木喰撮影の思い「木喰原田康次写真集」から
木喰上人の魅力を過去3回にわたり記してきた。
その動機は言うまでもなく木喰を撮ることにあった。導いてくれたのは浜松の写真家故原田康次氏の「木喰原田康次写真集」である。ショウ―ズカばばあを撮ることから始まった。
原田氏のことは前述に譲り、ここでは木喰上人の魅力の原点を追記してみたい。
まず木喰が木喰である戒律とはである。
木喰戒とは火を通したものや五穀を断つことをいい、木喰上人はこの修験道を成し遂げてきたのである。
それゆえ長命であったとの理由にしたいところだが、上人が遺してきたものからは、それにとらわれない自由な生き方が見てとれる。
遺物の一つ和歌である。
めでたいの さかなで飲めば 良けれども 飲まれて後は つまらざりけり
殺生して まだ食い足らぬ 握り飯 食いつくしても 悟れざりけり
まさに木喰の自由な心境を歌っていて和歌を見る限り戒律を必要としていないようだ。
日本回国において仏を彫り、自由に食べ、人と交わることこそ長命の秘訣であったのではないだろうか。
さて、いつの間にか原田氏の写真集から、木喰上人の生き様まで足を突っ込んでしまったようだ。
写真を撮るという原田氏の行為は同様の思いがあったことを知る。
一方、同時代に写真家土門拳は「古寺巡礼」で多くの仏、菩薩を撮っている。
彼の撮った写真には菩薩の微笑み、菩薩の優しさが写しこまれていた。土門は見えないものを写真で表現し、ここに写真家土門拳の真髄があった。原田氏もこれに倣って木喰撮影にのめって行ったのだろうか。
だが、それは根本的に違っていた。
木喰仏は最初から笑みを浮かべて彫られていたのである。
そのまま撮れば十分であった。しかし原田氏は仏に魅せられたように撮り続ける。
シャッターを切りながら土門拳に近づきたい一心ではなかったか。
ほんのつかの間、原田氏の撮った木喰仏に接してみて、私もそうありたいと思った。
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