尊徳の遺品顛末記

時代は現代へ。金次郎に関心を持つ少女さつきの意外な行動。

2023年4月11日 (火)

鶴氅のゆくえー「尊徳の遺品」顛末記(16)

 さつきは束の間翔太と散歩に出た。
 祖父の家から一歩路地を入ると、その先は畑が広がり、寺の鐘撞き堂が見えた。
 かつてはこの付近は田畑だらけでいつも織屋の機械の音が響いていたと、さつきは幼い頃、祖父と通るたびにそんな話をしていたことを思い出していた。
 やがて松島十湖の菩提寺の前に差し掛かった時、前方から二人に向かってくる人の姿があった。
 近づくにつれその風貌が見え隠れする。
 白髪で長く白い顎鬚を生やし、ロイドめがねをかけた和服姿の老人である。
 手には杖を持っていた。
 さつきが挨拶をしようと顔を向けた瞬間だった。
「いいかな、まず我が心を知ったか、しかれども鶴氅の記だけでは我が心を知ったとは言えぬ、報徳を知らずんば片翼の鳥、隻輪の車の如し、君それ願わくは報徳訓を知れ。報徳の道は永遠なり」
 老人はさつきに眼を向けることなく立ち止まり呟いた。
 云い終わるや否や足早にすれ違った。
 二人は直ぐに振り返ってみたが老人の姿は消えていた。
 さつきは老人の突然の出現に驚くというより、問われたことに衝撃を受けた。
 わたしは尊徳の遺品である鶴氅の行方を追ってきたにもかかわらず、十湖様の報徳精神を貫いた生き様や功績を知ろうとして来なかったわ。  気付かなかったのよ、ごめんなさい。・・・・
 さつきは心の中で十湖に謝っていた。
 十湖の報徳精神の実践は彼の生涯のテーマであったはずだ。
 その功績を報徳訓と重ねて併せてみれば、きっと彼の想いにたどり着く。
 さつきはこれから新たな歩みを始める。
 教員として彼の偉業を生徒たちに伝えれば、さまざまな場面において報徳の教えだけでなく郷土を理解するのに役立つことだろう。
 これこそ、教育者としての使命でもあると思った。
「さつきちゃん、今の誰」
 翔太に声をかけられて、さつきは我に返った。
「たぶん風体からして松島十湖さまではないかしら」
「それって過去の人だよね。こんなところに出てくるわけないよ。幻か」
「幻でも、きっと私たちに伝えたいことがあったんだわ」
 さつきはそう言い返すと翔太の手を握り返した。
 背後からは夕映えが二人の影を一つに重ね、徐々に町全体を包んでいった。
    (完)               

 

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(2023.1.10 だるま市にて)

 

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2023年4月 9日 (日)

鶴氅のゆくえー「尊徳の遺品」顛末記(15)

 祖父は松島十湖のことをもう少し詳しく説明する必要があるかと思ったが、問われたら応えようと先に話しを進めた。
「息子に譲ったとはいえ鶴氅には未練があったらしく、年に一回だけ息子から借りたらしい。正月に門人や報徳の社員等が自宅へ年頭の挨拶に来た折には、皆の前に披露して尊徳を崇拝していたというようだ」
 さつきは祖父が研究熱心でいまだに記憶しているのには感心した。
 祖母が新茶を煎れて皆に出したのを機に、さつき自身が見てきたことを話し始めた。   
「じいじ、これが鶴氅の写真よ。きれいに撮れているでしょ」
 さつきはコンパクトのデジカメをそのまま祖父に差出した。
「一目で鶴氅とわかるね。わしの持っている本のなかの写真とまったく同じだ」
 小田原の博物館内で収めた写真を食い入るようにして見ていた祖父は、驚きの声を上げた。書物の中では知っていても、現物が写真として目の前にあることに感慨深いものがあった。
「もうわしから言う言葉もない。さつきちゃん、よく調べたね。それにしても、どう結論付けてよいのかわからないな」
 祖父はこの発見が嬉しいばかりでなく、さつきの行動力に感動していた。
 鶴氅が鶴でなかったことは未来永劫尊徳を語るとき、鶴氅と思しき毛織は相馬藩の織手たちの技術的高さを評価することになる。
 その証となった。むしろ鶴でなくてよかったのだった。
「というわけでこの話はここまでです。私たち二人は、この春から別々の職場で働きます。でもね、住まいは一緒になるの」
 さつきはあっけらかんと祖父たちの前で言ってのけた。
「それはどうもご馳走様でした。おめでとう」
 祖父と祖母が祝福をすると若い二人は顔を見合わせて笑った。照れ笑いだ。
「さつきちゃん、夕ご飯食べてから帰ってね。おいしいもの沢山作るから」
 祖母が台所からおおきな声をかけた。

 

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(奇人俳人十湖の冊子より)

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2023年4月 5日 (水)

鶴氅のゆくえー「尊徳の遺品」顛末記(14)

「翔太さん、さつきです。今帰りの新幹線から電話しているの。鶴氅見てきました。ショーケースの中で輝いていたわ。学芸員の方がいろいろ説明してくれたけど、所蔵までの経緯は不明とのことでした。館を建てたときには既にあったんですって」
 さつきはどうしても云わなければ落ち着かなかった。
「博物館に所蔵されるまでの空白期間が気になるなあ」
「それでね、近いうちに祖父のところへ行ってみようと思うけど一緒に行ってくれないかな」
「ということはその空白期間を祖父に聞いて埋めるのかな。それとも婚約者である僕を紹介するってこと?」
「両方です。足の方の用意を期待していいかな、行き先は浜松市内だけど」
「お安いご用。さつきちゃんのために愛車をご披露します」

 一週間後、翔太は愛車の助手席にさつきを乗せてご満悦でハンドルを握っている。
 長い天竜川の橋を渡り浜松市内に入ると交差点の名を示す看板が目前に見えた。
「十湖池」とある。
 まもなく郷土の俳人松島十湖の生家跡を過ぎるところだった。目指す祖父の家は間近である。
「じいじ、久しぶり。大学のときの夏休み以来ね。それに顎髭が長くなったわね」
 さつきはうれしそうに挨拶した。
「今日は一人じゃなかったんだね」
 祖母が運転席から降りる翔太を見て言った。
「まあそんなところを紹介します。わたしのフィアンセ秋乃翔太さんです。以後よろしく」
 さつきがお道化た調子で紹介すると翔太がタイミングよく頭をペコッと下げた。
 若い二人は座敷に上がり床の間を背に座った。祖母が嬉しそうに二人の顔を見ながら
「今日は採れたてのイチゴを用意しておいたわ」
「いただきます。夏休みに来ることが多かったので、いつもおやつはスイカだったよね」  
 さつきは小学生の頃を思い出した。
「さつきが小学生だった夏は、ここで絵日記を画いていたよ。それも姫スイカの真っ赤な絵をね」
 祖父がイチゴを口にしながら言った。
「実はそのときに聞いていたことを、もう一度確認したくて来たんだけど」
 さつきは持ってきたノートを机の上に広げながら、今日来た目的を話した。
「鶴氅は松島十湖が所蔵しているといったと思うが、十湖も寄る年波には勝てず、いつまで自分が所蔵しているのか迷っていたと思う。明治の終わりには長男源一に譲ってしまったようだ。源一が静岡県の職員になったことで安心して譲り渡したのではないかな」

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(現在の十湖池付近)


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2023年4月 2日 (日)

鶴氅のゆくえー「尊徳の遺品」顛末記(13)

 既に心臓の鼓動は高まっていた。
「そのとおりです。以前からの説明文とは違います。実は外部の方に鑑定を依頼したことがあります。いつごろでしたか、それ以来掲載内容が変わりました」
「すると以前は鶴の羽で織った羽織と記されていたとかですか」
「ちょっとお待ちください。資料を探してきます」
 葉山は急ぎ足で事務室へ引き返し、数冊のファイルを抱えて戻ってきた。
「おっしゃるとおりです。一九九六年一月に東京国立博物館の方に鑑定を依頼したところ尊徳翁が相馬候から贈られた鶴氅はまったく違うものであることが判明しました」
「それが解説に書かれているとおり、木綿の生地の表面を起毛した物だったというわけですね」
「だからといって価値が下がるというわけではありません。あの時代に既に起毛の実例があったということは技術的に価値のあることです」
 葉山の答えは明快だった。昭和六十二年からこの館にいるというから、おそらく鑑定の時には立ち会っていたのではないだろうか。
「この記事がそうです。コピーしますからしばらくお待ちください」
 葉山学芸員が資料を抱えて戻ると、話しながら頁を繰った。
「これが記載された機関紙の写しです。東京国立博物館名誉館員の鑑定状況の写真があります」
 書き換える前は鶴の羽毛を使った羽織と記述されていたのだ。博物館が開設されて十三年後、専門家に鑑定され木綿の生地の起毛と現在表示されている。
 さつきは体中から力が抜けていくようで、唯一支えてくれるのは自らの二本の足だけだった。
「展示品を見る限りその格調の高さを考えると、鶴の羽毛であって欲しかった。なんだか夢から醒めたような感じです」
 さつきは今の心境を素直に吐露した。
「展示物をご覧なった方たちは、尊徳が技術的高さの品を貰えたのは偉業を成したればこそと、彼の実績に敬意を払ってくれているようです」
 学芸員の説明は重かった。
 これが事実であり、そのまま受け入れてこそ鶴氅の正しい評価がされると伝えていた。
 さつきは返す言葉が見つからなかった。

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2023年3月31日 (金)

鶴氅のゆくえー「尊徳の遺品」顛末記(12)

 展示品の右に張られている解説を一読するなり金縛りにあってしまった。
 ついさっきまでの期待は脆くも崩れ去ってしまった。
「後年鶴の羽毛を織り込んだものと誤認され、鶴氅と名付けられたが、実は木綿の生地の表面を起毛したもの。早期の起毛の実例として技術史的にも貴重な資料。尊徳の晩年、栢山村の岡部伊助に贈った。十八歳で叔父万兵衛の家を出て、まず厄介になったのが名主岡部善右衛門だったから当主に贈って恩義に報いたのである」
 さつきは自分の目を疑った。たった今、羽毛の羽織を見て本物ではと思ったのに、書かれている事は想定外のことが記されている。
 これは何かの間違いではないか。思いもかけなかったことであった。廊下で呼吸を整えながら、館側に聞いてみようと決めた。
 もしこれが事実なら、以前から紹介されていた鶴の反物は表記が誤っていたことになる。
 さつきは階下の受付へ戻り、声をかけて見た。
「どのようなお訊ねですか。私は学芸員の葉山と申します」
 静かな物腰でさつきに訊ねた。
「展示してある鶴氅のことですが、いつごろから所蔵されているのですか」
 さつきは本当に聞きたいことは後回しにして、学芸員の対応を確かめたかった。まず、当たり障りのない質問をしてみた。
「ここができたのが一九八三年の昭和五十八年です。このときには既にありました」
 学芸員はあっさり応えた。口ぶりから五十歳位かなとさつきは思った。この分なら意外と詳しく経過を知っているだろうと判断した。
「所蔵品の解説文には二宮神社所蔵分とありましたが、つまり館のできる前は神社に所蔵されていたということですね」
「そういうことになります。博物館の向かいにある神社がそうです。明治二十七年に建てられましたので、それ以後に奉納された可能性が高いと思います」
「そうですか。ありがとうございます」
 ひとつの用件は終わったと思った。学芸員の顔にも笑みがこぼれた。次に自分の質問の本筋を聞こうと再び訊ねた。
「鶴氅の解説文ですが、あれは開設当時から同じ内容ですか。ひょっとして替わっているとか」
 さつきは遠まわしに質問した。
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(報徳博物館パンフレットより)


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2023年3月28日 (火)

鶴氅のゆくえー「尊徳の遺品」顛末記(11)

 今年の桜の開花は例年にもまして早かった。
 地球温暖化のせいもあるのかなと思いながら、さつきは新幹線に乗り込んだ。
 掛川から小田原まで一時間余で早いものである。
 さつきは翔太と一緒に大日本報徳社を見学して以来、図書館で報徳関連の本を読み漁っていた。
 戦時中は時の政府と軍部がこの思想を利用して戦争を美化していたという説もあるが、教育者となったさつきにとってはそんなことより報徳の精神そのものが今の子供たちには不可欠なものだと思えた。
 報徳の教えは四つの柱で構成されていて、至誠、勤労、分度、推譲ということばで表されていることを知った。
 赴任先の小学生たちに二宮金次郎のことを「働きながら勉強しました」という紹介だけはしたくないと心に決めていた。
 さまざまな想いに囚われながら、車窓の風景を眺めているうちに、いつの間にか小田原駅に着いていた。
 駅を出て小田原城を目標に歩き出すと、堀の反対側に目的の建物「報徳博物館」はあった。
 館内が薄暗く省エネのせいかと納得した。
 展示スペースが二階の常設展示室のみであったのは意外だった。
 さつきの想いとは裏腹に期待を削がれたような感じがした。
 館内は一見して尊徳の遺品類をはじめ、書画などが展示されている。
 順路に沿って解説を拾い読みしながら陳列の中を覗いた。
 目指す鶴氅は遺品の着物類と同じ洋服ダンス大のショーケースに収まっていた。
 遠目でもこの羽織だけは目立った。
 格調高く浅い紺色の地に真白い綿毛のような繊維が織り込まれている。
 やはりあったのだ。鶴の反物がとうとう私の目の前にある
 大きな声で叫びたかった。館内の観覧者は自分だけである。
 さつきは発見した喜びが先に出て解説まで読んでいなかった。
 当然、所蔵時期や寄贈者の名もあるだろう。すべてはここで確認ができる。
 鶴氅の由来も相馬候からの贈り物とあるはずだと思っていた。
 「え、まさか、そんなことありえない」
 
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(報徳博物館パンフレット)


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2023年3月26日 (日)

鶴氅のゆくえー「尊徳の遺品」顛末記(10)

 十一歳の夏、祖父から聞かされた話をこのとき思い出し、朧気ながら記憶していた鶴の織物の存在を確認したかった。
 尊徳の遺品なら報徳社が知らないはずがないと思った。まもなく背広を着た白髪まじりの恰幅のよさそうな初老の男がやって来た。
「お訊ねの鶴氅のことですが、私は見たことがあります。実はここと同じく報徳社関連の施設が小田原市にありまして、報徳博物館に所蔵されているはずです」
 理事という男性は、いとも簡単に答えてくれた。
「そこへ行けば展示されているのですね」
 さつきは意外という表情で礼を言った。
「ですが、なぜお嬢様が鶴氅のことをご存知ですか。これまでにこんな質問を受けたことはなかった」
 理事は「なぜ」と疑問符を付けてさつきに質問した。
「私の祖父から聞いたんです。尊徳さんは立派な方で相馬候から事業成功の御礼に拝領したのだと」
 さつきはそれ以上詳しくは応えなかった。
理事はおそらく鶴氅の由来を承知している上で質問したのだろうと思ったからだ。
「そうですか。それならぜひ博物館でご覧ください。駅から小田原城を目標に歩いて行けばわかります。城内の敷地に隣接して二宮報徳神社もありますので一緒に見学したらいかがですか」
 やはり鶴氅は現存しているんだ。ぜひ見ておきたいと心が躍り始めた。報徳社の施設見学は途中で切り上げた。
「私、今度の休みに小田原まで行って来るから。その結果を持って祖父のところへ行こうと思うの」 
「さつきちゃんさえよければそれでいいよ。日時は又連絡してね」
 翔太はそういうと手を振って別れた。さつきにとって自宅までの道のりは鶴氅のことで頭がいっぱいであった。
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(大日本報徳社パンフレットより)


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2023年3月24日 (金)

鶴氅のゆくえー「尊徳の遺品」顛末記(9)

 二人が話に夢中になって歩いているうちに威厳のある建物の門に辿り着いた。
  入口の正面にはむかって右に報徳門、左側に経済門と刻まれている。
 翔太は自分のポケットから二人分の小銭を出した。
 入場料を払って敷地内へ入ると、ガイドらしき男性が近づいてきた。
 中を案内するからといって二人を建物へ誘導していく。
 十年以上前に改築したというが、未だに新築そのものの輝きを見せていた。
 ガイドはこちらのことなどお構いなく手元のパンフに沿って説明していく。
 さつきにはどうでもいいことだった。
 恐る恐る自分の知りたいことを聞いてみようかと思っていた。
「あのすみません。ちょっと聞きたいことがあるんですが」
「どうぞ私にわかることでしたらお答えしますよ」
 ガイドは愛想よくさつきの顔を見つめて応えた。
「鶴氅をご存知ですか。これが今どこにあるのか知りたいんです」
 さつきは聞きたいことだけを単刀直入にガイドに質問した。
「カクショウですか。どんな字を書くのですか」
「カクは鶴の字です。ショウの字は難しいのでひらがなです」
「私にはわかりませんね。事務所に理事の方がいますので、ちょっと呼んできますのでお待ちください」
 ガイドはそう云い残して事務所のほうに走り去った。
 さつきが聞きたいことというのは鶴氅のことだった。


 (大日本報徳社のパンフレット)

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2023年3月21日 (火)

鶴氅のゆくえー「尊徳の遺品」顛末記(8)

 さつきは売り言葉に買い言葉で翔太に食い下がった。
「二宮金次郎は江戸時代末期の農家に生まれ、貧しい少年時代を過ごしたのは知ってるね」
「そんなの誰だって知っているわ。ついでに言わせてもらえば彼は一日中真面目に働くので本を読む時間がなかった。銅像を見れば一目瞭然、薪を背負っての道中に書を開き勉強したのでした」
「そのとおり。でも僕らはそれ以上のことを知っているはずだ。掛川には、尊徳の思想を後々まで伝える報徳社がある。幼い頃学校で叩き込まれたはずだよ」
「他所のところはそれがないって言いたいわけね。自分の知識はこの地で養われた。だから金次郎のことはもっと深く説明できるはずだと」
「つまり薪を背負って勉強しましたというのは誰でも知っている事実。でもその勤勉さが小学生の理想として、手本として伝えたらどうだろう。金次郎が果たした農村復興や藩の財政立て直しの話をすれば子どもたちはきっと興味を引くはずだ。エピソードは多いしね」
「聞くところによれば金次郎の像が全国の小学校に建ったのは戦争突入の頃だって。金次郎のまじめな性格が国家総動員体制に突き進む思想形成に都合が良かったからと」
「それは一部の思想家の考えさ。結果的にそうなったのでは。むしろ現代は国民が自然現象のすさまじさにさらされるとき。金次郎のような生き方考え方こそ自然の脅威に立ち向かううえでは必要なことではないかと思うよ」
「翔太さんはなかなか雄弁家ですね。そもそも国策として思想形成に利用するなんて言うのがおかしいわ。彼の偉業を知らない輩が言うことですね」
「おやおや、さつきちゃんだって変だよ。偉業を知っているの」
「そうだ思い出した。小学校のとき作文書いたっけ。このことを」
「知らないなあ。僕とはクラスが違っていたしね」
 翔太はもうこの話はうんざりという顔をしていた。
「この足で大日本報徳社まで行ってみない。私聞きたいことがあった」
 さつきが思い出したように翔太を誘った。
「いいけど急にどうしたの。聞きたいことって」
 翔太が心配そうに訊ねた。
「小学校のときの作文には金次郎のことではなく、姫スイカのことを書いたの思い出した」
「食べ物のことか。さつきちゃんが思い着くことなんてそんなところかと思った」
 半ば呆れ顔に翔太は首を傾げて言った。
「だって当時はまだ小学生よ。じいじが云っていた金次郎こと尊徳の話は難しかった。でもね。今、思い出したことがあったわ」Dainihonhoutokusyapanfu_20230317154201


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2023年3月17日 (金)

鶴氅のゆくえー「尊徳の遺品」顛末記(7)

 掛川市内にある梅の名所は今が真っ盛りだ。
 龍尾神社は小糠雨でも多くの参拝客で賑わっている。
 まもなく「百花繚乱」という言葉が当てはまる紅白のしだれ梅の光景が広がっていた。
 その中をさつきが青年と連れ立って歩いている。
 さつきはもう二十五歳になった。
 青年は自分の婚約者であり中学校時代の同級生で秋乃翔太という。
 当時は気にする仲ではなかったが、大学卒業を前に教員資格の試験に行った時偶然会場で出会った。それがなりそめの始まりだった。
 その後、さつきが小学校の教諭として市内の学校に赴任した。
 新任教師の研修会が地元で開催されたとき、会場で後ろから不意に声をかけられた。それが翔太だった。
 お互いに「がんばってるね」とエールは交換したものの新任教師は辛いらしく、その後も電話でよく励ましあった。
 翔太の勤める学校は県内の山間地の町で、合併で生徒数が増加し規模が大きくなっていた。
 さつきはこの春から翔太と同じ地区の学校へ赴任することになったが、もっと奥深い山間部の少数校である。
 これを機に二人の思いはひとつになり、一緒なろうと決めた。
 今日は縁結びの神様に御礼参りをして来ようと神社境内を目指していた。二人には積もる話が絶えない。
「翔太さん、今度私が行く学校は生徒が十人もいないの。学校敷地は広いけど」
「のんびりしていていいじゃないか。少しはじっくり教育に力を入れてみたら」
 翔太は半分冷やかしながら応えた。
「学校の周りは山と杉林ばかり、それに猪と猿。後は校庭にある戦没者の句碑と二宮金次郎さん」
「それだけいれば話し相手に不足はないよ。金次郎さんがいればそれだけで教育者が一人増えたも同然だ」
「それどういうこと。ただの銅像よ。お猿さんのほうがまだましかも」

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(龍尾神社梅園)

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