架空対談:十湖の哲学 如是我観「我」
生きていれば今年で百七十七歳になる松島十湖宗匠に、久しぶりに対談を申し入れたところ彼岸月の某日快く応じてくれた。
聞き手は開設者自身である。
聞き手(開設者)
毎日暑い日が続きますね。お変わりありませんか。
十湖宗匠(霊)
変わりは無いが、この暑さは過去に体験したことが無い。
聞き手
今日は宗匠の生き方についての考え方をご助言いただきたいと思います。
十湖
良かろう。なんでも聞いてくれ。まず、人生は生命の一部派生にして、無始より無終にわたる。我はこの無窮連鎖の一部分なり。
聞き手
要するに人が生きるということは、全宇宙の生命の一部であって、始めも無ければ終わりも無い。宗匠を含めて人は繰り返しの中の一部だということですか。
十湖
そうだ。我は天然に生を欲し、常にその向上、充実、発展を希求している。
現在我の存在は過去我の大恩にして、未来我の存績は、現在我の犠牲に在り。
一体の生命は是を家に蔵す。
聞き手
つまり現在自分が存在するのは過去の人々のおかげによるもので、未来は現在の自分が切り開いていくものだというわけですね。その命は「家」にあるものだと。
十湖
そうだ。子孫の繁栄は自分にもたらされ、家が存続するのじゃ。
家は国家の縮図にして、国家は家の拡大なり。
家は単に我の棲息、休養の場所にはあらず。繰り返すが現在我は過去我の大恩に報ゆるの義務を有し、更に現在それ自ら向上を図り、未来我の存績、発展のために犠牲となるの責任を有す。
この義務を行い、責任を果たさば「道」その中にあり。
ゆえに家は道なり。家を離れて道なく、道離れて家なし。
聞き手
よくわかりました。
十湖
しかも国家は最高の道にして、国家を離れて、家なく、家を離れて国家なし。
家及び国家なくして我なし。我無くして家及び国家なし。
すべからく性に率いて道を行い、道を行いて性を発揮すべし。
我の大道はとうに是なり。
聞き手(対談を終えて)
短い時間だったが十湖宗匠の生き方、かくあるべき自分の道を伺うことができた。
対談ではほかに農業についてご本人の意見を聞くことができた。
この続きは次回に任せよう。
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