笠井屋孫右ヱ門さんちの徳利
コロナ禍でどこも、祭・イベントが中止となり、最近では撮りだめした写真を眺めては慰めている。
桜が咲くころにはあちらこちらで祭りが催され、中でも旧大須賀町の大祭は楽しかった。
撮った写真はその様子を物語っていた。
その中に街道の店先を撮った一こまがある。かねてから気になっていたが町名の入った「笠井屋」という徳利が写ったものである。そこで暇に任せて調べてみた。
今ではWebでなんでも検索できるので、早速試したところ、地元商店7代目の店主さんがこのことを書いていた。
店名の由来を店主のページから引用させていただくと・・・・・
「水道工事で店先を掘り起こしたところ、江戸時代・安政年間に建てた家の基礎石が出てきました。言い伝えによりますと、笠井屋の初代・孫右ヱ門は赤佐村(浜北市)の出身で、何かの理由で村を出て、ここ遠州横須賀にたどり着きました。そして三熊野神社前でついに力尽き、行き倒れとなっていたところを「かどや」さんに助けられ、握り飯2ヶをいただいたそうです。そして「お前はどこから来たのか?」「赤佐村から」「どこを歩いてきたんじゃ?」「笠井街道」「そうか、それならあそこに一軒空き家がある。あそこで“笠井屋”と名乗って住めばいい」と、言ったとか・・・以来7代にわたって、ここに住み続けているわけなんです(笑)」
さらにつづけて
「この「基礎石」の話は、今から30数年前、店を「タタキ」からコンクリートにした時に、話は聞いていましたが、見るのは初めてでした。
ひょっとすると、安政地震で建替えた以前の家のものかも知れないとのことでした。(現在の家は基礎の一部を安政4年に、明治40年には間口4間半の総二階に大改築、今の家の姿になりました)」
徳利の由来は「笠井屋は戦前までは「山伍」の酢を販売していました。これはその当時の通い徳利です。」
なるほど酒ではなく酢が入っていた。 明治時代~昭和30年代まで、笠井屋は漬物問屋を営んで山五の酢や鳩居堂のお線香などを販売していたというが、今では店内がお茶碗屋さんのようでもある。
この街並みにあって、この店構えは横須賀の歴史の長さを感じさせ祭の賑わいには必要不可欠な存在で、ぜひとも後々まで残っていて欲しいものだ。
以上調査の結果、徳利の店の名は「笠井町」とは縁もゆかりもなく、孫右ヱ門さんちの歴史のひとこまであったようである。