25 再会

浜松駅で足取りが消えた十湖。新聞報道で金沢に逗留中だ。そこで出会ったのはかつて豊西の旅館で仲居をしていた八重。再会は思わぬ出来事に発展していく。

2025年3月19日 (水)

俳人十湖讃歌 第233回 再会(11)

 紙が用意されると会場は車座になって十湖の筆に見入っている。
 早い、勢いがある、書いて書いて書きまくる。
 書きながら十湖は腹の中でこう囁いていた。
 ――骨董屋という商売は大政治家だろうが文豪でも何でも構わず少し豪いと云われる人間には片っ端から値段を付ける。相手が金釘流でも、よしんば書けない人でも頓着しない。その骨董屋がわしに書いてくれといって来れば、いくらでも書いてやる。骨董屋は値踏みをして謝礼を出すはずだ
「宗匠この辺でいいでしょう。たくさん書いていただきました」
 骨董屋はこれ以上書かれては謝礼金を多く包まなくてはいけないことに心配してたのだ。
 揮毫したものを手にすると、骨董屋はやがて恭々しくも一封を盆にのせ十湖に差し出した。
 中を覗くと猪が二三匹白い眼で収まっていた。猪紙幣一枚が十円札であるからして二三十円と云う額である。
 十湖はそのまま懐に収めるかと思っていたら、盆のまま手伝っていた仲居の八重にやって仕舞った。
 八重は恰も越後獅子のような顔に、礼を出した骨董屋は鯱のような眼で盆を睨んだ。
 会場にいた客蓮の眼は一度に笑いだし、句会の座は円満のうちに終了した。

 

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2025年3月16日 (日)

俳人十湖讃歌 第232回 再会(10)

 広間では多くの参会者で賑わっていた。
 いくら酒を飲んでいても句会ともなれば、しゃんとする十湖だが仲居でも知り合いがそばにいると、つい盛り上がってしまうのである。
 挨拶吟も終わって宴に入り、十湖の膳の前には次々と盃を重ねにやってくる。
 そのうち在席していた地元の骨董屋連中が十湖の揮毫を求めてくる。
「よしよしわかった。筆と墨を持ってこい。紙もだ」
 十湖は少しばかり呂律が回らなくなってきているが、書く意気込みは決してなくなっていない。
 仲居の八重が急ぎ階下へ降りて、言われたものを用意してくる。
 十湖の前に差し出されると、参会者の眼は十湖の手元へ吸いつけられている。
「おい八重、早く墨を擦れ、鶯箋紙をおけ」
 やにはに命令口調で八重に支度をさせる。
 骨董屋から揮毫を頼まれると当然謝礼が出る。十湖は俄然張り切りだすのが常である。しかも書き出せばその早い事はいうまでもない。
 枚数が多くなればそれだけ謝金も増える。貧乏旅ならこれで旅の費用を賄うことができるのだ。
 用意された紙はすぐに消費され
「無くなってしまったか。それじゃ今から一番いい紙を買って来い」
 と十湖は八重に頼む。すると代金はどうしましょうかと八重が心配すると、骨董屋の一人が私が出すと云って多額な金を持たしてくれた。
 八重はその金をもって駅頭まで走る。懐かしい人へのお世話だとあって足取りは軽かった。

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2025年3月12日 (水)

俳人十湖讃歌 第231回 再会(9)

 今夜最後の宗匠は駅近くの旅館に陣取り、待ち構えているようだ。
 玄関を入るや否や階段が続いている。
 会場は二階の広間で行われるらしく出迎えた女将が二階を案内する。十湖の後には仲居が続いた。
 十湖が何気なく後ろを振り返ると、丸顔のどこかで見たような仲居がにこにこしながら頭を下げた。
「足元に気を付けてくださいね。よかったら私の肩に摑まって階段をお上がりください」
 仲居は十湖の耳元で囁くような声で云った。 
 十湖は既に酩酊状態である。云われるまま仲居の肩に手を掛け階段を上がる。
「お前は小野田屋旅館にいた八重ではないのか」 
 十湖は思い出したように仲居に云った。
「十湖様お久しぶりでございます。今はここで働いています。あれから四年になります」
 仲居は別に深い感情もなく応えた。
「宗匠とお知り合いなんて良かったわね。この娘は一年程前からここで仲居として働いています。気立てのいい子で八重と呼ばれてお客様に可愛がられているんですよ。今晩はゆっくり金沢の宴をお楽しみくださいな」
 女将が仲居に代わって紹介した。

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2025年3月 7日 (金)

俳人十湖讃歌 第230回 再会(8)

 先月末の地方紙に十湖動静が掲載されたこともあって、宗匠連たちは手ぐすねを引いて挨拶に来るのを待ち兼ねていた。
 その中には金沢の骨董屋も何軒か含まれていて、どこの草庵も多くの客で賑わっていた。
 十湖が客のそばを通り抜けるとき、客から
「大隈さんのようですね」
 と声をかけられると、十湖は笑みを浮かべながら
「なに大隈だと。あれは百二十五まで生きるだろうが先が見えている。わしは死ぬまで生きているんだ」
 と応じていた。
 このころ巷では年寄りを見ると皆「大隈に似ている」というと喜ぶそうだ。
 客らは十湖を喜ばそうと声をかけてみたが、客らはあてがはずれたのだ。この爺さんは少し違うなと思っていたらしい。
 十湖が酒を飲むと頗るご機嫌になることも知っていて、行く先々で酒が用意されている。
「こんなに歓待されるとは思わなかったな。仏南君のおかげだ」
 大分酒がまわり十湖はご機嫌である。
「えーと、これで最後ですかね」
 仏南が今夜最後の宗匠宅を指し示す。遠く明かりが見えるのは二階建ての立派な旅館である。
 

Yamagataya1

(つづく)

 

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2025年3月 5日 (水)

俳人十湖讃歌 第229回 再会(7)

 金沢ではほかに桜井梅室、成田蒼虬の門弟がいる。
 まず向かった先の心蓮社では、ご丁寧に墓を弔い供養を営み、住職の独経が山麓に響いていた。今では北枝の墓のそばに句碑が建立され地元の俳人に親しまれているようである。
 つぎに向かったのは同地内にある慶覚寺で桜井梅室の墓である。香花を手向けながら十湖は、ふと蒼虬の事を思っていた。

    昼の蚊や机の下のかくし酒  蒼虬

 頭の中に浮かんできた蒼虬は酒が好きだった。同酒相親しむだとあって、直ちに徳利を提げて墓参りする。
 住職と話をして夕刻となり、再び十湖は墓の前へ現れた。手には徳利を持っている。
 すると墓に徳利の酒を惜しげもなく半分以上かけ、蒼虬の友はわしだけだったのかと感慨深そうであった。
 その夜は地元宗匠連への挨拶回りである。

 

(つづく)

 

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2025年3月 1日 (土)

俳人十湖讃歌 第228回 再会(6)

 句会の流れ旅なら懐具合で決めてしまうのに、仏南には少々気を使っているところもある。
 この日は移動の疲れもあったせいか、早くに宿泊場所へ向かう。
 宿泊場所は仏南の弟のところだと云っていたが、今向っている先は金沢監獄である。
 まだ陽が高いので西洋式の外壁から上へ延びている看守所上部の見張り櫓が見える。
 仏南が笑いながら
「驚きましたか。私の弟はここの看守長です。ここに泊めてもらおうとしましたが宗匠では手持ちぶたさだと思い、看守長の官舎としました」
「・・・・・」
 いつも饒舌な十湖でもあまりに意外な宿泊場所にことばも出なかった。
 数日後、地元新聞はこのことを十湖の動静と題し、金沢の吟行の俳句とともに紹介していた。
 翌日の日程は十湖の希望で芭蕉翁高弟の墓を詣でることと市内の宗匠宅を挨拶回りし、それぞれの草庵で句会に参加する。
 官舎で迎えを待って、十湖ら一行はまず卯立山山麓にある心蓮社をめざした。
 同社は浄土宗の寺である。金沢出身の芭蕉の高弟立花北枝の墓に向かう。
 いつものことだが十湖は旅をするとき、必ずその地の芭蕉の高弟の墓に参ることを一義としていた。今回もその例に漏れず、心の準備をしていた。
                       (金沢監獄:明治村移築) 

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2025年2月26日 (水)

俳人十湖讃歌 第227回 再会(5)

 五月六日 金沢駅へ着く。
 京都まで一緒だった弟子の姿が見えない。
 実はこれからの日程は弟子がいても邪魔になるだけと勝手に思い込み、旅館を一人抜け出して来てしまった。
 十湖を迎えてくれたのは宮崎仏南宗匠と出版社の一名である。
「十湖宗匠よく来てくれました。これから先は私とこちらの社員の方がご案内しますのでよろしくお願いします」
 仏南がいうと二人そろって頭を下げた。
 仏南は恰幅のいい五十歳を出たくらいの男で背広をきちんと着こなしている。
 もう一人は金沢の俳誌「沢の光」を発行する出版社の社員で鶴井といった。
 三十歳ぐらいでおとなしそうな痩せ男だ。十湖の眼には独身かと見えていた。
 仏南宗匠とは、十湖が尾張稲沢で開かれた木村卯月の立机披露会の席上、たまたま意気投合し懇意になった。
「日程はいつまでと決めてありませんが、出版社の方で一応お付き合いさせていただくのは今月二十四日の永平寺追弔大法会までということです。あくまでもこれは予定でして、十湖宗匠にはお好きなように各地の句会にご出席するなど北陸の旅路を心行くまで満喫していただければ幸いです」
 仏南の説明をを聞きながら十湖は思い出していた。今回の旅の始まりは過去にも似たようなことがあったと思っていた。
「それで今夜の宿ですが、私の弟のところへ宿泊をお願いしてありますので、よろしいでしょうか」
「わしはどこだってかまわない。酒さえ飲めれば木の下だってかまわないさ」
 十湖は今回もお任せである。

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2025年2月22日 (土)

俳人十湖讃歌 第226回 再会(4)

 浜松駅に着くと十湖の馴染みの蕎麦屋へ立ち寄り一行は馳走になる。
 十湖はこの後嵐更一行とも別れ、駅で弟子と共に花笠庵翠葉と合流した。
 尾張稲沢の木村卯月の立机披露会へ一緒に参加するためである。
 まさか、それからの十湖の足取りが消えるなんて誰が考え及んだたろうか。
 十日たっても帰庵せず弟子たちを困らせる。
 稲沢への用はその日に終わる。ただ宴が開かれればその晩は泊り、翌日には戻るはずだ。
 弟子の随處らは思った。花笠庵が一緒だから万事うまくやって呉れていると、都合の良い方に解釈していた。
 その思いは二週間後の五月六日になって突然、単身金沢に現れたことで達せられたと思った。それを知ったのは地元新聞の記事だったのである。
 金沢の門人から十湖邸に連絡が入った。記事には京都で詠んだ十湖の句が二題掲載されていた。

  大宮の静さ名残れ時鳥
  朝眼よし若葉の中の十万戸

一旦京都へ出て北陸へ旅したものと思われる。

(当時の浜松駅付近)

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2025年2月21日 (金)

俳人十湖讃歌 第225回 再会(3)

 あくる日午前六時、早くも一台の馬車が草庵の前に止まっていた。嵐更宗匠を駅へ送りながら十湖も旅立つ予定だ。
 朝餉の支度を整え、駅へ行く一行は皆同乗する。その車上でも吟あり。

  朝霞明日の日和も確かなり    十湖
  首途の馬車を吹きおくる東風   嵐更 
  藤の花枝もたははに咲栄へて   常春

 途中天王村の石津氏宅に藤花の盛りを見ようと下車をする。
  藤樹は四、五百年の齢を経たもので延長百尺以上におよび、その幹枝を支える棚を用いず木材を杖として四面に花広がっている。まさに雨龍の紫雲が横たわるようであった。

  咲ながら伸びすすむなり藤の花  十湖
  垂れかかる色一式や藤の花    常春
  池水を撫でるや藤の花たれて   応声
  惰気みちて藤ただ長き真昼かな  嵐更
 
 皆が花を大いに愛でるせいか石津氏が酒肴でもてなしてくれた。しばらくは藤花を静かに鑑賞して再び馬車上の人となった。Odawaraneko                 (小田原城付近の藤)

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2025年2月14日 (金)

俳人十湖讃歌 第224回 再会(2)

 二日後、京都より枯魚堂嵐更宗匠が草庵に来る。
 庵には門人常春老人が奇遇中で十湖の代わりに出迎えた。
「道中はいかがでしたかな」
と常春老人が聞くと
「弁天島は絶景でした。魂を奪われましたよ」
 と嵐更は称賛した。
 浜松駅で下車後は軽便笠井行に乗り換え、笠井へ到着してからは人力車で十湖の庵を訪問することになったらしい。
 十湖と面会後、既に正午になり歓迎の昼食を出す。
 食事も半ばを過ぎたころ十湖は台所に酒肴の用意をせよと指示し
「それじゃ、これから天竜河畔の風光を紹介するので皆で出よう」
といいいだした。
 当日の模様は後日枯魚堂が書き記していた。
 
 ――春の日ながら蝉の声する松林を過ぎ、小流の橋を渡り、里道を抜け河畔に辿りつく。河はさすがに著名の大流、帆を張りて上がる船、筏を連ねて下る木材、悠然として大景を成す。快晴ならば対岸左方に富士の雄姿を認め得べしと聞く。そのうえに酒盃を重ねつつ雅談数刻にして帰る。夕餉又酒盃を交換しつつ常設の揮毫場にてそれぞれ一句ずつ書き付けたり

  朝酒をひらく庵りの牡丹かな   常春
  山吹や師に相応しき古土蔵    応声
 主の翁過る日伊賀柘植の里に遊び足りとて祖翁遺跡の一句を示さる
  いざ汲まん産湯の井戸の春の水  十湖
 予もまた大撫庵の所為一句なかるべからずと折節庭園の牡丹花盛りなりければ
  世の中の垣は許さぬ牡丹かな   嵐更

 十湖の庵での日常風景をそのまま嵐更宗匠が書き綴ったもので、彼らの俳諧行動こそが月並宗匠といわれる所以でもあろう。
 だが十湖にしてみれば、ここにこそ風雅の極みがあるというのである。

Tunryu_2              (当時の天竜川)

 

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