視線
この看板の前を通るたびに目が合うのである。
「目が合う」という現象は、「みつめあう」という表現が適しているかもしれない。
看板の長い睫の目は、個人的には成熟した女性の視線かもしれない。
しかも左目である。これで右目が開いていたら「八方にらみ」と呼ばれていただろう。 宮本武蔵『八方にらみ達磨の絵』は四方八方目配せしていることになる。少なくともこれではなかった。
目をただ絵文字ととらえると看板は正確に看板である。面白くもなんともない。だがこの看板には「鋸目立て」とあり、職人が存在することを示している。
目は口ほどにものをいうというが、目の絵は饒舌なのだ。しかも女性のおしゃべりである。さては目立て職人のカミさんの目かもしれない。左目で店内へと誘っている。
これが右目であったら、おそらく通行人の眼には留まらなかったではないだろうか。
客の呼び込みどころか目は空を跳んでいたに違いない。
私の鋸は買ったばかりで、幸い今もってよく切れる。
やがて鋸の歯が傷んで来たら、たぶん、この店で目立てをしてもらっていることだろう。
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