23俳人の礼

茨城県出身の明治の俳人石倉翠葉が十湖宅を訪問。交流を深めるがその行き着く先はいかに?

2024年12月 4日 (水)

俳人十湖讃歌 第209回 俳人の礼(7)

 このとき翠葉は後妻を迎えてわずか十日ばかりしか経っていない。
 妻の理解が必要だった。だが俳人の交際や生活などはよく呑み込めていないはずだ。
 その夜、妻に云った。
「俺は爺さんから頼まれたのだから、爺さんを親のように仕える了見でいる。お前もどうかそのつもりでいてくれ」
「そのつもりでいてと云われても私はわかりません」
 妻は泣きそうな顔をして答えた。
「頭を蹴られたら親に蹴られたと思って、いかような問題が突発しても、じっと辛抱して、あの爺さんがめでたく百歌仙を巻いて帰国するまでは断じて悪い顔を見せてくれるな。それに俺はあの爺さんと松島見物に出かけて、やたらに荷物を持たせにかかるので大喧嘩をおっぱじめた事があった。けれども今度と云う今度は下駄も持てば、場合によってはケツも拭いてやるつもりでいる」
「私はまだこの家へ来たばかりです。あなたの気性さえよくわからないのに、あの爺さんの性分なんてわかるはずがありません」
「そりゃもっともなことだ。いや、それどころか、ともかくも何を仕出かすかわからんが、何事も夫のため、別けて俳壇にいる夫の顔を立てると思って我慢をしてもらわねばならぬ」
 と噛んで含めるように言い聞かせた。妻は驚きの目を光らせて
「そんなにむずかしい人ですか」
「もちろんむずかしい。ただし無意識に乱暴をしたり、むずかしいことを云ったり、ごねたりするような人ではない」
「それなら何でもありませんわ。心配いりませんもの」
「よく手を胸にあてて考えると、はあ、あれだなときっと思い当たることがある。そこの呼吸を呑み込んでいれば、あんな頼もしい爺さんは、おそらく天下俳人多しといえども滅多にあるまい」
「それは、それは貴重なお方ですね」
 妻の口からやっと笑みが毀れ同時に白い歯が覗いた。

 

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2024年12月 1日 (日)

俳人十湖讃歌 第208回 俳人の礼(6)

 今となっては笑い話に過ぎないがこんな逸話もある。
 大正三年五月、十湖が東京に住む翠葉のもとを訪ねて来たときの句会での挨拶のことである。
「わしは、もはや老境に近づいたから、再び東京に来れるかどうかわからない。したがって今生の思い出として東京の主なる俳人と百歌仙を巻いて帰りたいと思う。それにはわしの事をよく呑み込んでいる花笠庵の厄介になりたい、当地には倅もある、弟子もいる。厄介になるに不自由はないが、しかし真にわしの事を理解してくれるのは花笠庵だ。同じ厄介になるならあんたの厄介になって帰りたい」
 男として、ましてや俳壇に身を置くものが、十湖からの信頼を疎略にすることができるだろうか。翠葉は快くこれを引き受けた。
 一には俳人としてこの上の名誉があるだろうかと感じたからである。十湖の難し屋、のんべい、暴れ者など十湖を知る人のすべては、だれでもこの間の消息を知っている。天下の奇人と歌われつつある位で、十湖を怒らせずに一週間待遇し得た人は、少なくとも十湖の気性を飲み込んでいる人である。十湖には皇室を除いては貴顕豪傑も眼中にないのである。その例とすべき逸話は数え切れないほどにある。
 したがってある方面の俳人たちからは蛇とかげのごとく忌み恐れている、それほどのしたたか者の、冒頭第一の口上がこれであった。翠葉には感激の至りであろう。
「よろしゅうございます。ご存知の通りの貧乏世帯、これと云ってご馳走も出来かねますし、また私は種々の方面に関係していますから、一々お相手は出来かねますが、それでよろしくばご遠慮なくゆるゆるご滞在ください」
 翠葉は自分の胸が高まるのを抑えて、淡々と答えた。
「ご馳走はいらないが朝一合、晩二合だけは振る舞ってもらいたい」
 翠葉の返答のおかしさを忍びながら、承諾の旨を笑顔で答えた十湖であった。

 

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2024年11月29日 (金)

俳人十湖讃歌 第207回 俳人の礼(5)

 旅行鞄を肩に掛け、田んぼの中の道を急ぎ足で行く。
 翠葉は十湖が歓迎してくれるだろうかと、ふと心細くなった。到着する時間も伝えてないし、この様子では突然の訪問でしかない。
 腹の虫も泣き出している。少しばかり後悔の念に駆られた。
 それでも、爺さんも喜んでくれるだろうと思うと矢も盾もたまらず、一刻も早く会いたくてびっしょり汗をかきながら道を急いだ。爺さんと呼ぶのは十湖公認である。これまでの付き合いから敬意を失うような振る舞いは未だしたことがない。
 竹林を抜ければ十湖の邸だ。十五年ばかり前に青木画伯と訪ねたことを思い出していた。今日は自分が独りで訪ねている。
「ごめんください」
 と云うと中からどかどかと大勢の人が玄関に出てくる。
 その真ん中に十湖と妻佐乃の顔があった。皆笑顔で迎えている。
 十湖の目は既にうるんでいた。
「おひさしぶりです。お変わりありませんか」
 翠葉は胸が一杯になり、語尾が聞こえたかどうかわからぬまま立ち竦んでいた。
「さぞ遠かったでしょうに。まあ、おあがりなさいな」
 佐乃の案内で座敷へと上がった。
 翠葉はこの歓迎ぶりに、思い詰めていた不安から解放されたような安堵感で、肩から力が抜けていくような心地よさを感じていた。
 こうした出会いをどう理解すればいいのだろうか。不思議な縁だろうか。逢うも涙、別れるも涙、それを師弟の関係とでもいうなら何の不思議もないが、十湖との関係は師弟ではない。
 それどころか、十六年前に門人名簿なる物が送られてきたことがあった。中を開いて見れば自分は弟子として掲載されていた。
 これには翠葉も若かったので、すぐにも抗議したところ撤回することができた。
 自分にとっては慈父のような感じの爺さんが自分を見ているのだろうと思っていた。

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2024年11月18日 (月)

俳人十湖讃歌 第206回 俳人の礼(4)

 翠葉にとって十湖とは十六年来の付き合いである。天下百千の宗匠があるけれども、誠のあることは多年の風交によってよく知り又心服している。
 したがっていつも懐かしく思っているし、生前に一度は必ずお訪ねすると約束がしてあるので、それをこの機会に果たそうと思ったためである。
 そんな矢先に突然十湖から、今月十日に来いと長文の誘いの通知があった。だがこれは丁重に辞退した。
 来月はなんとなれば、このときの旅は各地の支部を慰問するのが大きな目的であって、十湖の大撫庵を訪ねるのはむしろ第二の問題だが、まず大撫庵を訪ね、帰途関西等の同人会を訪ねることもできると迷っていた。けれども、そうしてはこの旅の本義に背く。
 おそらく今回の十湖からの誘いは、去年の春六十日間翠葉の自宅に滞在されたことへのお礼であろう。
 今いかなくては十湖の誠心を裏切ることになるとの思いに駆られ、帰路でも立ち寄ることを決定したのだった。
 同月七日、午後八時の汽車で東京駅を出発した。このとき同行者はなく翠葉一人であった。
 雨のため車中からは窓の外を見ることは叶わなかった。幸い前日来の準備の疲労が一気に出て肘を枕に寝てしまった。
 目覚めた時は汽車が大府に着いていた。
 同月八日名古屋の稲沢駅で下車。名古屋の門人たちと交流する。
 以後、関西へ立ち回り同月二十一日岡山へ。そして帰路となる。
 同月二十二日琵琶湖の夕景を眺めつつ帰京の途に着いた。
 そして同月二十三日午前五時三十五分、車掌に揺り動かされて目をさまし浜松駅に着いたのだった。

 

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2024年11月 1日 (金)

俳人十湖讃歌(第205回) 俳人の礼(3)

  翠葉は歩きながら今回の旅のはじまりを思い出していた。

   「俳諧は誠である。誠なき俳諧は真の俳諧とするに足らぬ」
 常々、花笠庵の弟子たちに言い含めていたことばである。
 こういうようなことを唱えれば、ある人は時代遅れの説だと笑うであろう。道徳にとらわれた意見として卑しむであろう。
 けれども人は人だ。自分は自分である。たとえそれが価値のない意見としても、自分では価値あるものと認めた以上はどこまでもこれに服従し、これを実行すべく、努力し奮闘するところに人の人たる生命がある。自分の自分たる権威がある。
 平生心がけているが、さて、こと志と違ってなかなか実行はむつかしい。
 ややもすれば我が俳壇の潮流に引き寄せられ真面目にするのは馬鹿馬鹿しい、御座なりでさえやっていけばよい、こういう心がむらむら湧き立ってくる。と同時に一面においては不安の感想が燃えたってくるのである。
 果たしてわれ等はかかる態度を以って永久我が俳壇の一角を占め得るだろうか。
 誠に似せたすべての行為を具眼の俳人はおそらく許しはしまい。齢するだに汚らわしいと必ずや叱咤の声が頭上にふりかかるであろう。
 こう思い返しては再び元の冷静の心にかえって、誠なるかな。誠ありてはじめて誠の友を得るのである、誠の友を得て、もってわが俳諧を楽しむ。無上の幸せであろう。
 こう考えては更にさらに数段の勇気を奮い起こしては奮闘し、修養し来れることここに七年に及ぶ。
 幸いにして我がこの微衷を諒とせられ、誠を以って風光去るる俳人が沢山にある。このゆかしい、この尊い、この楽しい誠の友と、親しく膝を接しての物語、恐らくは又これ天下無上の楽天地と云わねばなるまい。
 去年信州小諸の同人を訪ねたのも、今年岩代の同人を訪ねたのも、皆この楽天境に浸るの快感をあじわいたいが為であった。
 今またさらに関西の同人を訪ねんとするのもまたこの意味にほかならん。

 翠葉は十湖のもとを訪ねるのも、同じ意味であると反芻していた。
 だがどうしても、もう一人の自分がそれでいいのかと問う。Kasaimachi_20200525084501

 (当時の笠井町)

 

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2024年10月27日 (日)

俳人十湖讃歌 第204回 俳人の礼(2)

  同じころ浜松駅に旅行鞄を持った一人の男が降り立った。
 東京在住の花笠庵翠葉である。
 四十二歳の俳句の宗匠である。鳥打帽子にグレーの背広姿がよく似合っている。 
 上りの急行列車に乗って午前五時三十分浜松駅に着いている。
 まだ朝が暗い。雇う人力車の車夫も見えず、道を尋ねたくても起きている人はいない。駅前は閑散としていた。
 仕方なく駅へ戻り駅員に笠井までの道順を訊ねた。
「すみません。笠井方面へはどうやっていけばいいでしょうか」
「笠井町ですか?それなら軽便を利用すればいいでしょう」
 駅員はそういって、駅を出て右方向にしばらく行くと笠井方面行きの軽便鉄道の駅があると教えてくれた。
 しばらく行くとはいえ、いくつかの角を曲がりやっとのことで駅に辿り着くが、その道のりは遠く旅行鞄が重かった。
 板屋町の停車場は二俣町西鹿島までの軽便鉄道の起点であり、二俣線として明治四十二年に開通した。
 笠井町まで行くには西ヶ崎の駅で乗り換えなければならない。
   昨年五月に二俣線の支線として西ヶ崎笠井間の笠井線が誕生したばかりである。この間わずか四駅、軌間七六二ミリの軽便鉄道だ。
   ここまで歩くのに時間がかかったせいか既に夜が明けていた。停車場で待つことなく七時発の汽車に乗り込み笠井へ向けて出発した。
それにしては鈍い汽車である。まるで玩具の汽車で人が歩むのと変わらない速さだ。
 車窓の風景は二つ三つの町を通過してきたが、すぐに田畑ばかりの風景に変わっていた。
 翠葉はじいさんに早く会いたい気持ちが先んじて、じれったくて仕方がなかった。翠葉にとってのじいさんは十湖のことである。
それでも浜松から二時間以上かけて無事笠井に着いた。
 周囲を見渡すと車窓風景とは打って変わって、通りは浜松駅前と同様開けていた。
 ここから十湖の住む大撫庵までは一里弱である。朝が早かったせいもあって腹も減ってきた。歩く気力も失せ、車を探してみたが一向に見つからない。仕方なく歩いていくことに決めた。

Hamamatueki(当時の浜松駅)

Kasaitetudo

 

 

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2024年10月26日 (土)

俳人十湖讃歌 第203回 俳人の礼(1)

 十湖の自宅である大撫庵に放し飼いにされている鶏が大正四年十月二十三日の朝を告げた。
 とはいえ白々とした空があたりを照らし、未だ陽は昇ってこない。
 いつもよりも早く目覚めた十湖は、陽が上がるであろう方角に向いて手を合わせている。
 台所では竃に火が点され、炎が立ち上がってきた。
 そのうち弟子の一人が玄関先で掃除を始めている。
 かさかさと落葉を掃く音が響く光景はこれまでめったにないことであった。
 言い換えればこの日だけは非日常の朝である。
「おい、いいか。今日は遠方からの友が訪ねて来る。粗相のないようにしてくれ。ただ、来る時間がわからないので、客人がいつでも朝飯が食えるように用意しておくように」
 十湖は手拭いで顔を拭いながら、穏やかな口調で妻の佐乃に云った。
「今ご飯を炊いていますから、いつ来られてもけっこうです。それに」
 妻は後の一言をいいずらかった。
「それにとはなんだ。また金の工面のことか。ツケにしておけ」
 十湖には今日に始まったことではない。いつもの事だと云わんばかりに怒鳴った。
 句会を開けばその度に出席者から祝儀が入るので、それほど金のことは苦にしてはいない。ツケにしても近所の支払いは良い方であった。
「もうそろそろ一番の汽車が浜松駅に着くころだ。連絡をくれれば迎えに行くのだが気を使っているのだろう、翠葉は律儀な男だ」
 十湖は玄関柱に飾られている時計を見ながら、間もなく来るであろう訪問客を思い浮かべていた。

Jikokuhyot13_20241022153001

(当時の時刻表)

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