俳人十湖讃歌 第179回 出雲の風(7)
出雲を出たのが六月二十三日前後、帰路はそれぞれの招待者宅へ寄っての句会挙行である。ここへきて忙しい日々となる。
浜松の自宅を出て既に二十三日を過ぎ、疲れを知らない十湖宗匠六十四歳の時である。
少し行く先々を列記してみると、
二十四日、亀岡町の内藤木公宅を訪ねる。
これより但馬鶴山、天橋立、鶴民園、玄武洞と周り、とびうおをはじめ海の幸を堪能した。
二十八日、亀岡町にて吟会を挙行する。
翌日は保津川を舟で下り、亀岡の人々の送迎を受け、六月三十日午後七時、京都へ到着するその夜、米沢亭へ泊まる。
六月三日から泊まって以来、半月で同宿に戻ってきた。
どうもここでは十湖のいつもの癖が出て大はしゃぎの感あり。宴会は盛大に執り行われた。
十湖につられて米沢亭の主人自ら、狸踊りでもやらかしたのかと思いきや、なんと十湖は主人を多芸多能で楽焼の名手とほめたたえた。
句まで読上げて
うて聞かん月に狸の腹つづみ
これより先は足取り不明だが、七月四日午前十時豊橋の鷹野宅で俳人有志主催の句会に出席。
翌日、自宅浜松中善地へ帰着した。
約一ヶ月以上にわたる長旅は無事終了した。出雲の紀行で万代の平和と幸福を句にこめてきた十湖だったが、まさか豊橋で幸せに暮らしていた鷹野一家の主に事件が起こっていたとは思ってもみなかった。
(完)