14活命料

金がなければ何もできない十湖。周りが一計を案ずると・・・

2023年12月30日 (土)

俳人十湖讃歌 第141回 活命料(8)

十湖は二人のやりとりを聞きながら、この二人仲がいいなと少しやきもちを感じた。
「まあいい。遠いところをこの暮れにきて貰ったのだ。どうだ一杯飲んで行け」
 十湖はふたりに勧めた。
 側にいた佐乃が後ろでじっと中の様子を伺っていた人力車夫に声をかけた。
「松五郎さんも良かったら、一緒に中にお入りなさいな」
 十湖の馴染みの車夫である。佐乃は良く気が利く。
 おかげで暮れも、金はなくても口に入るものは手に入った。
 蓮台のいう「持つべきは友」かと、つぶやきながら、近くの寺から響く百八つの鐘を聞きながら、年を越した。
 邸に隣接する庵でも、弟子たちが貰った酒で盛り上がっていた。

 

 年明けて 勅題 新年梅 

 

  新しきものなりふたつ年の梅

 

 一月四日年中行事の年賀は忘れなかった。
 七十二峰庵の年賀とは、農学社と報徳会の初講座を邸内で開催し、参会者には必ず二汁五菜以上の食事を供応することである。
 午後には正式俳諧を開く。最近では各自野菜、魚、酒を持ち寄って参加するようになった。佐乃が旨く立ち回って呉れていた。
 昨年暮れに発した「活命料」寄付募集の反響はすこぶる大きかった。
締め切りを一月三十一日としたため、月末は全国から続々と申し込みが殺到した。中には句会の賞にするので芭蕉像に十湖の句を書いたものを別に注文してくるものもあった。
 弟子たちは大わらわであった。
 一部の新聞では十湖の活命料のことを面白おかしく記事にして、資産家金原明善と比較していた。
 ところでこの時代、新語が生まれたとき、辞書に掲載されることになったのだろうか。
 

 活命料・・・「―生きることに必要な金、別名世渡り料金、清貧の俳諧宗匠を養う寄付金のこと」  (完)

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2023年12月27日 (水)

俳人十湖讃歌 第140回 活命料(7)

一台の人力車と荷を積んだ大八車が横付けされた。
「何事か」
 十湖はそう云うと、自ら玄関まで廊下を足早に行く。
 玄関に控えていたのは、他でもない天竜二俣の女流俳人烏帽子園蓮台と、博奕打ちの清助だった。
 正月用に頭を整えた晴れ着姿の蓮台が、人力車から降りると開口一番早口で言った。
「二俣の騒動ではいろいろお世話になりました。今日は郡長と銀行頭取からのお届けものです。勿論、私たちからの分も含めての、いわば年末支援物資です」
「そうか、それはありがたい」
 色気たっぷりの蓮台の着物姿に見とれながら、十湖は大八車に向かい、清助に荷紐を解かせた。
 荷台には薦被りの酒一樽,味噌樽、撞きたての餅、塩鮭、鮎の乾物、それに炭俵までが積まれていた。
「暮れにこちら様から活命料名目の寄付のお願いが届いたけど、私らも同様金欠病です。それで二俣の銀行頭取にその旨話したら、郡長様まで話が行き、用立ててくれました。あの時の御礼にしては少なすぎるが気持ちだと伝えてくれと郡長様がおっしゃって、こうしてお届けに至ったというわけですよ。持つものは友です。ね、十湖様、宗匠」
 蓮台が調子良く喋っている。Daihachi
 横から清助が俺にも言わせよと言わんばかりの眼で、鼻の下を撫でながら口を出す。
「宗匠も頭は良くても金には弱いか。まあいいや、とりあえず二俣の借りは返した」
 と大見得を切ると、蓮台が肘で清助の脇腹を突きながら
「何を威張ってんだよ。お前さんは十湖様に負けたんではないのかい。賭けた金まで巻き上げられてさあ」
「あの時はあれで決着済みだ。事態を解決してくれたんだからな。俺は宗匠にその解決手段を教えて貰ったからその借りを今回労働で返したのさ」
 清助はきっぱりと蓮台に言い返した。(次回へ続く)

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2023年12月22日 (金)

俳人十湖讃歌 第139回 活命料(6)

十湖宅では郵便物を一日三回、妻佐乃の指示で弟子らが郵便局に取りに行く。
「すみません。郵便取りに来ました」
 弟子が局内へ声をかけると、若い局員が忙しそうに郵便の束を持ってきた。
 わざわざ取りに来る客は局では知らぬ者はなく、預かる郵便物も切手が貼ってなかったりする。それを局では立替えて切手を貼って出しているのだ。
 十湖のものではしょうがないと、有る時払いの催促なしでまかり通っている。日々配達される郵便物は数十通を下らず、切手の購入や小包の発着数は笠井局の取り扱いの三分の二以上を占めていた。
 暮れも押し迫り、わずかだが近隣の弟子たちから活命料が届いた。
 晦日午後になり、雲行きも怪しくなり風花が舞う。
 十湖の邸に隣接した庵では、弟子たちや食客らがそれぞれ背を丸くして、火鉢にあたっていた。
 火鉢の中の炭火もいつまで続くやらと、弟子の口から愚痴が漏れた。
 十湖だけは自室に籠もり、半紙に向かって筆をとっていた。
 俄かに邸の玄関先が賑やかになった。Syo

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2023年12月18日 (月)

俳人十湖讃歌 第138回 活命料(5)

  尾張の知多郡加木屋町宗匠久野襦鶴が十湖からの手紙を開封していた。

 ――またまたご面倒申し上げ候
  老生、活命料の儀今一切ご尽力願い上げ候
  風交会や銀行や鹿島や其の他、猫でも杓子でも遊女でも芸者でも何でもかんでも金さえいただければ其れでよし、後日返礼黄金をつまん、これは出来過ぎたり失敬、年の坂越す事覚束なし、平にひらにご尽力願い上げ候
  この頃近江の義仲寺の翁忌に詣でるやら・・・・
  中江藤樹先生のお墓に詣でたりして、無い銭を遣い申訳無の事に御座候
  これが即ち僕の病なり。嗚呼

Tegami

「十湖宗匠らしいのう。呑気なもんじゃ。庵には食客がいつでもゴロゴロしているし、周りは大変なことだろう」
 襦鶴はそう一人つぶやきながら弟子を呼び寄せ、一円札を渡し手紙の主へ返事を出せと伝えた。
 十二月十二日俳諧評論に十湖が耕雨宛へ送った手紙文が掲載されていた。

 ――雑誌毎号御贈付かたじけなく御礼申し上げ候、
  迂老の事何かとお書き下され喜び入り候
  この頃義仲寺の翁忌に文台奉納として出頭それより藤樹聖人の墓に詣で候
  足下も東海道を御待申居候
  来年の初め頃如何にや 耕雨老兄机下  十湖拝

 年内はこうして静かに暮れようとしていた。
 金が無ければさすが十湖も動けなかった。
 妻佐乃が取立てに来る酒屋や米屋に笑顔で対応し、年越しの野菜だけは近所で調達していた。
   だが、気がかりは年始の際の来客接待と、年賀の行事の諸費用である。 

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2023年12月15日 (金)

俳人十湖讃歌 第137回 活命料(4)

「もういいじゃありませんか。猫の手も借りたいくらいですから。この場での議論はやめにして手伝ってくださらない」
 妻佐乃が側から口を出した。手は手紙を折りたたんでいた。
「議論をしているわけではない。清貧について、わしの思いを伝えたかったのだ」
 十湖は言訳の矛先を妻に向けたが、随處がそれを躱わして云った。
「宗匠、そのまま続けてください。作業は私たちがしますから」
「うーむ、わしの思いとは二宮翁のことばである報徳精神のことじゃ。一体金がなくて人の世話になるのも困るが、金を貯めすぎて揉め事が起こるのも困るもんだ。そのためには真に報徳の道を守って、貧富の外に超脱して、人の人たる道を尽くしてもらいたい。かつて二宮翁は、貧乏人は金持ちにとっては福の神であると云い、即、貧富相和して財宝生ず、富者も賢者も道徳を守って私欲に走らず、世のため国のために働かなければならないと云った」
 十湖の話に周りの者は聞き入っていた。随處もうなずいていた。
 十湖はさらに続けた。
「翁のことばに―有楽分外に進めば貧賤その内にあり。有楽分内に退ければ富貴その内にあり―とある。つまり何でも分度を守って働くときは富に達することができる。富者でもただ金があるだけでは何にもならぬ。公共のためにして富の下に貴の字の付くようになさなければ直打はない。わしは貧乏が善いとは云うわけではない。貧乏はしていても清貧を心掛けている」
 淡々と述べた十湖の話に、随處らは納得顔で頷いた。
 活命料のことは怒鳴られるかと随処は覚悟したが、思いのたけを述べた十湖の顔を見ると安心した。
「よくわかった。わしが命の変わりに筆を持てと言うことだな。何百、何千枚か書けば命を繋ぐということだ。これによれば三千枚か。よかろう」
 未だ五十三歳の宗匠だ。その気になればやれないことはない。すぐにでも書き始めると云って動きだした。   十湖の性格のいいところでもあった。
 自室へ戻り筆をとる。十湖の俳人仲間に手紙を書き始めた。俳誌には手紙文を紹介するとともにこんな句まで添えた。

  秋風や死で行くなら今時分
                       (次回へ続く)Katumeiryo

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2023年12月13日 (水)

俳人十湖讃歌 第136回 活命料(3)

「もう一つの清貧とは?」
「赤貧とは反対に、常によく働き公共等のために尽くし、毎日営々として居る人にして不幸、天才、地震に遭って不遇、落蔭に暮らす者もいる」
「多くの民はこれに近いですね」
「これは同じ貧乏でも、人事を尽くして心に疚しいところのない者であって、清貧という」
「貧乏にも二つあるなら、富者にも同じことが云えるのではないですか」
「さすが随處だ。かつて、わしが報徳の会合で云ったことがあるが、富にも色々あって、濁福ものと清福のものとある」       
 十湖のことばに熱がこもってきた。
「・・・・・」
 随處はことばを抑えて、十湖の次のことばを待った。
「勤勉推譲の道を守りて、よく働きよく勤め、分度を守りて富を致し、基金を学校のため道路のため、その他公利、公益となることに推譲使用することは、いわゆる清福じゃ。富貴の下に貴字の付く人で富貴の人という」
「富貴の人も我々の周りにいます」
「それはそうじゃ。人は富んでも人格を備えなければだめだ。人格を備えるということは、身は健全に、心は清潔にして一方は労働を厭わず、一方に慈悲にして世のため人のためにならねばならぬ。このようにして金持ちになった人が真の富貴といえる」
「それではもう一方の福とはなんですか」
「富貴とは反対にただ欲のみと書いて、悪事もかまわずに金を貯め、人の迷惑をも何も顧みず、何が何でも金さえあればよいというものじゃ」
「これでは人は殺さずとも世の中の悪党と同じではないですか」
「そうだ。僥倖を賛え投機を成し、果ては不正品の商売を為して国辱を思わぬような成金もある。これらがいわゆる濁福者といい、決して羨むものではない。国家をも害毒を流す富者だ」
 十湖は強い口調で随處に説いた。

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2023年12月 9日 (土)

俳人十湖讃歌 第135回 活命料(2)

「こちらは俳誌に掲載する広告文です」
 随処が筆書きの文を大事そうに手にとって十湖に渡した。
 ―我が師翁、七十二峰庵十湖の清貧は、天下の人の知る所なれど近来貧に貧を重ねて、赤貧洗うが如し、されど生きている間は着て食って行かねばならず、偕、同人の活命料として、十湖を知る諸君は金壱円宛寄贈ありたし嫌ならばよすべし又、多きも少なきも謝絶す。但し三千名を限る、三十五年一月締切、右のための報酬、十湖生きている限りは同人のでき得る限り、何でも御用は辞せずといふ、且つ直ちに領収書を添へ、尊徳翁及び芭蕉翁肖像(半切)加ふるに、十湖書一葉宛拝呈すべし。松島十湖門人等一同敬白―
 読み進むうち、十湖の顔がしだいに紅潮し始めた。
「自分は赤貧洗うがごとしか。そのとおりだ、貧乏でいつでも財産は何も残っていない。だが一口に赤貧というが、わしは赤貧ではないぞ。清貧だ」
 十湖は広告文を見て声を荒げた。
「どういうことですか。赤貧ではないと」
 随處は自らが書いた広告文を、十湖にけなされたと思い聞き返した。
「貧乏にもいろいろある。簡単に云えば赤貧ということばと、その反対に清貧と呼ぶものもある」
「ならば宗匠は、赤貧とはなんですか」
「きわめて貧乏なことを云う。衣食にも困り、身も心も卑しき者を云う」
「それならば今の宗匠と対して変わりませんね。要するに真面目に働くわけでもなく、怠けて文句ばかり云うような者ですか」
「そうだ。人に迷惑がかかるのも気にせずにな」
(次回へ続く)Zuisyo05にほんブログ村 小説ブログ 歴史・時代小説へ                 随處素顔
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2023年12月 6日 (水)

俳人十湖讃歌 第134回 活命料(1)

 明治三十四年十一月十二日、二俣紛争の仲裁で庵を離れていた遠州の俳人松島十湖は、久しぶりに我が家へ戻っていた。
 だが庵では早朝から弟子たちが慌しく動き回っている。
「今朝は皆どうしたんだ。わしがやっと自宅へ帰ってきたと言うのにうるさくて寝ていれぬ。随処はいないか?」
 十湖は寝巻のままで、不機嫌に弟子に声をかけた。
 弟子が返答に困っていると襖の向こうから妻佐乃の穏やかな声が返ってきた。
 十湖の怒鳴り声には慣れている。
「すみませんね。今行きますから」
「何が起こったのだ。また、随処の仕業か」
 弟子が持っていた書留の郵便物を取り上げて、十湖はすぐに事態を察した。
「いえ、今回は私が弟子の皆さんと話して決めたことです」
 佐乃がそう言えば、十湖は逆らわず何も言わなかった。
 金の事は弟子と妻に任せている。
 口出しする気はなかった。
 一ケ月の間、天竜二俣に出かけていたので邸は食い扶持の金がなくなってきた。
 常には蓄えを持たないのが信条の十湖邸では、句会が開かれなかったりすると、すぐに収入源が途絶えてしまう。
 それ以外は郵送で選句の収入が送金されてくるが不定期だ。
 それでもこれまで何とかなっていた。
 ひとたび十湖が宗匠として動けば、新たな入門者が増え、庵には食い扶持が殖えていく。支出はいっこうに減るどころか増えていく一方なのだ。
 一番弟子の随処が外から戻ってきた。
 若干十八歳で十湖の門を叩き入門して、十二年目の暮を迎えようとしていた。
 十湖の顔を見るなり
「お気付きでしたか。今、弟子たち皆で、活命料の寄付を全国の弟子や関係者に送ろうとしていたところです」
 随処は笑顔で得意そうに話した。
「ふふーん、活命料か。よく考えたものだ。活命ということばは活命茶とか呼ばれているので知られるが、活命料となると、こんな名詞は世の中に存在しない。これで相手に通じるとなると、十湖の存在は世間ではお見通しということだ。生きるためには金が要るとな」
 十湖は長く伸びた顎の白髭をなでながら鼻で笑って感心した。
(次回へ続く)Basya

 

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