昭和の大棋士と対決!坂田本因坊と22歳の思い出
先日(平成22年10月22日)の朝刊は「カミソリと評される鋭い棋士」で史上初の名人本因坊となった囲碁の坂田栄男名人の死去を報じていた。
別段自分とのかかわりがないだけにそれほど気にかけていなかった。
ところが、いつものように畑で草取りをしていたところ、隣の畑でネギ苗を植えていた小栗さんが突然大きな声を上げた。
新聞の切れ端を持って、私に「たいしたことではないのだが…」といつもの口調で語りかけてきた。
みせてくれたのは、買ったネギ苗をくるんであった包装紙。これが昨日の新聞で坂田栄男氏の死亡を報じていた記事だった。
昭和29年、当時22歳の青年だった小栗さんが地元の碁好きの古老に勧められて、この浜松市笠井の地で開催された碁の大会に興じたと言う思い出が甦った。
そのときの主役がなんと坂田栄男名人。内田石油の方が懇意で笠井への来訪が実現したのだという。
場所は、笠井街道に面した山形屋旅館、今でも当時の面影が残っている。
さて大会の中心は笠井の五味氏。地元周辺から仲間が70人近く集まって碁を楽しんだ。
青年小栗さんもこの亡くなったと報じられた坂田名人と7手落ちで指し、結果的に初段を認定していただいた。夜は芸者を呼んで朝までにぎやかだったという。(確か当時は笠井に芸者置屋が3軒あったと思うが。)
小栗さんの話す思い出は現在も碁を嗜んでいる自身の貴重な体験だった。
つくづくと人は見かけによらないものだなあ「能ある鷹は爪を隠す」とは古いたとえだけれど…
小栗さんは、思い出の時期から察すると現在のお年は80歳となる。
ぜひ長生きして、語りつないでほしい地元の歴史の一端でもある。
当時の私は5歳だが、今でも笠井の町の雰囲気は思い浮かべることができる。
ほんのひと時、幼い頃へタイムスリップさせてもらったような話だった。
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