我が家のALWAYS
トマトがお中元で届き、昔はトマトがおいしかったとの話になった。
やがて、昭和32年ごろの我が家の光景が思い浮かびあがった。
我が家は市内の古い街道にあり、その面影は今はない。
当時、街道を大きなダンプカーが砂ぼこりを巻き上げてばく進し、道を穴だらけ変えてしまった。
その喧騒の道路側とは裏腹に、うなぎの寝床の我が家の中庭(と言えるほどではないが)
には2本のヤマモモの木が実を熟し、甘酸っぱい香りを残していた。
木のそばには井戸があり、くみ上げポンプとバケツが置かれ、
いつでも井戸から冷えたスイカやトマトが取り出せるようになっていた。
赤く熟しているようにみえるが、へたはまだ緑色のトマトは青臭い。
トマトを口にくわえ、ヤマモモの木に上れば屋根の上。
はるかに望むは小学校の木造校舎、右に眼をやれば竹やぶとざくろの木。
左は青大将(へび)の住む赤レンガの古びた倉がみえる。
やがて夏の陽は、夕日に変わり目の前の情景を真っ赤に染める。
下から母の声「いい加減に降りて来い。ばんごはんだぞ」
父親とけんかしてべそをかいていたことも忘れ、家族団欒の夕餉を迎えた。
今となっては、早い歳月の流れであった。
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