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2022.07.22

遠州大念仏 盆供養会披露

   去る7月15日 地域の笠井観音(福来寺)において行われる盆供養会は、昨年同様コロナ対策を駆使した方法で盆供養、おしょろさま奉納行事が行われた。
 ドライブスルー方式は住民も慣れたもので案外スムーズに納めものを車内から主催者に手渡し(馬と牛の飾り物)観音様の霊位に運転席から礼拝していた。
 日没ころから御詠歌奉納、20時より遠州大念仏を参会者に披露し21時には行事がすべて無事終了した。
  遠州大念仏は昨年中止となり淋しい盆供養会であったが、今年は笠井新田組が力いっぱい詠い、踊りを披露し境内に鉦と太鼓の音が響いていた。

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2022.07.21

マグワイ最中

 久々に雨が上がり、畑へ出向く。
 これほど雨が長く降り続いたことが、過去に梅雨時以外であったろうか。
 全国的には被害が続出、当地では洪水警報で夜中に3度も避難指示が来る。
 しかし時が来れば、やがては常に戻って来た。
 畑は雨でゆるくなり、長靴が土に取られてしまう。
 作業どころではない。せいぜい夏野菜の収穫物が無事育っているかを確かめるばかりだ。
 伸びた草を分け、目的の畝までたどるうち、いたいた!畑はまさに害虫の宝庫に成り下がっている。
 雨の前には見かけなかったカメムシが元気はつらつ草間を這っている。いや2匹が引っ付いている。
指で払いのけようとするも、全く動じない。
 「ただいま○○中」?とでもいうのだろうか。
 この様子をじっと観察していて、ふと思い出した俳句があった。
   まぐはひの蜻蛉するどく体折り   高柳克弘(句集「涼しき無」)
 こっちのほうがよっぽど画になっている。カメムシでは役者不足だったかな。
  Kamemushi

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2022.07.06

草取り

 例年より早く梅雨が明け、家庭菜園は夏物野菜の実りの時期を迎えている。
 だがカンカン照りの天気が続くのも喜べるばかりではなく、作地は固くなり草はぼうぼう草むしりが大変だ。
 むかしは起きぬけに顔も洗はず露蹴散らして草をとり、日の傾いた夕陰にも取った。
 それは今も同じだ。取りきれなければ日中にもとる。やっと奇麗になったかと思ふと、一方では生えてきている。草と虫さえ無かったならどんなに夏は楽なのだが、と愚痴さえ出る。
 いまや除草は機械でやるのが当たり前。どんな方法であれ、ともかく夏は草をとる。
 明治の文豪徳富蘆花先生いわく
「なぜ人間が草取り機械にならねばならんか。除草は愚だ、うっちゃって草と作物を競争させ全滅ともいくまいから残っただけをこの方にもらえば済む。といっても、実際眼前に草の跋扈を見れば、取らずにはいられぬ。隣の畑がきれいなのを見れば近所迷惑も思わねばならぬ。」
とはいえこの先生はさらに続けて
「夏草は生長猛烈でも、気をつけるから案外制し易い。恐ろしいのは秋草である。行末短い秋草は、種がこぼれて、生えて、小さなままで花が咲いて、直ぐ実になる。油断してうつかり種をこぼされたら、事である。一度落した草の種は中々急に除り切れぬ。田舎を歩いて、奇麗に鍬目の入った作物のよく出来た畑の中に、草が茂つて作物の幅がきかぬ畑を見ることがある。昨年の秋、病災不幸などでつい手が廻らずに秋草をとらなかつた家の畑である。・・・草を除らうよ。草を除らうよ。」…明治の文豪徳富蘆花「草取り」引用
 なるほど先生の言葉どおり草をとることは毎年の行事であると実感した。
 今日も時間があれば草むしりだ。手抜きはだめだね。
Kusatori

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