ガーベラ讃歌~フラワーパークにて
風の冷たさに温室内へ待避したところ、窓際を中心にガーベラの切り花が咲いている。
こういう見せ方があるものだと感心し、いつものフラワーパークのイメージとは違う異国情緒に触れた思いがしたコーナーだった。

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風の冷たさに温室内へ待避したところ、窓際を中心にガーベラの切り花が咲いている。
こういう見せ方があるものだと感心し、いつものフラワーパークのイメージとは違う異国情緒に触れた思いがしたコーナーだった。
最近、孫が昆虫に興味を持ちゴミムシ、ゾウムシ,フンゴロガシなどの小さな虫たちを発見してはファーブルの図鑑を見て楽しんでいる。
そのせいで自分までも俄かに昆虫博士のような顔をして、もっともらしく子らに説明しては優越感に浸っている。
と、ここで先日散策中に見つけた玉虫色の昆虫を検めて自分の知識に「なぜ」と問いかけてみた。
Q1 どうして今の時期に現れたのか幼虫でもなく成虫として。
Q2 成虫だが足も手もない。触角もない。
いずれも難問だ。
庭の草をむしっていたら、土の中からこがねムシが仮死状態で出てきた。
しかも色は褐色でくすんだ茶色。体は成虫だったので気になってしばらく観察していると、みるみるうちに羽の色につやが出てすぐにも飛び出してしまった。
幼虫から孵って成虫になったところで見つかったので驚いて飛び出したのか。
この例から撮ったタマムシを検討すると、羽化したばかりの成虫であったのか。
羽化して地上の空気中になじもうとしていたところ玉虫色に変化し始めた。
山中で発見した昆虫を図鑑で調べると「ヤマトタマムシ」ではないかと考えられる。
「だから何だ」と問われても「これは玉虫色のタマムシです」とムシするしかない。
これを機に昆虫への興味は尽きなくなった。
子供の成長を祝って神社・寺などに詣でる年中行事七五三には、菊がよく似合うようだ。
例年この季節に地域の菊花展を見に行くと、菊を撮りに行ったはずなのに、カメラはいつでもお参りに来た子供たちの方にレンズが向いている。
それともう一つ、菊花展で気が付くのは、しゃがみ込んで菊の花首あたりを覗きこんでいる光景だ。
千輪仕立てのごとき百輪に及ぶ菊は、どうやって作られているのか気になるからなのだろうか。
今年は小菊盆栽の展示が無く、静岡懸崖も出品されていない。
花を咲かせるまでには手間もかかり、技術もままならないので作り手がいないのであろう。
しかし、全国一斉に菊花展が開かれていることからして、秋には欠かせない風物詩の花であり、この伝統の菊の仕立て方も次の世代に引き継いで行ってほしいものである。
(森町小国神社にて)
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今年の台風は、地域に停電と断水、家屋の損壊をもたらした。
キクづくりが趣味の友人は、台風の襲来に備え新築したばかりの栽培場に避難させたものの、栽培場そのものが破壊され菊はその下敷きになり、秋の菊花展への出品が困難になってしまった。
友人の嘆きは云うまでもない。
しかも、この時期の菊の生育は、蕾を着け開花を待つばかりの状態で
「菊は一手かければ一に咲き、千手かければ千に咲き、万手かければ万に咲く花だ」
と菊づくりの先輩が云っていたが、まさに1年の丹精が実を結ぼうとするときであった。
それでも多くの難を逃れてきた作る側にとっては、運がよかったと安堵の胸を撫で下ろしていたが、鑑賞する側となったときには、きっと作り手の努力を汲むことになろう。
これから各地で開かれる菊花展ではそんな思いを胸に、存分に花を観賞し楽しんでみたいと思う。
菊の美しさは単にきれいと思うだけではなく、作り手の丹精の証しでもあることを知るだろう。
既に県内では、11月に入り目白押しでだ。
浜北菊花展も伝統を受け継いで開催中である。
会期は11月11日(日)まで
会場 JA浜北営農緑化木センター内(浜北区新原)
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遊びに来た2歳の孫の手から、口に放り込まれたのは白い金平糖が1粒。
舐めていると甘くて、ついかみ砕いて食べてしまいたいほどの砂糖菓子だ。
この粒でどうしても気になるのが角、過去にはどうしてできるのか悩んだ物理学者がいたらしい。
夏目漱石でも気になったらしく、著書の登場人物に語らせている場面がある。
「吾輩は猫である」では「人間は金平糖のようにいらいらする」
「彼岸過迄」には「東京ことばはむやみに角度の多い金平糖のような調子」とも。
人間社会のギスギスした様を、金平糖の角にたとえて伝えようとしているようだが、
そんなにまで角を追い詰めなくても、これはこれで味わい深いと思うのだが。
手に残った2つめの粒をじっと眺めていたら、ふと季節の花を思い出した。
初秋に湿地帯で咲くシラタマホシクサで、金平糖の様な白い花を咲かせる。
いつもこの時期咲き誇り、角もあるが気になったことはない。
群生の花を見ると、心が丸くなるかもしれないからか。
先日、雨の合間に近くの森林公園を訪ねたら、今が満開で蝶たちを引き寄せていた。
(浜北森林公園にて)
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孫たちが来ると、遊び相手にするのは決まってビーチボールほどの大きさのひょうたんだ。
サッカーのように蹴ったり、サンドバックのように叩いてみたり、ひょうたんにとっては災難の日である。
このひょうたんは興味本位で育てたもので、いまだに加工方法が決まらずすっぴんのまま廊下に置かれている。
そんなこんなの理由を持って、地元で展示会があるというので足を運んでみた。
会場は細江町気賀の関所に隣接した奥浜名湖田園空間博物館、8月6日まで開催中とある。
「ひょうたん展」は100点ほどの大小さまざまなひょうたんに彩色や和紙を張ったものなどさまざまな技法を駆使して完成させている。「引佐ひょうたん愛好会」の会員4人が制作したという。
「たかがひょうたんされどひょうたん」見事な出来栄えに一瞬息をのんでしまった。
会員の方から制作方法を指南してくれたが、出来るかどうかはともかく少し前向きにやるきになった。
我が家のひょうたんたちが、やがては静かな余生を暮らせるようにしてあげたいとの親心でもある。
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我が家で初めてフウランが咲いた。
山野に自生するラン科の小さな植物で、小さな鉢の中で可憐な花を咲かせている。
本来、この花は樹上や岩壁に根を張って、風にさらされながら空気中よ り養分を吸収して生きているのだが、いつのころから栽培品種となった。
蘭の原種とさえ考えられているだけに、小さいながらも蘭科特有の性質を完璧にそなえているという。
自宅にあるのはフラワーセンターで買ってきたものだが、小さくとも堂々と存在感を見せている。
花の名称は 「富貴蘭」と書いて「ふうらん」と読むものもあり、「ふきらん」でも別段気にしない。
もともと「風蘭」といっていたらしいが、江戸時代に風蘭ブームが起こり、新たな品種が誕生した。
金持ちが大金で珍品を求めたところから「富貴蘭」と呼ばれるようになったという。
この花には蘭特有の優雅な花の香りがあるという。
飾り鉢に入れて玄関に置くことにしたので、今晩あたり匂いを確かめてみよう。
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赤も白もある秋海棠だが、いつしか庭に植えたものが赤色だけになってしまった。
白色だけが絶えたものか、それとも赤色に変色してしまったのか定かではない。
色が混ざり合って交合種になったのかもしれない。
秋海棠西瓜の色に咲きにけり 芭蕉
句に詠んだ芭蕉は秋海棠の色を西瓜の色に見たてている。
まさにいい得て妙である。
秋海棠は庭のどこに咲いても目立ち、死角をなくす花でもある。
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