22十湖の事件帳

興津駅付近で知り合いの墜落死亡の記事。これは事故かそれとも自殺か。十湖は真相究明することに。

2024年10月10日 (木)

俳人十湖讃歌 第198回 十湖の事件帳(7)

「そんなことはどうでもいい。八重と木崎には何か変わったことはなかったかと聞いてるんだ」
 まだるっこいひでの話に少し苛立った。
「あの子は、誰にでも親切に接するから恨まれることはないし、木崎さんが長く逗留していたから仲良くはなったけどね」
「まあ、よくある話だ。すると木崎が八重を追っかけて行ったとも考えられる」
 十湖は一人納得をしていたが、ひではすこし怪訝な顔をして
「十湖様悪いわね。あまり役に立たなくて、もう仕事をしなくちゃあね」
 と十湖の顔色を窺いながら頭を軽く下げた。
 十湖は自宅への道をたどりながら、この真相を知るためには八重に会うのが一番の早道だと思った。思い立ったらきかない十湖は、口実をつけて伊勢へ行ってみようと考えていた。
 翌日、十湖は既に車中の人だった。
 伊勢には自分の門弟がたくさんいる。誰を訪ねても快く泊めてくれる。
 今回は目的が違うので俳人仲間のところに腰を降ろし、一応句会を催すことで木崎と八重の情報が収集できることを期待していたのだった。
 伊勢神宮前まできたところで地元俳人大主耕雨を訪ねた。
 大主から今晩市内の油屋旅館で句会を開くので、宿泊はそこにしたらどうかと勧められ、二つ返事で決めた十湖だった。

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2024年10月 1日 (火)

俳人十湖讃歌 第197回 十湖の事件帳(6)

 木崎に少しでも滞在費の足しにと画会を開いてやったこともあった。
 若いのに言葉使いが丁寧で参会者からは親しまれていたようだった。
 今回の事件は、そんな男が何の不足があって自殺を願望するのか十湖には理解できなかった。
 東京にある木崎の実家にも連絡した。
 既に地元の警察から連絡が入り、死体を確認後、東京で画家仲間が集まって追悼式を挙げる手はずになっているという。
 十湖は中善地でも供養をしないわけにはいかないと地元の俳人仲間や俳句の協力者に声をかけ、地元の寺で追悼会を開くことを決めた。
 死因こそ迷宮入りだが、十湖には彼が自殺ではないと確信しており不慮の事故であったことが悔しくて仕方がなかった。
 木崎の死について十湖は合点がいかなかった。
 旅館の女将の話では自殺する理由が見当たらない。
 女将のひでをもう一度訪ねてみた。
 廊下で掃除をしているらしく頭に白い手拭いを被っていた。
「そう言えば木崎さんがうちに宿泊していた時、仲居女中の八重がいたけど、八重に聞けば、もう少し事情がわかるでしょうね」
 ひでは被っていた手拭いを取りながら、十湖に穏やかに話した。
「その八重が今どうしているか、女将は知っているのか」
 十湖の声は大きく廊下に響いた。
「木崎さんが京都へいくと言った時には既にここをやめていて、伊勢へ仕事を探しに行くと言っていましたっけ」
「伊勢へ行ったか。伊勢からの便りはあったのか」
「ここを出てからは何の便りもないわね。あの子は少し変わっていたところもあったけど。気だてのいい子だったから、きっと幸せに暮らしているのではないかしら。便りがないのはいい便りっていうでしょ」
女将のひでは自慢そうに十湖に答えた。

(笠井街道沿いのかつての商家)
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2024年9月27日 (金)

俳人十湖讃歌 第196回 十湖の事件帳(5)

 列車の車掌が車内で木崎を見た時の様子では、身なりも良く到底自殺するような人物には見えなかったという。
 十湖には木崎が自殺する動機が見えてこなかった。
 しかし、とるものもとりあえず東京の実家へ連絡すること、そして未だに身元不明の事件となっていることに対し、真相を明らかにするべく新聞社に連絡しようと思った。
 十湖が今できる精一杯の行動であった。
 十湖は女将ひでの話を思い出しながら、列車から転落したのは木崎であると確信していた。
 自宅へ戻るなり急いで新聞社へ電話をした。
「今朝の画伯転落事故の記事だが、意識不明とあり、まだ氏名が公表されていないが、東京の木崎九皐画伯ではないか」
 と伝えた。
 新聞社ではもっと詳しく説明してほしいというので、ひでの話したことを完結に説明し、木崎は有望な青年画家であったと付け加えた。
 受話器をそっと戻したとき、十湖の目頭があつくなった。短い日々であったが木崎が初めて豊西町中善地の十湖の元を訪れた頃のことを思い出していた。
 木崎が来たのは一年前の大正三年十一月初頭である。
 暦では夏はとうに過ぎ去っていたのだが、残暑がいつまでも留まり秋には程遠い感じがした。
 その月の初めから信州の俳人春雄翁が客人として十湖に招かれて滞在していたが、自分は忙しいからとある日木崎に天竜川までの案内を頼んだことがある。そのときは木崎が快く対応して、初めて会った翁にもかかわらず、二人は意気投合して邸へ戻ってきた。
 木崎には違った魅力があるのだなあと感心した。

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(昭和50年当時の十湖池付近)

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2024年9月23日 (月)

俳人十湖讃歌 第195回 十湖の事件帳(4)

 ひでは十湖の怒り口調に押されて
「ほら、十湖様のいつもの癖が出た、そんなにきつく責めないでおくれ。私のせいじゃないからさ」
 ひでは悪顔をして言い返した。
 十湖の性格を知っているひでにとって、十湖との会話は極力言葉使いに気を使って話す。今日の十湖の口調は自分本位できつく、ひではうんざりしていた。
 それでも気を取り直して、ひでは声を低めてこれまでの経過を話した。
 ひでの言うことをまとめると、木崎は二月にここを発つまでは宗匠の厚意に甘んじていたが、関西を旅しながら古美術に触れてくると、ほんとうの日本の美を知ることができた。十湖のもとでの体験を通し、よい機会を与えて貰ったと喜んでいたという。7月になり東京へそのまま帰る予定であったが、ぜひもう一度浜松へ立ち寄りお礼を言って行きたいと下車したらしい。だが、あまりに久々で心が高ぶっていたらしく、ひでにはその言動、行動が異常に思えたのだろう。木崎を医者に診てもらったところ、神経衰弱だといわれ薬をもらってきたという。木崎が浜松を出発する前日、ひで等に向かって
「自分は到底画家では飯を食っていけない。自殺でもすれば清々する」
 と口走り、二、三日経ったらこの手紙を東京へ送ってくれと見せた。
 ひで等家人は色々と慰めたが木崎は翌日出発してしまった。
 ひでは木崎に関する情報を多分に持っていた。
 十湖はひでの話を聞いて一連の経過は理解できたようだ。
 しかし木崎のとった行動には不審な点がいくつか残った。
 自殺をしようと思っている人間が、なぜ列車の中で丁寧なスケッチを画く必要があったのか。
 遺書めいた手紙を女中に見せたというが、再びしまいこんでしまったことは自殺が本位ではなかったのではないか。

 

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2024年9月16日 (月)

俳人十湖讃歌 第194回 十湖の事件帳(3)

 着替えを済ませた十湖は急いで小野田屋へと走った。
 67歳とはいえ腰はかくしゃくとしている。少しくらいのことなら早走りは気にならない。
 小野田屋は豊西町の旅館で、木崎が笠井にいたとき身を寄せていた。十湖の邸からは眼と鼻の先だ。
 「おーいいるか。わしだあ、十湖だ。聞きたいことがある」
 といいながら、下駄を脱いだ素足は旅館の廊下にあった。
 出てきた旅館の女将ひでに、十湖は手にした新聞を見せるなり
 「これは木崎に間違いないか。確かめてくれ」
 といって持っていた新聞を差し出した。
 女将はその記事を一語一語噛み締めるように読んいる。いらいらしながらそばに立っている十湖の様子を伺いながらも女将は
「35,6歳の男で車中で酒を飲み室外の風景を写生して誤って墜落せしものとあるわね。年恰好といい、画家といい木崎先生に似ているわ。それに着ているものがあのときと同じ」
 とうなずきながら応えた。
 女将は十湖の苛立ちが収まるのを待って、話を続けた。
「関西方面へ旅立つと云ってここを発った二月は元気がよかったねえ。でも先月京都辺りからふらりと戻ってきてね。ちょっと話し方が尋常でなかったので近くの中安医院に診察に連れて行ったわ。本人はおとなしく従ったけどね」
「それで事故当日の服装と同じだったというわけか。木崎は何だって七月二十五日に浜松に現れたのか。何の用があったのだ。わしには内緒で」
 十湖は怪訝な顔でひでを見た。

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(当時の新聞記事切り抜き)

 

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2024年9月11日 (水)

俳人十湖讃歌 第193回 十湖の事件帳(2)

 脳裏から離れなかった「画家風の男」とは。十湖は朝餉の蜆の味噌汁をすすりながら考えていた。
 お櫃の傍にいる2歳年下の妻の佐乃が、いつもと違う十湖の様子をみて、心配そうに小さな声でそっと
「おかわりはいかがですか」
 と声をかけた。
 その声が引き金となったのか、はっとして十湖はさっきまで読んでいた新聞を引き寄せ、箸を持ったまま忙しく新聞をめくり、社会面の列車墜落事故の記事を繰り返し読んだ。
 十湖は長く垂れた白髭が新聞にかかって邪魔らしく時折首を振った。
 と突然、新聞を持って佐乃に食って掛かるような声を発した。
 「この記事を読んでみろ。画家風の男とあるがお前に心覚えがないか」
 佐乃は渡された新聞の記事を急いで目で追っていた。
 「35、6歳で画家風の男、酒を飲むとあるわね。まさか、あの木崎さんではないでしょうね」
 木崎とは昨年11月にふらっと十湖邸へやってきた青年画家である。東京から来たと言い木崎九皐(きゅうこう)と名乗った。
 画は東京の日本画家で有名な島崎柳鴻に師事し学んだという。この年の2月まで十湖のもとで画会を開いたり、句会にも同行し、門人らと寝起きをともにしたこともあり、画家として成長しつつあった。
 2月の某日、京都へ行ってさらに上を目指したいと、意気揚々と中善地の十湖のもとを後にした。
 その木崎が、今記事になっている。いや、そうとは一概に決め付けられない。
「わしも同じことを考えていた。だが」
 と言いかけて十湖は着ていた寝巻きを放り出し着替えを始めた。
 「小野田屋へ行って来る。たぶん詳しい話が聞けるだろう」
 
               (次回に続く)
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2024年9月 9日 (月)

俳人十湖讃歌 第192回 十湖の事件帳(1)

 遠州地方の夏の暑さは、七十歳近くになった十湖の体にとっても厳しいものがある。早朝こそが唯一気を許せる時間帯であった。
 このごろは白絣の寝まきのまま縁側から降り立ち、玄関先に新聞を取り行くのが日課となっている。
 今日もいつものように新聞をとりに行くと、朝の涼やかな風が頬を撫でて行く。
 自慢の長く垂れた白髭がなければ、どんなにか爽やかに感じていいのにと悔やんだ。
 縁側に腰を掛け新聞の紙面をめくりながら、最近の記事は戦況と自殺か軽便の事故ばかりと一人ぼやいている。
 自分に関わる記事が載っているとご機嫌の良い十湖だが、そんな記事は見当たらない。
 先月は何度か紙面を賑わす出来事があり、記事を切り抜いては十湖の日記帳である「随筆」に貼り付けご満悦であった。
 その中の一つ大正四年七月二十七日付けの切り抜きは、歩兵隊六十七連隊が中善地内八雲神社に行軍の休憩で立ち寄った時の記事であった。
 その折、十湖は村長と校長、青年団とともに、暑さと疲労の兵隊をねぎらうため休憩所を設け、青年団は草刈をして彼らのために水を汲んでおいた。
 さらに十湖は私費をもってビール、酒正宗、タバコ、カステラなどの菓子類を用意した。このことが新聞の紙面を飾っていた。
 翌々日は同神社の境内で大祭があり、神楽、浪花節、義太夫、相撲、大弓が行われ、甘酒の接待があったことを報じていた。
 だが、八月二日の朝は少し様子が違っていた。自分に関する記事はないものの社会面に気に懸る大きな見出しが踊っていた。
 ――画家汽車より墜落生命危うし

 続けて記事は
 ――大正四年七月三十日午后五時五十分興津駅を発車した上り列車が由比町字西倉澤地先進行中俄然線路外へ転落せる乗客あり、年齢三十五から三十六歳ぐらいの画家風の男

 とあった。一瞬、十湖の体に鳥肌が立ったような気がした。

Gaisen

(静岡県浜松市引佐町渋川のレンガ造り凱旋門)

 

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