ネコの目
いつだったか明治村を訪れたとき住所を夏目漱石宅に置いたことがあった。
といってもここに居候をしたわけではない。
1年だけ明治村内に住民登録をした。おかげで四季を通じて明治村への入村はフリーパスとなった。
その度に行く場所は専ら漱石宅である。
他人の家ではないのだから玄関から入ればいいのに、気を使って南側の庭から入ろうものなら名前のない猫氏がじっと睨みつけている。
そう見えるのである。
「室内に猫がいると平和に見える。…猫のいる家は安定感がある」
といったのは推理作家森村誠一氏だが、この写真を見るとまさに云い得ている。
かつて原子力発電所を誘致した町へ旅したことがあったが、あまりにも町が整備されていてきれいだった。
おそらく町の予算以上の収入過多でもあって整備したのだろう。
町の人口規模に対して市街地が格段に整備されていて不自然ささえ感じたほどだ。公共施設も道路も街並みもだ。
で、このときなぜか人のぬくもりを感じることができなかった事を覚えている。
しかも海に近い町なのに野良猫一匹にも出食わせない。
前述の森村誠一氏が著書「写真俳句」のなかで云っていたことを思い出した。
「屋内だけではなく、まったく野良の姿が見えない街角は何となく信用ならない気がする」と。
ネコの目があるからこそ、人の営みが見えてくるのかも知れない。
冬日向冷たき目線や番の猫 ろまん
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