでも何とか解決に繋がるのだから、お前の素質だよ。そんなに深刻に考えんでもなんとかなろうぜ。悩まれてしまうと俺もどうすればいいのかわからん」
彦三は吉平でも悩むことがあるのかと一蹴したい思いだった。
確かにことはいい方向へ解決してきたはずである。
それも吉平の運の強さだけとは思いたくはなかった。
それだけ悩みぬき、考え抜いた成果なのだと解釈していた。
「わしは二十歳の時、小田原の福山瀧助に就いて報徳法を学んできた。以来常にこの精神を貫き、人のため村のためを思い実践してきた。だが、今のままでは不十分だ」
「じゃあ、どうすればいいというのだ。俺には分からんが」
「そりゃ、みんなで力を合わせてやるしかない」
「村人も、お前のように報徳法の実践をするというのか」
「そうだ。村の衆を募り報徳社を組織化するのだ」
「できるのか。そんなことが」
「やるしかない。無理にとは云わん。有志の集まりでもいい」
「うむ、それなら集まるかもしれんな。そしたら俺が一番乗りで組織に加わる」
彦三は吉平の説得に理解を示した。
――それにしても大それたことを考えている
彦三は吉平の考えには際限がないと感心した。同時に自分も最後までついていこうと腹を決めていた。
この年の十一月、吉平は中善地村の人々を勧誘して、福山瀧助の教えによる三才報徳社を組織化した。
地元には、天地人三才の徳に報いることを説く報徳思想を実践するものとして、遠譲中善地支社を設立し自ら社長となった。
(完)