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2008.10.23

漢字・かんじ

漢字の書き間違いはいくつになっても直らない。
でも変だなと思えば,辞書を繰れば間違いは防げるはず。
先日、職場の同僚が「訪門」と書いた。
「あれ!これは違うじゃないの」気づいた者がいた。
「ほうもん」は正しくは「訪問」だが、本人はこれまで言われたことはなかったと弁解した。
しかし30年近く生きてきてはじめて気がついたのである。
あまりのショックに周囲からなだめたところ、昔を思い出した。それは僕も若いころの間違いを。
気がついたのは、その時がまさにそのときだったというのである。
その字は「愛」、この字を間違えていたと気がついたのは結婚が決まってからだった。
書き間違いでもなく、字そのものを間違えていたのだ。
愛とは冠の中に心があって久しいのである。
その心が「必」と憶えていたからだった。
愛を知ってはじめて気がついた心の変化であった。

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