草取り
例年より早く梅雨が明け、家庭菜園は夏物野菜の実りの時期を迎えている。
だがカンカン照りの天気が続くのも喜べるばかりではなく、作地は固くなり草はぼうぼう草むしりが大変だ。
むかしは起きぬけに顔も洗はず露蹴散らして草をとり、日の傾いた夕陰にも取った。
それは今も同じだ。取りきれなければ日中にもとる。やっと奇麗になったかと思ふと、一方では生えてきている。草と虫さえ無かったならどんなに夏は楽なのだが、と愚痴さえ出る。
いまや除草は機械でやるのが当たり前。どんな方法であれ、ともかく夏は草をとる。
明治の文豪徳富蘆花先生いわく
「なぜ人間が草取り機械にならねばならんか。除草は愚だ、うっちゃって草と作物を競争させ全滅ともいくまいから残っただけをこの方にもらえば済む。といっても、実際眼前に草の跋扈を見れば、取らずにはいられぬ。隣の畑がきれいなのを見れば近所迷惑も思わねばならぬ。」
とはいえこの先生はさらに続けて
「夏草は生長猛烈でも、気をつけるから案外制し易い。恐ろしいのは秋草である。行末短い秋草は、種がこぼれて、生えて、小さなままで花が咲いて、直ぐ実になる。油断してうつかり種をこぼされたら、事である。一度落した草の種は中々急に除り切れぬ。田舎を歩いて、奇麗に鍬目の入った作物のよく出来た畑の中に、草が茂つて作物の幅がきかぬ畑を見ることがある。昨年の秋、病災不幸などでつい手が廻らずに秋草をとらなかつた家の畑である。・・・草を除らうよ。草を除らうよ。」…明治の文豪徳富蘆花「草取り」引用
なるほど先生の言葉どおり草をとることは毎年の行事であると実感した。
今日も時間があれば草むしりだ。手抜きはだめだね。
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