俳人十湖讃歌 第148回 姨捨紀行(1)
このところ十湖の毎朝の習慣は、庭の四つ目垣に絡む朝顔が徐々に蕾を付け始めるのを眺めることであった。
妻佐乃が植えたもので大半は青紫の花が咲くが、なかには突然変異で白い縞のある赤い花が咲いた時がある。
もともとは花を見るためより、葉を絞った汁が虫刺されの時の薬になることから植えたものだが、今ではどんな花が咲くのか楽しみであった。
明治三十八年六月十六日次男藤吉の戦死から一年近くが経とうとしていた。
十湖は書斎から涼風が吹きぬける邸の植え込みを見つめ、書斎で一通の手紙を認めている。
宛先は信州の和楽園欽采こと瀬在多之助、長野県埴科郡五加村である。十湖同様地元の俳諧師で名が通っている。
桜の散り始めた三月の末に欽采から句会招待の手紙が届いた。しかし、未だにその返事を出してなかったため漸く書き始めたところだった。
愛用の細筆で宛先まで書いたが、その先が進まない。
昨年の初めは町中が日露戦争の戦勝に湧き、次男藤吉(俳号友月)の出征も祝った。だがそれは長続きせず、夏の終わりには藤吉戦死の悲報が届いた。
十湖は衝撃を受け、戦争の無慈悲に腹が立って、その年は藤吉の供養をするのが精一杯で俳句どころではなかった。
年明けて欽采から手紙が届いたのは、落ち込んでいるであろう十湖を慰めるがためだったかもしれない。
この時、欽采二十七歳、年の頃なら次男藤吉と同じである。今、その招待に応えるべきか迷っていたのだった。
朝顔のつるは、一雨ごとに延びていく。十湖は、何の屈託も無く柔らかい新緑の芽を陽にかざしているつるを見て、筆が動き始めた。
――貴殿からの心遣いに感謝し、招きに応じて信州を訪問してみたい
同年九月十日、庭の朝顔は蕾から大輪の青紫の花を咲かせている。
朝顔や夏から咲て秋の花
この日、朝顔を詠んだ句を残して、一番弟子の大木随処、柳園成佳、冬至庵閑里ら三人を伴い信州・信濃地方へ向けて旅立った。
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