笠井まつりが開かれた
例年なら笠井のまつりは8月14日から16日までで町内の春日神社の大祭が開かれます。
今年は生憎の台風の到来で大祭は16日だけとなりました。
屋台は町内引き回しで3日間子どもたちの楽しみをゲットして、雨にもめげず大人たちも頑張りました。
詳細の写真は「笠井まつり令和5年春日大社例大祭」でお楽しみください。
例年なら笠井のまつりは8月14日から16日までで町内の春日神社の大祭が開かれます。
今年は生憎の台風の到来で大祭は16日だけとなりました。
屋台は町内引き回しで3日間子どもたちの楽しみをゲットして、雨にもめげず大人たちも頑張りました。
詳細の写真は「笠井まつり令和5年春日大社例大祭」でお楽しみください。
浜松城公園が来年の大河ドラマの影響で改修され美しく生まれ変わろうとしている。
12月に入って穏やかな冬入りかと感じながら散策を楽しんでいると、あまりに人出が多いのだ。
来年はこの地にドラマ館もオープンするので、文句なくこれ以上の賑わいになることは間違いなし。
かつてここには動物園があって何度も親たちと遊びに来たことを思い出す。
帰路は浜松駅付近へ向かい松菱デパートでおもちゃを買って、ご機嫌でバスで自宅まで戻った。
今となっては懐かしい記憶の一コマである。
公園の木々は冬紅葉とまで枯れ落ちていず、散歩中の家族やら観光客が多くそぞろ歩いている。
中には結婚式の前撮り写真撮影をしている一行もあり、良いシーンが撮れる場所として選ばれたことに自慢したいくらいだ。
幼少時代に遊び場だった場所が、今では大人っぽい公園として管理されていることに戸惑いすら感じている。
自分の生きざまや市政の長い時間の経過を振り返ったような週末であった。
今年もそばの花が満開である。
かつては荒れ地対策としてそばを作るところもあって、そう珍しい光景ではなくなった。
それに輪をかけて当時のテレビ番組みの影響もあり市内のあちこちの空き地に個人で育てる方が目立っていた。
だが、ここ最近はその耕作場所が住宅に変わり、はたまた空き地と化しているところもある。
作る方の高齢化もあるのかと思うが、私はなんとか10坪程度の畑でそばの栽培は続いている。
家庭菜園のため種まき時期が遅くなり、どうしても苗の背丈が低くなってきている。
それでも菜園近くを散歩する人には眼の保養となっているかもしれない。
以前、木喰上人のことに関心があって、その故郷ともいえる場所を訪問したことがある。
山間にそばの栽培をしている場所があり、まさに花の真っ盛りであった。
その時に思い出したのが「盛(森)がよければ二八ソバ・・・」木喰上人は日本を遍歴中にそばを対象に和歌も残している。
「心願歌集」の遠州森、虫生で詠まれた八十八首の中にこんな歌があった。
けんどんや そバによるのも からみかな
もりがヨケレバ ニ八十六
木喰上人も遠州森町でのそばを食べたのかと思うと、一層身近な人物に感じられる。
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週末には周智郡森町内でイベントが開かれるとあって期待していたのだが、生憎の雨となってしまった。
だが翌日はうって変わっての晴天となり町内での散策を楽しんだ。聞けば前日は雨でも人出はあったらしい。
今回のイベントは町内の沿道での出店が主、地元産のものから自作の商品まで並べられ、遠州の森町は久々の賑わいである。
なまこ壁の土蔵や白壁、 町家の裏路地、町屋に入れば坪庭なども懐かしい。
さて、一服のお茶休憩は町屋で手作りまんじゅうをほう張りながら、沿道を眺めている。
着物姿のご一行さまは、この界隈には相応しく小京都を彷彿とさせてくれる。
日中の日差しは一段と眩しくなり、あたかも初夏の到来を思わせているようであった。
(2022.5.22訪問記)👀
風の冷たさに温室内へ待避したところ、窓際を中心にガーベラの切り花が咲いている。
こういう見せ方があるものだと感心し、いつものフラワーパークのイメージとは違う異国情緒に触れた思いがしたコーナーだった。
早春は梅の開花が待ち遠しい。咲き始めればその香りに春を知る。
どこが見ごろかと探すのも楽しい。
神社を最初に巡ってみたところ、これは早すぎ。
となれば今度はお寺かと思ったが、春を愛でる花を見たいからとの要望があり近くのフラワーパークへと足を向けた。
隣は動物園で平日、でもお客さんはそれなりだ。併設のフラワーパークはちらほら。
園内は目下春の苗木を植えている作業中で、花らしきものは温室程度である。
来場者はそれでも窮屈な社会情勢下にあって青空の下で息を吸うのがうれしい。
ともかく今ある花を満喫しようと最後のガーデンは梅園と決めた。
大きな熊のモザイクに迎えられ南方向へ・・・この方角が良い。
紅白の梅林が七・八分咲き程度で賑わっている。
園のフラワートレインが樹間をゆっくり走り抜けていく。
それはあたかも梅の花を星と見立てて、銀河鉄道999が星めぐりをしているようでもある。
遠くからでも二人の乗客の姿が、メーテルと鉄郎と思しき人物が垣間見えた。
遠州森町の奥でひっそりと春を迎えようとしている小國神社に梅の香を求めた。
2月末日であっても日本海方面は雪、遠州は相変らず冷たい風が吹いていた。
それでも各地で梅の便りが聞こえるので足を運んでみた。
この日が天皇誕生日が過ぎたばかりだと知ったのは、駐車場から望む神社方面に日の丸の旗が翻っていたから。
さて開花状況はいかがかと周囲を見渡すが、目立つのは河原沿いの梅程度。
せっかくなので、神様を参拝して境内を散策した。
本格的な観梅には少し気が早かったようだが、気分転換にはなった。
むしろ神杉の花粉を一杯被ってきたせいか、くしゃみの連続。未だアレルギーが治っていないことを再認識した。
当日の模様は下記のマイフォトでお楽しみください。
神の中の梅の花
最近は毎日のコロナ感染者が1千人を超え、戸外へ出るのも渋ってしまう。
それでも、久々に孫が遊びに来たので、1時間ほど界隈の道を散策すると、春が着々と近づいていることを知る。
田が既に耕されていた。「
「たがやす」は「田返す」の意で田植えの前には必ずしなければならない作業である。
こんな長閑な光景が界隈に見られるなんて、あらためて見直した。
自転車が一台天竜川の堤防を一直線に走っていく。
ついつられて追いかければ、天竜川の流域に出た。
そこからは真白に雪を被った赤石山脈の山々が近くに見えた。
「忘れていた。!」
ひとりで感慨にふけっていたら孫を連れだって来たのだっけ。
河原へ降りて、二人で思い切り石投げをして春の到来を待ち望んだ。
コロナ禍にあって開催された笠井だるま市は、10日夜8時00分をもって無事終了した。
当日会場内での飲食禁止などコロナ感染対策を徹底し、参詣者をはじめ主催者一丸となって感染予防を図ってきたことで、当初の予定を変更することなく楽しいイベントとなったようだ。
ー笠井だるま市 コロナ禍でも負けない笠井ー
今年の境内はこれまでとは変わり若干広くなっている。
灯篭、歴代の住職の墓、石碑など本堂前から移動し、改修を兼ね整備されていた。
だるま会館内では地元高校生の写真・美術・書道作品をはじめ小中学校生の絵画や書道の作品を展示、幼稚園児の描いただるま絵が参詣者の笑顔を誘っていた。
昨年が130年目という記念の節目を今年は一つ年を重ねた。
これからも笠井の発展と無病息災など参詣者の願いを観音様に願掛けできるよう続けていってほしいものだ。
開催関係者の皆様ご苦労様でした。