俳人十湖讃歌 第284回 十湖不器(18)最終回
昭和11年初夏、東京郊外にある市立サナトリウムで療養中のつぎは、開け放たれたガラス戸から入ってくる風に冷たさを覚えた。
「硝子戸を閉めて下さらない」
つぎはベッドの傍にいた弥三郎に、肩をすぼめながらか細い声で頼んだ。
弥三郎は木製の介添え者用の丸椅子から立ち上がりながら
「義父は俳句を友にして人生を謳歌していたね。僕の人生は後悔の連続だったけど君はまだまだ生きなくっちゃ子供のためにもね」
弥三郎はつぎの視線の先にある凛とした花菖蒲を見つめながら、そっと硝子戸を閉めた。
後に十湖の実績と性格を評して郷土研究者の方が語ったことがある。
‥‥郡長時代に培った政治手腕と報徳仕法をもって農業改革をして、疲弊する農民を救済する努力、俳人として宗匠として弟子を育て、その成果を情報として社会に広めた力、これらを併せ持つ十湖は奇人変人など様々な冠をつけて呼ばれるが、その言葉の奥には人心を集め良好な人間関係を構築した十湖像が窺える。この人物を君子と讃えるなら、まさに十湖不器といわんやと
(完)
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