「素人寫眞」百閒の言い分
最近カメラを新調したところ、どうしても戸外で撮りたいという思いが高まった。
だがコロナ禍でもあり、外が雨ときてはあきらめて読書に変更した。
手にしたのは愛読する内田百閒の随筆だ。
畳にゴロリと横になりページを繰っていると、こんなタイトルの一文が現れた。
「寫眞にうつるという気持ちになっていないところを手早く写すというのは、写す側からいえば一つの手柄なのであろうと思うけど、写される方では愉快ではない。」
「一体にそういうところへ持ち込んで来る写真機は、気っと並外れた優秀な機械であって、写真を写す人にはその点も自慢なのであろうと想像するが、学生や若い人ならとにかく、もう相当な分別のありそうな年配の人までが、わざわざ肩から皮の紐で写真機をぶら下げて、人前に出て来る料簡は馬鹿馬鹿しい。」
「近年の流行で、そういう人が方々にいるから、人の集まる所へ出ると油断がならぬような気がする。」
以上、百閒の言い分はよく理解できるし、自分も馬鹿馬鹿しいといわれる対象の範囲なのだと自問自答した一節であった。
昭和13年6月号「朝日カメラ」に載ったらしいが、2020年7月号から休刊しており淋しい限りである。
定期購読中の「日本カメラ」も2021年5月号をもって休刊すると知らせがあった。
百閒だったらこの事態を何というだろうか。
店主としては、ただただ残念の一言である。