カテゴリー「30十湖不器」の記事

十湖亡きあと弟子たちが師の人生を振り返り、十湖不器だと。

2026年1月 7日 (水)

俳人十湖讃歌 第284回 十湖不器(18)最終回

 昭和11年初夏、東京郊外にある市立サナトリウムで療養中のつぎは、開け放たれたガラス戸から入ってくる風に冷たさを覚えた。
「硝子戸を閉めて下さらない」
 つぎはベッドの傍にいた弥三郎に、肩をすぼめながらか細い声で頼んだ。
 弥三郎は木製の介添え者用の丸椅子から立ち上がりながら
「義父は俳句を友にして人生を謳歌していたね。僕の人生は後悔の連続だったけど君はまだまだ生きなくっちゃ子供のためにもね」
 弥三郎はつぎの視線の先にある凛とした花菖蒲を見つめながら、そっと硝子戸を閉めた。

 後に十湖の実績と性格を評して郷土研究者の方が語ったことがある。
‥‥郡長時代に培った政治手腕と報徳仕法をもって農業改革をして、疲弊する農民を救済する努力、俳人として宗匠として弟子を育て、その成果を情報として社会に広めた力、これらを併せ持つ十湖は奇人変人など様々な冠をつけて呼ばれるが、その言葉の奥には人心を集め良好な人間関係を構築した十湖像が窺える。この人物を君子と讃えるなら、まさに十湖不器といわんやと  
                                          (完)

Sogi01

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2026年1月 5日 (月)

俳人十湖讃歌 第283回 十湖不器(17)

 どう考えても十湖が向かおうと努めていた性格の、四方面を語ったという風に思われた。
 この四人の特徴を一丸として併せ持つとしたら、実に他の多数の名を挙げるにも等しく感動を覚えたに違いない。
 この答えにより十湖の内面に熱望した一端は知られるものであり、その熱望をもって十湖の生涯に実践し得た報徳仕方の業績の裏打ちとしては、褒めすぎではないと思われたのである。
「石倉さん、君子不器という言葉をご存じですか。荻生徂徠によれば容器には容量という限界がありますが、君子はそのような容器ではありません。言い換えれば君子は自由にして目的に応じ様々な人を使いこなすことができる人物の意だそうです。十湖翁が奇人とかいろいろな冠で云われてきた根源は、人の使い方にも政治手腕にも定まった容器はなかったからではないですか」
 鷹野が云う君子論は十湖に繋がっている、石倉は鷹野の意見に共感し感動さえも感じた。

Hotokukun

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2026年1月 4日 (日)

俳人十湖讃歌 第282回 十湖不器(16)

 鷹野は十湖を世間がどう見ているかを淡々と話す。
「なるほど世間の評価はさまざまだ。鷹野さんご自身ではどう結論付けたのですか」
 石倉は冷静に語る鷹野の十湖像を知りたかった。鷹野の次の言葉を待った。
「かつて、私が翁の伝記を作っているとき、翁にいかなる先人を崇拝するやと問うてみたことがあります」
「それは興味深い。ぜひお聞かせください」
 石倉は両手を叩き、喜びを隠せなかった。どうしても聞きたいことがそこにある。
「その答えに二宮尊徳、松尾芭蕉、渡辺崋山、林子平の四名を挙げてくれました」
「四人もいたのですか。その理由はお聞きになりましたか」
「ええ、今でも覚えています。尊徳は知行合一、言行一致、道徳家にして理財家なるがゆえに、芭蕉翁はわが風流の祖にして、津々つきざる超然顔なるがゆえに、渡辺崋山は節操高く清々球のごとく汚濁に汚れず忠孝兼備の奇士なるがゆえに、林子平は憂国の士として拳々として節を守り稜々たる侠骨千古の士なるがゆえに、と、一人一人に接するように説きました」
 鷹野はまるで十湖翁がそこに居るかのようによどみなく話した。
「この四人とは翁が目指していた人物像の一端であり、十湖像そのものではありませんか」
 石倉は少し興奮気味に鷹野に迫った。


Keitou03
                             (晩年の十湖)
  

 

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2025年12月31日 (水)

俳人十湖讃歌 第281回 十湖不器(15)

 鷹野は家のことが心配らしく、懐中時計を取出しては落ち着かない様子であった。
「鷹野さん、私は今、十湖翁の人生を振り返って記事にしようと考えていたところですが、あなたの持っている十湖像の一端をご教示いただけませんか」
 石倉は鷹野に対し自らの足りない部分を示してほしかった。
「私が翁の伝記を作り始めたきっかけは、翁に対する世評に興味を持ったことでした。当時翁のことを人為して俗物、英傑にして愚鈍、野心家にして世捨人、聖人にして小人、大欲にして無欲、剛胆にして小心などと世間では一人の人間に当てはめていっています。これは悉く矛盾だらけです。私が翁に照らしてみると奇とは思えません」
 鷹野は真剣な表情で、まるで何か得体のしれないものと対峙しているような顔つきで云った。
 一息すると さらに話を続けた。
「翁の行動は人の意表に出て混乱しているように見えるときでも、その裡を透かして見ると秩序整然たるものでした。翁の英傑にして剛胆なる所以です。時に軽薄で世間の笑いものにされるときは翁の愚鈍にして俗物なる所以です。常に道徳を口にしてひそかに善行し、自庵にて俳諧を楽しむ姿は真の聖人にして雅人であることを認めるでしょう。だが酒色に嵌り財産を失いかけたり、無益なことに狂奔して喧嘩をかってしまうなどを見れば翁は確かに小人であり、むしろ狂人ともいうべきでしょう」
 Tugit2_20210312114601                           (鷹野つぎ幼少時の写真)

 

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2025年12月30日 (火)

俳人十湖讃歌 第280回 十湖不器(14)

 境内の片隅で参列者の行列を眺めていると、十湖の晩年は俳人として門に集う者の数も増し、決して失意のものではなかったと確信していた。
「石倉さんお久しぶりです。よくぞ遠くからお越しくだされ義父も喜んでいることでしょう」
 そういって近づいてきた初老の男性がいた。
「・・・・」
 石倉は、しばらく誰なのか思い出せなかった。
「私ですよ。鷹野です。鷹野弥三郎です。今では記者ではなくて小説家に足を突っ込んでいますがね」
「思い出しました。つぎさんのご主人ですね。奥様のお加減はいかがですか」
 石倉は懐かしそうに言放った。
 小説家なら妻の鷹野つぎのほうが有名である。だが義理の父の葬式だというのに姿が見えないのが気になった。
「それが今日は私だけが参りまして、つぎは子供の具合が悪く、家を離れることができないのです」
「さぞお困りでしょうね。葬儀が済めばただちにトンボ返りですか」
「そうなります。夜行の列車の時刻を今確認しようと思っていたのです」

Yasaburot12_20210312114401

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2025年12月29日 (月)

俳人十湖讃歌 第279回 十湖不器(13)

 その後、政界を遠ざかり専ら俳諧と報徳の二道に力を傾注し、後進に道を譲った。
 俳諧の奥義はただ雪月花を詠じて、その感動を表出するという浅はかなものではない。
 大宇宙間に存在する森羅万象の整斎として、敢えて序次を失わず時期を違えず、真正なる美を感受して人として悉くあるべし社会としても斯くあらざるべからずという。
 清明なる意を寓して讃賞嘆美するもの、これをこの道の神髄にして要するに大を知り小に勉め、真に就き美を表し善に止まり徳に入り、道に遊び和を楽しむものにして、いわゆる誠意誠心も修身斎家も治国平天下の道このなかにある。
 されど儘に十七文字というが如き中に、高遠微妙な意を含めてこれを人に知らしむるものは決して容易なことではない。
 満を去りて謙につき恭敬にいて倹素を持し天命を奉じて人事を尽くすを貴ぶと。
 さてこの高潔なる徳風を慕いて諸国より漫遊し来れる俳人韻士書家が畫工あるいは行脚の僧と云うが如き一二の食客はかつて絶えたることなし。
 かかる状態ならば一時は生計も困難にして、先祖伝来の不動産も多くは人手に渡さざるを得ざるがごとき窮境に陥ることもあり。されど磊落奇偉なる主人は清貧をもって自ら任ずればあまり苦にもせざりしものと見え燕の子に告げて云う
  巣立ちせよ燕 我が家を売らぬうち
 妻女は佐乃という同郡蒲村伊藤家の出にしてもっとも貞淑にして温雅なり。
 年中間断なく来訪するところの食客に対しても少しも厭い嫌うことなく食前より衣服に至るまで何くれと世話をして倦怠の気無きが如きは実に夫人の模範として推奨すべきである。

 

Fukami

 

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2025年12月28日 (日)

俳人十湖讃歌 第278回 十湖不器(12)

 その後、政界を遠ざかり専ら俳諧と報徳の二道に力を傾注し、後進に道を譲った。
 俳諧の奥義はただ雪月花を詠じて、その感動を表出するという浅はかなものではない。
 大宇宙間に存在する森羅万象の整斎として、敢えて序次を失わず時期を違えず、真正なる美を感受して人として悉くあるべし社会としても斯くあらざるべからずという。
 清明なる意を寓して讃賞嘆美するもの、これをこの道の神髄にして要するに大を知り小に勉め、真に就き美を表し善に止まり徳に入り、道に遊び和を楽しむものにして、いわゆる誠意誠心も修身斎家も治国平天下の道このなかにある。
 されど儘に十七文字というが如き中に、高遠微妙な意を含めてこれを人に知らしむるものは決して容易なことではない。
 満を去りて謙につき恭敬にいて倹素を持し天命を奉じて人事を尽くすを貴ぶと。
 さてこの高潔なる徳風を慕いて諸国より漫遊し来れる俳人韻士書家が畫工あるいは行脚の僧と云うが如き一二の食客はかつて絶えたることなし。
 かかる状態ならば一時は生計も困難にして、先祖伝来の不動産も多くは人手に渡さざるを得ざるがごとき窮境に陥ることもあり。されど磊落奇偉なる主人は清貧をもって自ら任ずればあまり苦にもせざりしものと見え燕の子に告げて云う
  巣立ちせよ燕 我が家を売らぬうち
 妻女は佐乃という同郡蒲村伊藤家の出にしてもっとも貞淑にして温雅なり。
 年中間断なく来訪するところの食客に対しても少しも厭い嫌うことなく食前より衣服に至るまで何くれと世話をして倦怠の気無きが如きは実に夫人の模範として推奨すべきである。

 

Fukami

 

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2025年12月27日 (土)

俳人十湖讃歌 第277回 十湖不器(11)

 その例を挙げれば橋梁架設すること大小五〇余箇所、道路の修理広狭八二箇所、神社仏閣の修繕、学校役場の新築三、農学社の設立、図書館建設、堤防増築、共進会の開設、殖産興業の勧誘、農事改良、報徳碑の建立、勤倹の美俗の勧め、忠孝篤実者の褒章など枚挙に暇あらず。
 これらの事業に対しては多くの資金を必要とするが、概ね賦課に頼らず有志の義捐によるものであった。
 これこそ十湖の異彩として評価できよう。
 明治十九年三十八歳の時、母が病で危篤になったとき職を辞して郷里に戻りその看護にあたる。間もなく逝かれる。
 このころ前自由党の党首板垣退助が民権の運動に勉めれば、自由の旋風に共鳴して大いに活動する。
 だが自由なる語は誤解を招く。自ら戒め句を詠んだ。
  
  伸ばすとも手足は出すな蚊帳の外

 

 明治二十三年第一回衆議院選挙の際は立候補をするも、国家の大局面から同志である他候補に譲るため辞退するに及んだ。

(三遠農学社の落成)Nogakusya

 

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2025年12月26日 (金)

俳人十湖讃歌 第276回 十湖不器(10)

 慶應二年一九歳の時深く心に期するところあり、この道の大家に就いて疑問を解き奥義を極めんと相模の国小田原町に福山瀧助翁を訪ね教えを乞い、精励刻苦一か年その要領を習得して帰ってきた
 以後この道のため尽力した。
 このころ徳川幕府は政を失して内外多事、物価は騰貴し民衆は疲弊した。
 東西の志士は憤然立てあるいは勤王攘夷を云いあるいは倒幕復古と云い、国中に殺伐の風が吹き安堵の日はなかった。
 やがて明治の新天地を見るに至ったが、住いする地は不幸にも天竜川の氾濫、決壊の繰り返し。
 付近一帯の地は一夕にして泥土と化した。衣食に窮する者数百人、彼は報徳をもって母とともに自家の蔵を開放して、貯蔵していた米麦八〇俵を悉く拠出し窮民の救済を全うした。
 明治六年二五歳の時、衆に推されて戸長の職に就く。
 二八歳にして縣会議員となり、三二歳の時縣令大迫貞清氏の着目するところとなり抜擢されて縣吏となる。
 明治十四年七月、三三歳の時遠江国引佐麁玉郡長に任ぜられ、事務は公平にしてかつ速やかに実践し行政に貢献した。

(郡長就任時の十湖)
Guncyoujidai

 

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2025年12月25日 (木)

俳人十湖讃歌 第275回 十湖不器(9)

 両親の愛は一方ならず、五歳の時には源長院に入り、恵全師について読書、習字を学び彼の成長は非常に早く、師を驚かせたほどだった。
 安政六年十一歳の時、同国小笠郡横須賀町の撫要寺に入り、住職戒誉玄當副住職釈真友の二師に就いて習字、仏典及び漢書を学んだ。
 その記憶力と才智は、はるかに群集を押して賛嘆する者少なからず。
 万延元年十二歳の時、郷里中善地は天竜川の西岸にして洪水氾濫して伝来の田畑数町歩を一夜にして悉く荒れ地と化してしまった。
 十四歳の時、弟が若くして亡くなり、学業をなげうって一時帰郷するに及んだ。
 それより両親の元に在って日々荒れ地の復旧事業に精励し、夜間及び休日には読書と習字に勉めた。
 当時この地方では俳諧が流行していたことから興味を持ち、この道に入る雅号を十湖と称した。

(葬儀会場内)
Sikinarabi



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