俳人十湖讃歌 第172回 養女つぎ(4)
妻の佐乃は、傍らで二人のやりとりを楽しんでいるようにも思えた。
「ところで両親は健在か」
十湖には、つぎに聞きたいことがいくらもあった。
「ええ、母も父も元気です。子供が生まれてからは父親の癇癪も次第に和らいできています」
つぎは明るく答えた。
「鷹野弥三郎からは折に触れてつぎ方の様子を窺って心配していたが、それはよかった」
「わたしは子供がかわいいし健やかな成長を願っていますので、両親にはこれまで以上には償なわないと申し訳がないと思っています」
つぎは父の顔を思い浮かべながら不安はないわけではない。成り行きに任せるしかないとのあきらめもあった。
つぎの父は浜松町下垂(現在の尾張町)に住み岸弥助といい、商家の主で町会議員を務める浜松の名士にも数えられていた。
昨年は十湖の計らいで養女にしてもらったつぎだったが、父親の同意が得られず家出同然、鷹野と名古屋へ旅立ってしまった経緯があった。
「償うというのは余り穏やかな話ではないな。そんな深刻なことでもあったのか」
「家出同然に鷹野に付いて名古屋へ出てしまったので、実家の様子がわかりませんでした。義兄が気を使って名古屋まで私たち夫婦をたずねてきたことがあります。その時に聞いた話では父親の怒りはとても収まる気配はなく鷹野の腹をかっさばいてやると豪語していたというんです。私つらくって」
つぎは俯いて思い出したようにハンカチを取り出し目頭を拭いた。
「大変だったな。それにつけても頑固な親父だ。わしがもっと早くから聞いていればそうは言わせない」
少し気分を和らげようと十湖のことばに優しさがあった。
「ありがとうございます。ところが今年の一月長男が生まれた事で事態が急変してまいりました。産着やお七夜の重ねや襦袢など一揃いの着替えが私のところに届いたのです。父親から生まれた子供のためにと送ってきたのです」
つぎの尽きない話に十湖は何度も相槌をうち、珍しくも聞き役を演じつつ穏やかである。
できることなら春宵一刻値千金のつぎとの楽しい時が早く過ぎてしまうのを惜しんでいた。
うちとけた噺ばかりや春の宵
こののち、つぎは島崎藤村に師事し女流文学者として大成していくのである。このときは露ほども感じなかった十湖であった。
(完)