カテゴリー「28遠陽市場大火」の記事

町内の商店街で大火発生。十湖と地元財界の中村藤吉が援助活動に立ち上がっる。

2025年10月11日 (土)

俳人十湖讃歌 第257回 遠陽市場大火 (3)

 同年七月十四日の葬儀は暑さ真っ盛りであった。
 藤吉の葬儀は地元財界人の大物とあって弔辞が延々と続いた。
 十湖も列席していたが、自分の出番の頃には列席者は皆疲れ切った表情をしていた。
 いや、むしろうんざりしていたというのが確かだろう。
 十湖は立ち上がると霊前に向かって一句、大声で捧げてひきあげてしまった。
 ――われひとり冷たい国へ行かしゃるか

 笠井の南の外れは畑ばかりで街道は笠井の本町から西へと延びていく。
   この畑に突然家並みが出現した。
 浜松から出店する四〇店舗が店を構える。
 笠井市場が手狭になっているため、当然のように新しい市場には人の波が押し寄せる。
 市の日には周辺町村のみならず、遠方からも繰り込む商人らで活気があった。
 笠井はもともと木綿織物の集積地であり、小物の販売だけでなく織物の取引が圧倒的に占めた。
 この時代、戦争へと突入する時期でもあり、織物の取引は一段と活況を帯びた。
 笠井の歴史を振り返ったとき、以後大正の初めころまで遠州織物産地として景気が沸騰していった。
 十湖ら俳諧師にとっても市場の開設は文化の交流にもつながり歓迎した。                  
     
          鳴らす手が市の景気よ朝夷子

 遠陽市場の出現は古来からの街道にも影響を及ぼした。
 笠井街道通称笠井往還はやがて市場を通り抜け南へ延びていくのである。
 だが、いつまでも戦争に依存した景気は長続きせず、やがて活況に陰りが見えてきた。
 大正時代になり、産業の近代化ととともに物流は変化していった。
 市場の店舗も流通の拠点は浜松町に移しはじめていった。
 笠井は交通の不便さもさることながら、主要産業の織物の需要も減り、店舗の歯抜けが目立ちはじめ、市場は長屋群として形を変えつつ笠井街道に残った。
 大正十三年、折からの西風を受けて火は瞬く間にその長屋を総なめにした。
 火災による焼失は十四軒。これにより明治二十三年に開設して以来、三十四年間続いた遠陽市場は完全に機能を失っていた。
 まだ火災の臭いが残る焼け跡で、十湖はひとり自らの人生と重ね合せていた。
 栄華はやがて没落し、人は立ち向かわなければならぬ。
 悲惨だと思うより未来への足掛かりを探し求めていた。

 

(完)Enyoitiba

 

にほんブログ村 小説ブログ 歴史・時代小説へ
にほんブログ村

 

にほんブログ村 小説ブログへ
にほんブログ村

 

| | | コメント (0)

2025年10月 7日 (火)

俳人十湖讃歌 第256回 遠陽市場大火 (2)

 焼け落ちた遠陽市場とは、浜松の中村藤吉を中心とする商人たちが、笠井に隣接する恒武町地内に新たに商店街を建設したものだった。
「遠陽市場」と名付け明治二十三年十月二十日打ち上げ花火とともに開設式が行われた。
 笠井には江戸時代以前から笠井市場が発達し、流通が盛んで賑やかな土地柄であった。
 それを目につけた浜松の商人たちが入り込もうとするが、既に店舗の入る余裕がなく、しかも店賃は余所者には冷たく高かった。
 それでも浜松と比べれば取引は盛んであり、ここは何としても商人らは引き下がれなかった。 
 不満は燻っていても商人たちが一つにまとまれば何とかなるとの決意で、浜松の財界中村藤吉が立ち上がった。
 中村藤吉は職業小間物商、事業家。報徳仕法をもって明治時代に浜松地方に財を築いた財界人のひとりだ。
 中村家はもともと農家だったが、永禄十二年家康が浜松に城をかまえるとともに商売を始めた。
 天秤棒や背負籠などを販売していた。そこから「棒屋」の商名が生まれたという。
 天明五年に分家したのが初代藤吉で、今の藤吉は安政元年浜松宿田町(現:中区田町)の棒屋中村商店に誕生した次男中村清助が棒屋六代目を名乗ることになった。
 明治六年肴町間淵酒屋のはな子と結婚。
 明治十二年には浜松町会議員に当選、明治二十年奥山の富幕山に林道を作り、山を買って杉苗を植えた。
 明治二十一年からは十年かけて、現在の北区引佐町をはじめ都田町にも植林事業を展開し、自費で道路修築や新道開通、橋梁仮設を行った。
 明治二十五年浜松委托販売会社を設立。四年後浜松信用銀行(現浜松信用金庫の前身)の設立発起人となり、設立後は取締役に就任した。
 さらに明治三十五年浜松商工会議所会頭、明治四十年大日本報徳社役員、明治四十四年浜松市会議員等を務め活躍したが、大正十二年七月十三日逝去した。
 こんな逸話が残っている。
 ――商売をする事は、どこかで人のためにならなくてはいけない。人を困らせて自分だけ儲けようなどとは、商業の道ではない
 藤吉は不良田を買って良田にすることが大きな楽しみだったという。
Boya

 

にほんブログ村 小説ブログ 歴史・時代小説へ
にほんブログ村

 

にほんブログ村 小説ブログへ
にほんブログ村

 

| | | コメント (0)

2025年9月27日 (土)

俳人十湖讃歌 第255回 遠陽市場大火 (1)

 大川の堤防沿いにある豊西尋常小学校の昼の鐘が鳴る。
 子どもたちは一斉に学校を飛び出し、我が家を目指そうとしていた。
 各自の家で昼食をとるためだ。
 突然、男子生徒の一人が西の方を見て大声で叫んだ。
「火が上がってるぞ。火事だあ。おら家のほうだ」
 学校の西といえば遠陽市場のある方角である。
 火が立ち昇り黒煙が舞い上がり燃え方が生半可ではない。まるで天をも焦がす猛火である。
 大正十三年三月六日午前零時、生徒たちはあわてて市場のある方角へ走った。大人たちも足早に向かっていた。
 皆、火事の野次馬である。
 現場では手押しポンプの消防隊が消火に当たっていたが火の勢いは治まらない。
 大人たちが綿屋の前で必死に綿をちぎっては外へ放り出している。火が襲ってきて類焼するのを避けるためだ。
 これを見た生徒たちは野次馬どころではない。大人に交じって手伝った。
 火災は十二棟以上を焼失して午後一時三十分鎮火した。
 焼け跡には女の子が裸足のまま人形を抱えて泣いていた。市場の長屋に住んでいたらしい。
 この騒ぎに十湖は気が気ではなかった。
 若いころならすぐにでも飛び出し人を束ねて消火に当たるのだか、既に七十六歳になっている。
 口だけは相変わらず達者が取り柄、地元の消防隊をけしかける。
 弟子とともに駆けつけて見る惨状に、焦げ臭い匂いを嗅ぎながら自分がしてできることは急がねばと思った。
 その日のうちに被災者には金品を配り、援助活動を指揮していた。

 

にほんブログ村 小説ブログ 歴史・時代小説へ
にほんブログ村

 

にほんブログ村 小説ブログへ
にほんブログ村

 

| | | コメント (0)