俳人十湖讃歌 第209回 俳人の礼(7)
このとき翠葉は後妻を迎えてわずか十日ばかりしか経っていない。
妻の理解が必要だった。だが俳人の交際や生活などはよく呑み込めていないはずだ。
その夜、妻に云った。
「俺は爺さんから頼まれたのだから、爺さんを親のように仕える了見でいる。お前もどうかそのつもりでいてくれ」
「そのつもりでいてと云われても私はわかりません」
妻は泣きそうな顔をして答えた。
「頭を蹴られたら親に蹴られたと思って、いかような問題が突発しても、じっと辛抱して、あの爺さんがめでたく百歌仙を巻いて帰国するまでは断じて悪い顔を見せてくれるな。それに俺はあの爺さんと松島見物に出かけて、やたらに荷物を持たせにかかるので大喧嘩をおっぱじめた事があった。けれども今度と云う今度は下駄も持てば、場合によってはケツも拭いてやるつもりでいる」
「私はまだこの家へ来たばかりです。あなたの気性さえよくわからないのに、あの爺さんの性分なんてわかるはずがありません」
「そりゃもっともなことだ。いや、それどころか、ともかくも何を仕出かすかわからんが、何事も夫のため、別けて俳壇にいる夫の顔を立てると思って我慢をしてもらわねばならぬ」
と噛んで含めるように言い聞かせた。妻は驚きの目を光らせて
「そんなにむずかしい人ですか」
「もちろんむずかしい。ただし無意識に乱暴をしたり、むずかしいことを云ったり、ごねたりするような人ではない」
「それなら何でもありませんわ。心配いりませんもの」
「よく手を胸にあてて考えると、はあ、あれだなときっと思い当たることがある。そこの呼吸を呑み込んでいれば、あんな頼もしい爺さんは、おそらく天下俳人多しといえども滅多にあるまい」
「それは、それは貴重なお方ですね」
妻の口からやっと笑みが毀れ同時に白い歯が覗いた。