鶴氅のゆくえー「尊徳の遺品」顛末記(16)
さつきは束の間翔太と散歩に出た。
祖父の家から一歩路地を入ると、その先は畑が広がり、寺の鐘撞き堂が見えた。
かつてはこの付近は田畑だらけでいつも織屋の機械の音が響いていたと、さつきは幼い頃、祖父と通るたびにそんな話をしていたことを思い出していた。
やがて松島十湖の菩提寺の前に差し掛かった時、前方から二人に向かってくる人の姿があった。
近づくにつれその風貌が見え隠れする。
白髪で長く白い顎鬚を生やし、ロイドめがねをかけた和服姿の老人である。
手には杖を持っていた。
さつきが挨拶をしようと顔を向けた瞬間だった。
「いいかな、まず我が心を知ったか、しかれども鶴氅の記だけでは我が心を知ったとは言えぬ、報徳を知らずんば片翼の鳥、隻輪の車の如し、君それ願わくは報徳訓を知れ。報徳の道は永遠なり」
老人はさつきに眼を向けることなく立ち止まり呟いた。
云い終わるや否や足早にすれ違った。
二人は直ぐに振り返ってみたが老人の姿は消えていた。
さつきは老人の突然の出現に驚くというより、問われたことに衝撃を受けた。
わたしは尊徳の遺品である鶴氅の行方を追ってきたにもかかわらず、十湖様の報徳精神を貫いた生き様や功績を知ろうとして来なかったわ。 気付かなかったのよ、ごめんなさい。・・・・
さつきは心の中で十湖に謝っていた。
十湖の報徳精神の実践は彼の生涯のテーマであったはずだ。
その功績を報徳訓と重ねて併せてみれば、きっと彼の想いにたどり着く。
さつきはこれから新たな歩みを始める。
教員として彼の偉業を生徒たちに伝えれば、さまざまな場面において報徳の教えだけでなく郷土を理解するのに役立つことだろう。
これこそ、教育者としての使命でもあると思った。
「さつきちゃん、今の誰」
翔太に声をかけられて、さつきは我に返った。
「たぶん風体からして松島十湖さまではないかしら」
「それって過去の人だよね。こんなところに出てくるわけないよ。幻か」
「幻でも、きっと私たちに伝えたいことがあったんだわ」
さつきはそう言い返すと翔太の手を握り返した。
背後からは夕映えが二人の影を一つに重ね、徐々に町全体を包んでいった。
(完)
(2023.1.10 だるま市にて)