カテゴリー「旅行・地域」の記事

2022.10.10

そばの花と木喰上人の歌

 今年もそばの花が満開である。
 かつては荒れ地対策としてそばを作るところもあって、そう珍しい光景ではなくなった。
 それに輪をかけて当時のテレビ番組みの影響もあり市内のあちこちの空き地に個人で育てる方が目立っていた。
 だが、ここ最近はその耕作場所が住宅に変わり、はたまた空き地と化しているところもある。
 作る方の高齢化もあるのかと思うが、私はなんとか10坪程度の畑でそばの栽培は続いている。
 家庭菜園のため種まき時期が遅くなり、どうしても苗の背丈が低くなってきている。
 それでも菜園近くを散歩する人には眼の保養となっているかもしれない。
 以前、木喰上人のことに関心があって、その故郷ともいえる場所を訪問したことがある。
 山間にそばの栽培をしている場所があり、まさに花の真っ盛りであった。
 その時に思い出したのが「盛(森)がよければ二八ソバ・・・」木喰上人は日本を遍歴中にそばを対象に和歌も残している。
「心願歌集」の遠州森、虫生で詠まれた八十八首の中にこんな歌があった。

  けんどんや そバによるのも からみかな
    もりがヨケレバ ニ八十六

  木喰上人も遠州森町でのそばを食べたのかと思うと、一層身近な人物に感じられる。

Soba20221

Tukitosoba
(我が家のそばと満月)

 

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2022.05.26

初夏の兆し遠州森町

 週末には周智郡森町内でイベントが開かれるとあって期待していたのだが、生憎の雨となってしまった。
 だが翌日はうって変わっての晴天となり町内での散策を楽しんだ。聞けば前日は雨でも人出はあったらしい。
 今回のイベントは町内の沿道での出店が主、地元産のものから自作の商品まで並べられ、遠州の森町は久々の賑わいである。
 なまこ壁の土蔵や白壁、 町家の裏路地、町屋に入れば坪庭なども懐かしい。
 さて、一服のお茶休憩は町屋で手作りまんじゅうをほう張りながら、沿道を眺めている。
 着物姿のご一行さまは、この界隈には相応しく小京都を彷彿とさせてくれる。
 日中の日差しは一段と眩しくなり、あたかも初夏の到来を思わせているようであった。

(2022.5.22訪問記)👀

Machiya01

Machiya02

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2022.03.19

ガーベラ讃歌~フラワーパークにて

 風の冷たさに温室内へ待避したところ、窓際を中心にガーベラの切り花が咲いている。
 こういう見せ方があるものだと感心し、いつものフラワーパークのイメージとは違う異国情緒に触れた思いがしたコーナーだった。
Gabera01 Gabera02 Gabera03

(浜松市フラワーパークにて)


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2022.03.07

フラワートレイン梅林抜けて

 早春は梅の開花が待ち遠しい。咲き始めればその香りに春を知る。
 どこが見ごろかと探すのも楽しい。
 神社を最初に巡ってみたところ、これは早すぎ。
 となれば今度はお寺かと思ったが、春を愛でる花を見たいからとの要望があり近くのフラワーパークへと足を向けた。
 隣は動物園で平日、でもお客さんはそれなりだ。併設のフラワーパークはちらほら。
 園内は目下春の苗木を植えている作業中で、花らしきものは温室程度である。
 来場者はそれでも窮屈な社会情勢下にあって青空の下で息を吸うのがうれしい。
 ともかく今ある花を満喫しようと最後のガーデンは梅園と決めた。
 大きな熊のモザイクに迎えられ南方向へ・・・この方角が良い。
 紅白の梅林が七・八分咲き程度で賑わっている。
 園のフラワートレインが樹間をゆっくり走り抜けていく。
 それはあたかも梅の花を星と見立てて、銀河鉄道999が星めぐりをしているようでもある。
 遠くからでも二人の乗客の姿が、メーテルと鉄郎と思しき人物が垣間見えた。
 Kumasan

Umenogingatetudou
  
 


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2022.03.01

神の中に梅の花

 遠州森町の奥でひっそりと春を迎えようとしている小國神社に梅の香を求めた。
 2月末日であっても日本海方面は雪、遠州は相変らず冷たい風が吹いていた。
 それでも各地で梅の便りが聞こえるので足を運んでみた。
 この日が天皇誕生日が過ぎたばかりだと知ったのは、駐車場から望む神社方面に日の丸の旗が翻っていたから。
 さて開花状況はいかがかと周囲を見渡すが、目立つのは河原沿いの梅程度。
 せっかくなので、神様を参拝して境内を散策した。
 本格的な観梅には少し気が早かったようだが、気分転換にはなった。
 むしろ神杉の花粉を一杯被ってきたせいか、くしゃみの連続。未だアレルギーが治っていないことを再認識した。
 当日の模様は下記のマイフォトでお楽しみください。
 L1000633_1381
  神の中の梅の花

 


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2022.02.14

春耕の道

 最近は毎日のコロナ感染者が1千人を超え、戸外へ出るのも渋ってしまう。
 それでも、久々に孫が遊びに来たので、1時間ほど界隈の道を散策すると、春が着々と近づいていることを知る。
 田が既に耕されていた。「
 「たがやす」は「田返す」の意で田植えの前には必ずしなければならない作業である。
 こんな長閑な光景が界隈に見られるなんて、あらためて見直した。
 自転車が一台天竜川の堤防を一直線に走っていく。
 ついつられて追いかければ、天竜川の流域に出た。
 そこからは真白に雪を被った赤石山脈の山々が近くに見えた。
 「忘れていた。!」
 ひとりで感慨にふけっていたら孫を連れだって来たのだっけ。
 河原へ降りて、二人で思い切り石投げをして春の到来を待ち望んだ。
 Harukizasi

 

 


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2022.01.13

301回目の笠井だるま市

   コロナ禍にあって開催された笠井だるま市は、10日夜8時00分をもって無事終了した。
 当日会場内での飲食禁止などコロナ感染対策を徹底し、参詣者をはじめ主催者一丸となって感染予防を図ってきたことで、当初の予定を変更することなく楽しいイベントとなったようだ。 
  ー笠井だるま市 コロナ禍でも負けない笠井ー
 今年の境内はこれまでとは変わり若干広くなっている。
 灯篭、歴代の住職の墓、石碑など本堂前から移動し、改修を兼ね整備されていた。
 だるま会館内では地元高校生の写真・美術・書道作品をはじめ小中学校生の絵画や書道の作品を展示、幼稚園児の描いただるま絵が参詣者の笑顔を誘っていた。
 昨年が130年目という記念の節目を今年は一つ年を重ねた。
 これからも笠井の発展と無病息災など参詣者の願いを観音様に願掛けできるよう続けていってほしいものだ。
 開催関係者の皆様ご苦労様でした。

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Darumaichi20223

 


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2021.10.08

笠井町の歴史を知る一冊「「笠井の歴史と榎吉家の系譜」

 先日、笠井報徳社から「笠井の歴史と榎吉家の系譜」という冊子が送られてきた。
 以前、笠井報徳社の池田充義氏から系譜をまとめていると聞かせれていたので、そのことを思い出し合点がいった。
 これまでにも笠井の歴史の出版物が数ある中で、今回「榎吉家」の系譜を加え裏付ける歴史年表としたことは、歴史音痴の私でも物語風に読み進むことができ、あたかも笠井の過ぎ去りし日々を再現するようで一段と理解と関心を深めることができた。
冊子を編纂された関係者の皆様には大変に意義のある活動だと敬意を表したい。
Keifu-enoyosike

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2021.09.04

だるま市の開催・運営に区長賞表彰の記事

 中日新聞9月3日付け朝刊に「笠井だるま市伝統さらに」のタイトルが踊っていた。
 例年正月10日に地元笠井観音で開催される「笠井だるま市」が浜松市の眼に留まりその活動に対し賞が与えられたのである。
 毎年工夫を凝らし、とりわけコロナ禍における開催には運営者の英知を絞り無事開催することができたことやこれまでの実績が評価され表彰に至ったものである。

2021.9.3中日新聞朝刊掲載記事

Kucyosyo
2021.1.10だるま市風景
2021drumaichi

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2021.08.10

笠井屋孫右ヱ門さんちの徳利

 コロナ禍でどこも、祭・イベントが中止となり、最近では撮りだめした写真を眺めては慰めている。
 桜が咲くころにはあちらこちらで祭りが催され、中でも旧大須賀町の大祭は楽しかった。
 撮った写真はその様子を物語っていた。
 その中に街道の店先を撮った一こまがある。かねてから気になっていたが町名の入った「笠井屋」という徳利が写ったものである。そこで暇に任せて調べてみた。
 今ではWebでなんでも検索できるので、早速試したところ、地元商店7代目の店主さんがこのことを書いていた。
 店名の由来を店主のページから引用させていただくと・・・・・ 
「水道工事で店先を掘り起こしたところ、江戸時代・安政年間に建てた家の基礎石が出てきました。言い伝えによりますと、笠井屋の初代・孫右ヱ門は赤佐村(浜北市)の出身で、何かの理由で村を出て、ここ遠州横須賀にたどり着きました。そして三熊野神社前でついに力尽き、行き倒れとなっていたところを「かどや」さんに助けられ、握り飯2ヶをいただいたそうです。そして「お前はどこから来たのか?」「赤佐村から」「どこを歩いてきたんじゃ?」「笠井街道」「そうか、それならあそこに一軒空き家がある。あそこで“笠井屋”と名乗って住めばいい」と、言ったとか・・・以来7代にわたって、ここに住み続けているわけなんです(笑)」
 さらにつづけて
「この「基礎石」の話は、今から30数年前、店を「タタキ」からコンクリートにした時に、話は聞いていましたが、見るのは初めてでした。
 ひょっとすると、安政地震で建替えた以前の家のものかも知れないとのことでした。(現在の家は基礎の一部を安政4年に、明治40年には間口4間半の総二階に大改築、今の家の姿になりました)」
 徳利の由来は「笠井屋は戦前までは「山伍」の酢を販売していました。これはその当時の通い徳利です。」
 なるほど酒ではなく酢が入っていた。 明治時代~昭和30年代まで、笠井屋は漬物問屋を営んで山五の酢や鳩居堂のお線香などを販売していたというが、今では店内がお茶碗屋さんのようでもある。
 この街並みにあって、この店構えは横須賀の歴史の長さを感じさせ祭の賑わいには必要不可欠な存在で、ぜひとも後々まで残っていて欲しいものだ。
 以上調査の結果、徳利の店の名は「笠井町」とは縁もゆかりもなく、孫右ヱ門さんちの歴史のひとこまであったようである。
Kasaiya

 

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