俳人十湖讃歌 第162回 姨捨紀行(15)
社に着くと宿坊久山館の主人の案内で大玄関を通り、八畳間に案内された。
本館は風格ある神殿造りで、存在感ある柱・梁に囲まれたゆったり広い空間である。これならくつろげそうだと思った。
広間からは、苔むした庭園が眺められ、石橋のある池の左右には小滝他七つの滝があった。
たそがれ時には霧も出て、庭の木賊にまつわり風情がある。
夕餉には待望の蕎麦を戴き人心地もついた。
翌朝、主人が短冊を持ってきて句を所望されたので、十湖は一句認めて坊を去った。
さらに奥社へ向かう。これからは道が険しく肌寒い。
戸隠神社は霊山・戸隠山の麓に、奥社・中社・宝光社・九頭龍社・火之御子社の五社からなる。
その起こりは遠い神世の昔、「天の岩戸」が飛来し、現在の姿になったといわれる戸隠山を中心に発達し、祭神は、「天の岩戸開きの神事」に功績のあった神々を祀っている。
明治になって戸隠は神仏分離の対象になり、寺は切り離され、宗僧は還俗して神官となり、戸隠神社と名前を変えていた。
九頭龍社では天手力雄命を拝し九頭龍神に額ずいた。
男手に尾鰭を落とす紅葉かな
奥社に着いた頃には昼餉の時間になっていた。
途中で俳諧師一茶翁の碑に参ろうと思ったが、さすがに疲れており、宿坊へ戻り庭の木賊を貰い下山した。
戸隠や菓子の名も亦そばの花
雲霧の深く戸さすや奥の宮
三日後、犀北館に十湖の姿があった。
未だ五十七才だというのに、戸隠行脚は季節柄厳しかったと反省しきりであった。
花器に挿した木賊を眺め、これもいい体験だったと打ち消していた。
十一月十五日、これまでせわになった衣里川社中の人々と別れるにあたり、瀬在欽采が送別の句を披露する。
見送りや汚れぬ橋の霜踏て
それに対し十湖は留別の句を詠んだ。
内川に心を残す時雨かな
四箇月に及ぶ信濃行脚の旅は、十湖一行が癒される日々でもあった。
招待してくれた欽采の心配りとその家族をはじめ衣里川社中の仲間たちが暖かくもてなしてくれた事への感謝の気持ちを留別の句に託したのである。
内川に思いを寄せる一行の未練は、降り出した時雨がそっと流してくれているのであった。
十湖一行は暮が押し迫った十二月二十六日、すべての日程を終了し帰庵した。
(完)
この起稿に当たり、故瀬在欽菜氏のご子息にあたる瀬在有年様より資料の提供をいただきました。心よりお礼申し上げます。