カテゴリー「界隈アンソロジー」の記事

2021.08.10

笠井屋孫右ヱ門さんちの徳利

 コロナ禍でどこも、祭・イベントが中止となり、最近では撮りだめした写真を眺めては慰めている。
 桜が咲くころにはあちらこちらで祭りが催され、中でも旧大須賀町の大祭は楽しかった。
 撮った写真はその様子を物語っていた。
 その中に街道の店先を撮った一こまがある。かねてから気になっていたが町名の入った「笠井屋」という徳利が写ったものである。そこで暇に任せて調べてみた。
 今ではWebでなんでも検索できるので、早速試したところ、地元商店7代目の店主さんがこのことを書いていた。
 店名の由来を店主のページから引用させていただくと・・・・・ 
「水道工事で店先を掘り起こしたところ、江戸時代・安政年間に建てた家の基礎石が出てきました。言い伝えによりますと、笠井屋の初代・孫右ヱ門は赤佐村(浜北市)の出身で、何かの理由で村を出て、ここ遠州横須賀にたどり着きました。そして三熊野神社前でついに力尽き、行き倒れとなっていたところを「かどや」さんに助けられ、握り飯2ヶをいただいたそうです。そして「お前はどこから来たのか?」「赤佐村から」「どこを歩いてきたんじゃ?」「笠井街道」「そうか、それならあそこに一軒空き家がある。あそこで“笠井屋”と名乗って住めばいい」と、言ったとか・・・以来7代にわたって、ここに住み続けているわけなんです(笑)」
 さらにつづけて
「この「基礎石」の話は、今から30数年前、店を「タタキ」からコンクリートにした時に、話は聞いていましたが、見るのは初めてでした。
 ひょっとすると、安政地震で建替えた以前の家のものかも知れないとのことでした。(現在の家は基礎の一部を安政4年に、明治40年には間口4間半の総二階に大改築、今の家の姿になりました)」
 徳利の由来は「笠井屋は戦前までは「山伍」の酢を販売していました。これはその当時の通い徳利です。」
 なるほど酒ではなく酢が入っていた。 明治時代~昭和30年代まで、笠井屋は漬物問屋を営んで山五の酢や鳩居堂のお線香などを販売していたというが、今では店内がお茶碗屋さんのようでもある。
 この街並みにあって、この店構えは横須賀の歴史の長さを感じさせ祭の賑わいには必要不可欠な存在で、ぜひとも後々まで残っていて欲しいものだ。
 以上調査の結果、徳利の店の名は「笠井町」とは縁もゆかりもなく、孫右ヱ門さんちの歴史のひとこまであったようである。
Kasaiya

 

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2011.06.04

雨の散歩道 (浜松城の巻3)竹の皮

例年より12日も早い入梅となったが、この雨ではつめたい。体が冷える。
池の周囲の空気は、なにやらけぶっている雰囲気
竹の林を抜けて下から見上げた時、みしっ!という音がしたとかしなかったとか。
孟宗竹が一皮剥けたような気配を感じた。
たけのこ堀りの時期は既に過ぎ、とられずに残っていたのか。運のいい竹だ。
4月にはいると毎年どこからともなくおすそ分けに会う。
最初の1本は、ありがたく頂戴して食べても、次にはもう結構ですといいたくなる。
大きなものになると料理も一通りのことができてしまう。
煮付け・竹の子ご飯・きんぴら・木の芽和えなどなど。
やがてコチラが食べ飽きてすっかり食傷ぎみに。
又来年のお楽しみにといいながらも、店に出回らなくなると又必要に迫られて水煮を買う。
ところで浜松城の竹はよく管理されていて、京都の竹林を思わせるなんてほめすぎかな。Takekawa

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2011.06.03

雨の散歩道 (浜松城の巻2)カルガモ親子参上!

カルガモ親子参上!ただいまヒナ10匹なり
雨の朝だ
1羽2羽3羽4羽カモのヒナ
5羽6羽7羽8羽カモのヒナ
おっと又出た9羽10羽
本日ここまでお付き合い
桜の枝から雨だれ落とし
池に水の輪作ってる
水の輪ときめき母さんといっしょ
あんしんだあ
とつい口ずさんでしまった。Kogamo01

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2011.06.02

雨の散歩道 (浜松城の巻1)利休鼠の雨

雨の朝だ
城の池は夜来の雨でしっとり。
未だ降る雨の色は周りの緑を溶け込み、利休鼠の色のごとし
利休鼠は子供の頃よく歌った「北原白秋作詞、梁田貞作曲、大正2(1913)年に発表された童謡「城ヶ島の雨」の一節「雨がふるふる城ヶ島の磯に、利休鼠の雨がふる」
この日の雨はそれを連想した。
写真では、こんな色が?と思われるかもしれないが、りきゅねずでしょう。
おや?木の下になにやら動くものが・・・・行ってみましょう。Kamonoike

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2011.04.28

江と家康

NHK大河ドラマ「江」もそろそろ家康の出番かなと思う。
となれば浜松城にも視線が集まるというもの。
だが、主人公江姫から見れば秀忠に嫁いでからの物語が家康との接点となる。
残念だが歴史年表から追っていくと浜松城とは無縁になってしまう。
どうしたものかなと思いあぐねていると、今年は浜松市施行百年の記念すべき年。何としてでも多くの市民、観光客に浜松へ視線を集めたい。
歴史をさかのぼり、ここはひとつ家康の教訓を今後の時代に反映していくことを知ってもらおうとの意図から次のことを思った。
家康の正室築山御前のこと、長男信康のこと。いずれも悲運な最後だったが、浜松には大切にその歴史が保管されている。
浜松城から歩いて十分程度のところにある西来院は、築山御前が眠っNobuyasu02ているので有名だ。うっそうとした森を入ると右側に大きな藤棚がある。
ちょうど今5月連休を前にして、最も花が美しく咲き乱れるところだ。
廟を訪ねながら藤の花を満喫してはいかがだろうか。Nobuyasu
市内からは車で30分程度の天竜区には、家康の長男信康が眠っている寺がある。
清滝寺という古寺。入り口はホンダの創業者本田総一郎の記念館があるから併せて観光するのもいい。この近くには二俣城跡もありこの季節青葉が美しい。
そればかりでなく春でも赤い紅葉が見られる。
築山御前、信康の物語は事前に学習しておくと、廟見学もいっそう興味が湧くことだろう。前述の2つの寺は、訪れるならこの春、今がもっとも適している。
(写真上:二股清瀧寺。下:二俣城) 

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2011.01.08

第2東名サル出現

今年の干支は卯だが、初詣の帰りにはサルに遭遇した。
場所は、浜松市北区引佐町的場付近、ちょうど国道に架かる第2東名の橋部分。
車でその下に通りかかった折発見した。
未だ工事中でも橋としての機能は十分果たしている。
猿にとっては道路の反対側まで行くには、危険を冒してまで国道を渡る必要がない。
写真には大きい猿が2匹写っている。
急いで側道に入り確かめると、小猿を含め4,5匹を発見。
車の前を横切り、反対の土手へとしがみついて上がって行くではないか。
付近には民家もあり、猿との共存を図っている様子?
いや困り果てているのでは。Saru01Saru02 

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2010.12.28

ユリカモメの駅

天竜浜名湖線の浜名湖佐久米駅。
ユリカモメが飛来し毎冬の天浜線風物詩となっている。
久しぶりにこの駅を訪ね列車の到着を待った。Kiga06
鳥たちは線路の上で餌付けを待つ。
電車は30分に1本程度のローカル線だ。Kiga04
乗客も決して多くはない。
この駅を賑やかにしてくれるのはユリカモメたちだ。Kiga05 冬空にひときわ眼についたのは白い雲とカモメだった。

 

 

 

…近々と翔び蛇の目のゆりかもめ(川合玉枝)…Kiga07_2

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2010.01.11

細筆達磨、この日限りのご開帳!?

年に一度の笠井観音(浜松市東区笠井町)の十日市。
だるま市ともいうが、この日、細筆書家として地域では有名な牧野良香氏が地元の祭事に協力し、善男善女の希望の言葉を色紙に書いてくれていた。Tokaiti01
早速自分も頼み入り快くお願いすることとなった。
色紙の右上がなにやら丸く抜けていることに気がついたが、さほど気にせず家へ帰って開いてみると・・・・・米の粒が張り付いていた。 良く見れば一筆の絵らしきものが描かれていた。
虫眼鏡で見てもまだミクロの世界、写真のとおりである。中に描かれていたのは達磨さんの顔、色紙の字ともあわせうれしいいお年玉となった。

 

牧野氏プロフィール
1月8日付け静岡新聞の記事を抜粋すると「Tokaichi02Tokaiti03_2浜松市東区恒武町の牧野良香さん(63)は 米粒に十二支を描いた作品や、つまようじを使った人形、花など、ルーペを使ってやっと観賞できるサイズの作品や超細密な書や造形作品の制作に取り組んでいる」という。
 

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2009.03.23

しだれ桜が満開なのに

昨日、菜種畑へ行く途中、煙雨の中にしだれ桜の満開を見る。
花びらはしっとりと濡れてはいても、開いている。
しかし、ちょっと咲いている場所、背景がよろしくない。
それでも満開の桜である。
見ている者在りかと思えば自分のみが佇んでいる。
通り過ぎる車ばかりだ。
せっかく咲き誇っているのに淋しそうだった。Sakura

 

Sakura2

 

 

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2008.10.03

けっこい中郡(なかごおり)

信州ではないのに、静岡県西部の地でもソバの白い花が咲き乱れていた。

 

浜松と浜北の境目にある中郡町。
かつては田畑だらけの地域だったが、最近は農業の継承者も少なくなり、遊休地が多くなった。
そこを利用して夏は向日葵を、秋にはソバを咲かせるようになった。Nakagori
ほんとに狭い面積ではあるが、今、白い花は夏から秋へと代わる風になびき、通る人の目をひきつけている。
先日の休みに様子を見に行ったら、その管理する組の人だろうか?。
畑周辺部分の草取りで環境整備を図っている。
遊休地のソバを引き立てるためには、そこだけきれいであればよいというわけにはいかない。
「けっこい・・」のノボリはあちらこちらに立てられていた。
この効果がきっと町全体の環境整備に住民の力で発揮されることだと期待したい。

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