カテゴリー「歴史」の記事

2021.10.08

笠井町の歴史を知る一冊「「笠井の歴史と榎吉家の系譜」

 先日、笠井報徳社から「笠井の歴史と榎吉家の系譜」という冊子が送られてきた。
 以前、笠井報徳社の池田充義氏から系譜をまとめていると聞かせれていたので、そのことを思い出し合点がいった。
 これまでにも笠井の歴史の出版物が数ある中で、今回「榎吉家」の系譜を加え裏付ける歴史年表としたことは、歴史音痴の私でも物語風に読み進むことができ、あたかも笠井の過ぎ去りし日々を再現するようで一段と理解と関心を深めることができた。
冊子を編纂された関係者の皆様には大変に意義のある活動だと敬意を表したい。
Keifu-enoyosike

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2020.12.26

明治の写真師 江木写真店

 古い写真が手に入った。
 小さな箱に現在のL版にも満たないプリント写真が3枚入っている。
 箱は大分傷んでおり、箱の裏には撮影日なのか明治37年11月25日と記されていた。
 写真は箱の図柄から当時の東京神田淡路町に開設された江木写真館で撮られたものだと判明した。
 写真店は6層の塔を持つ洋風の建物で、当時としてはハイカラなもので、いかに写真が高価なものであったかを偲ばせる。
 しかも、今と違ってこの写真から撮影者もわかるというのだから、当時はいかに写真術というものが大切だったかがわかるというもの。
 ちなみに江木写真店は明治13年江木保夫、松四郎兄弟によって開設されたが、保夫はオランダへ、松四郎はアメリカに渡り写真術などを学び帰国したという。
 二人は明治30年代に亡くなり、店は松四郎の妻が経営することになるのだが息子の善一が後を継いだ。
 この写真からここまで歴史がわかり、たかが写真と思っていたが、写真普及の初期のころは貴重なものだったことがわかり、「月並み写真堂」などと云っている自分が憚らればかりである。

M02

M01
 


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2020.12.08

四五の写真ガラス乾板

 写真ガラス乾板からプリントする機会が巡ってきた。
 縦12cm、横16cmの大きさで傷みはなく、スキャンをすれば今の機材で簡単にできる。
 こうして映し出されたのが下記の写真だ。
 意外にも色落ちもなくシャープな画像であり、気になるのはそれぞれの人物の明るさだ。
 おそらく現像者は撮影後の修正に汗をかいたのだろう。女性はやはり色白で美人でなくてはいけないだろうし。
 プリント時に手を加えずだとこんな写真になってしまう。
 しかも当時のプリントは今となっては色が抜け黄ばんでいるのが現状だ。
 白黒フィルムでさえ、何十年もの歳月を経れば、人物の輪郭すら映し出すのがむつかしい。
 だがガラスの乾板ならそれはない。割れない限りは永久であるようだ。
 ちなみにこの乾板は封筒に入れられ裏に「大阪・日本橋 松坂屋」と記されていた。
 撮影時期は松坂屋ができた1923年以降である事が推察される。
 45kanpan

 Kurataro
 (鈴木庫太郎一家)

 


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2020.08.13

昔の面影残る町・・・・笠井

 笠井街道はこの町を中心に栄えてきました。
 しかし、経年により町の姿は変化し昭和初期以前の面影は年々消えていきます。
 そんな時一人の地元画家の高林様が将来を憂い、今のうちに町の面影を残しておこうと平成15年町のスケッチを始めました。
 今こうして面影が残っているのもこの方のおかげです。
 ぜひ多くの皆さんに笠井の町を知っていただけたら幸いです。  開設者

Machi02

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2020.02.29

秋葉表参道「富士見茶屋跡」

 毎朝、テレビ番組の「グレートトラバース」の300名山山行を楽しんで見ていると、たまには山に行ってみようと思うようになった。
 思い立ったが吉日と、先日、自らの年齢を考えて地域内の低山秋葉山を目指すことにした。
 連れ合いから「行くなら交通安全のお守りを買ってきて」といわれ、そういえば今年の元日から未だお守りだけは買い替えてなかった。
 急に不安がよぎるが、これだけの目的があれば気持ちよく山行ができる。Omotesando201
 最近になって行ったのは今から5年前で、ちょうど名残の雪が舞っていた時であった。
 今回は残念ながら曇空、昨日は全国的に北陸方面で雪だというが、その影響はなさそうである。
 下社から登り始めるが、周囲の状況は5年前と変わらない。
 変わったのは自分の足取りである。さすがに運動もしていないと息が荒くなり、1町歩くごとに立ち止まり、呼吸を整える。
 予定の山行時間より30分遅れて上社に到着。
 無事お守りを購入し下山へと向かう。Omotesando202kanban
 下り始めて「富士見茶屋跡」という看板が目に入り左側の視界が明るいので、小休止して見学した。
 読み進むうち一つの物語が展開されていたことを知った。
 帰宅後WEBで紹介されているのではとの思いから検索してみると、某ページにたどり着いた。
 ここに引用させていただくと・・・
2015年11月04日
秋葉山表参道に「富士見茶屋跡」の看板設置
秋葉山表参道30丁目で生まれ育った赤堀さんから、お母様の白寿のお祝いの記念に表参道の屋敷跡に立て看板を建てたいのだが、と相談された。彼女の書かれた自分史「ささゆり」は、多くの人たちに感動を与え、貧しいながらも愛情たっぷりの家族愛は、何度読み返しても目頭が熱くなる。おなじ年代に育った人たちに、かたちは違っても多かれ少なかれ共通の思い出をよみがえらせてくれたと思う。「母が生きているうちに、母がここで頑張っていたことを後世に残したい。」赤堀さんのお母様を思う気持ちに心打たれ、有志で看板設置のお手伝いをかってでた。
しかし、設置日の半月前、赤堀さんが圧迫骨折で病院に入院。二週間後には退院するも、とても歩ける状態ではない。仕方なく赤堀さん抜きでの作業となった。
屋敷跡から富士山の形をした厚さ15センチ程の平らな石が出てきた。看板の前に据えると、ちょうど三角形のあたまが富士山の方向に向いていた。これぞ富士見茶屋にふさわしい飾り石だ。
さっそく通りかかった登山者が足を止め、看板を読んでくれた。この先多くの登山者、参拝者の目に触れると思うとワクワクする。
赤堀さんの話によると、昔はあたりは茶畑でお茶工場もあったそうだ。いまは杉林となっていてその面影はない。その気になって良く見ると倒れた木の間からお茶の木が生き残っている。「秋葉奥の院酔夢庵」 https://suimuann.hamazo.tv/e6459088.html

マイフォト「塩の道 秋葉街道」  https://romance.cocolog-nifty.com/photos/akihasan/

 

 

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2020.01.22

郷土のオリンピック選手 竹林隆二(貴平町)

 昨年はNHKの大河ドラマ「いだてん」で地元出身の田畑政治が主役であったが、その陰でもう一つの歴史を刻んでいた選手が地元にいたことをだるま市の展示で紹介していた。
 その名は「竹林隆二」貴平町出身の学生選手であった。
 1932年第10回オリンピックロザンゼルス大会 水球で第4位入賞した早稲田大学学生選手。
 大学卒業後は現磐田農高の教諭となり水泳部の強化に尽力したという。
 郷土の者として記憶にとどめておきたい事実であった。
(1/10笠井だるま市の展示より)
Takebayasi

 

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2020.01.19

柳田国男の笠井の印象

 新年会の席上で「かつて笠井町を通り抜けた有名人がいたが知っているか」と尋ねられた。
 思い当たる節がなかったので誰の事かと聞くと、民俗学者の柳田国男氏がこの町に来たことを何かに書いてあったらしいという。
 後日図書館で氏の書籍を調べてみると、著作集30数巻のうち1っか所だけに「笠井」の町名があるのを発見した。
「灯台下暗し」という格言があるが、意外や住んでいる住民には気が付かないことがたまたま通りかかった旅人によって、うまい表現で笠井の印象を著わしていた。
「浜松の松は既に残り少なで、その代りに出来たのは織物の工場である。一機に一燈の電燈がついて居る。それが鉄道を越えて北は笠井の付近、更に二俣の対岸近くまで、只の農家でも二棟三棟の、長い織場を建てた屋敷が稀では無い。北を向けて明り採りに、屋根の片側を硝子にして居る。何とも無い山の上の農家に於て、静かな夕方に見て居ると、一時にぱつと美しい光が、広い平野を彩るのを見るやうに、もう世の中がなったのである。」
 出典:秋風帖(大正9年11月、東京朝日新聞)より「野の火、山の雲」著者 柳田国男

 大正9年秋、柳田国男氏は島田の祭典を見て焼津方面から浜松に入った。
 天竜川を遡りながら笠井を通過し、二俣へ向かっていた時に見た光景を文にしたものらしい。
 この頃、遠州地域は最も織物が盛んで織屋は二俣へと続いていた。
 因みに笠井の町では製造業者49、販売業者11、染色業者11に代表されるように大正末期の浜松地域の全工場のうち90%近くが繊維工場で占められていた。遠州織物の基礎ができあがったころであった。
 町を通過しながら、ずばりとその時代をその言い当てる文に妙に感心してしまった。
Syokufukojyo

Yanagidaasidori  
 

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2018.03.08

沈丁花

 マスクをしているのに、この花の香りはよくわかった。
 沈丁花である。
 木ではあるが決して高くはなく、この辺ではせいぜい1メートル程度である。
 雨後は香が一段と強いような気がするも、嫌いではない。

    沈丁の葉ごもる花も濡れし雨   水原秋桜子

 花名を書くこともできる「沈丁花」。
 漢字のとおり読めばいいと思っていた。
 季語ではどんな解釈をしているのか「俳句歳時記」を開いて、目次で「ちんちょうげ」と引いてみる。
 見つからない。
 「ぢんちょうげ」で載っていた。
 ならば「じんちょうげ」なら目次にあるのかどうか。
 これはない。
 ところが目的のページを開いてみると、漢字にルビがしてあり「じんちょうげ」と。
 「名の起こりは、その香りが沈香・丁香を兼ねるということからなので、(沈丁花)ちんちょうげと読まないように注意が必要である」と説明にあった。
 ということは、これまで生きてきて初めて誤りに気付いたということになる。

Jincyoge


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2018.01.17

笠井あの頃

 先日の笠井観音だるま市は平日にも拘わらず多くの善男善女で賑わった。
 当日達磨会館内では、企画展が開かれておりその中に「笠井のあのころ」「戦後30年」という写真展が開かれていた。
 この日展示物の前撮りを許可されていたので、将来に残したい写真を、改めて構成し直しマイフォトに掲載した。
 見学に来た方が写真のなかに写っていることもあり、感慨深げに眺めている光景も見受けられた。Darumaitikasai01


Darumaitikasai02

Darumaitikasai03



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2018.01.11

笠井だるま市にぎわう

 1月10日笠井福来寺(笠井観音)で開かれただるま市は、久々の好天に恵まれ、平日だというのに朝から善男善女で賑わった。
 例年この日は一年中で最も寒い日になるといわれ、雨だけは降ったことがないジンクスもあり、参拝者は心静かに家内安全、商売繁盛の祈願をだるまに託しているようであった。
 境内では盛りだくさんの露店や地元の歴史写真などのほか浜松東高書道部の作品展示も行われ、参拝者の眼を楽しませていた。
 今年初めてという地元のシンガ―ソングライター嬉野遊宇さんのステージは、飛び入りの歌う人が出るほどで、だるま市を遅くまで盛り上げていた。

Daruma30

Daruma301

Daruma302



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