柳田国男の笠井の印象
新年会の席上で「かつて笠井町を通り抜けた有名人がいたが知っているか」と尋ねられた。
思い当たる節がなかったので誰の事かと聞くと、民俗学者の柳田国男氏がこの町に来たことを何かに書いてあったらしいという。
後日図書館で氏の書籍を調べてみると、著作集30数巻のうち1っか所だけに「笠井」の町名があるのを発見した。
「灯台下暗し」という格言があるが、意外や住んでいる住民には気が付かないことがたまたま通りかかった旅人によって、うまい表現で笠井の印象を著わしていた。
「浜松の松は既に残り少なで、その代りに出来たのは織物の工場である。一機に一燈の電燈がついて居る。それが鉄道を越えて北は笠井の付近、更に二俣の対岸近くまで、只の農家でも二棟三棟の、長い織場を建てた屋敷が稀では無い。北を向けて明り採りに、屋根の片側を硝子にして居る。何とも無い山の上の農家に於て、静かな夕方に見て居ると、一時にぱつと美しい光が、広い平野を彩るのを見るやうに、もう世の中がなったのである。」
出典:秋風帖(大正9年11月、東京朝日新聞)より「野の火、山の雲」著者 柳田国男
大正9年秋、柳田国男氏は島田の祭典を見て焼津方面から浜松に入った。
天竜川を遡りながら笠井を通過し、二俣へ向かっていた時に見た光景を文にしたものらしい。
この頃、遠州地域は最も織物が盛んで織屋は二俣へと続いていた。
因みに笠井の町では製造業者49、販売業者11、染色業者11に代表されるように大正末期の浜松地域の全工場のうち90%近くが繊維工場で占められていた。遠州織物の基礎ができあがったころであった。
町を通過しながら、ずばりとその時代をその言い当てる文に妙に感心してしまった。
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